被弾後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/16 03:28 UTC 版)
「スターク (フリゲート)」の記事における「被弾後」の解説
@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti>.thumbinner{width:100%!important;max-width:none!important}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:none!important;width:100%!important;text-align:center}} 消火用水等で傾斜するスターク。 船体の破孔と損傷した上構。 21時12分、艦橋張出しの真下、左舷吃水線上8フィートに1発目のAM39が入射角35度で命中した。ミサイルは消防主管を破壊しつつスタークの第2甲板上の各区画を貫通、先任海曹室の角で止まった。弾頭は爆発しなかったが、ロケットの残燃料120ポンド(54 kg)は摂氏2,000度に達する高温で燃焼しており、先任海曹室を中心に火災が発生した。その20秒後、2発目のAM39が入射角30〜35度で、初弾の8フィート(2.4 m)前方に命中、艦内5フィート(1.5 m)まで突入したところで弾頭が起爆した。これによりスタークは兵員居住区を中心に半径10 mの区域が壊滅し、さらに火災が発生した。 スタークは第2弾を被弾した時点で、既に第1弾の被弾に伴うダメージコントロールのために当該区画に向かっていた乗員がいた事もあり、スタークの死傷者は兵員の5分の1にも上った。また被弾箇所が艦橋構造物直下だったために、火炎は戦闘指揮所(CIC)まで昇っていった。第1弾が消防主管系を破壊していたこともあり、ダメージコントロールは困難を極めた。しかし平時からの訓練が幸いし、パニックになるものはいなかった。第2弾の爆発で垂直防火隔壁が損傷していたため、その前方のミサイル弾庫にも煙が達しており、誘爆・轟沈が憂慮されたが、慎重な注水作業によって、この最悪の事態は免れた。またこれら消火活動に伴う散水と、第1弾に破壊された消防主管系からの漏水によって船体は左舷に16度も傾斜したため、隔壁に破孔をあけて水没区画からの排水を行った。午前1時15分には、応急班が装用する酸素吸入装置(OBA)のキャニスターが底をついてしまったが、これは20分後、旗艦ラサールより空輸補給された。最終的に、5月18日17時に火災は鎮火した。第1弾の被弾から20時間後であった。
※この「被弾後」の解説は、「スターク (フリゲート)」の解説の一部です。
「被弾後」を含む「スターク (フリゲート)」の記事については、「スターク (フリゲート)」の概要を参照ください。
被弾後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/21 05:14 UTC 版)
「シェフィールド (駆逐艦)」の記事における「被弾後」の解説
エグゾセAM39は、「シェフィールド」の艦橋後方右舷の水線上約1.8メートルの位置に命中、入射角60度で艦内に突入した。弾頭は爆発することなく、右舷通路、調理室、前部補機室を経て、前部機械室に達したが、固体燃料ロケットは燃焼を続けており、機械室内の潤滑油や燃料にも引火して、大火災を生じた。 本艦では発電機・消火ポンプは前後区画に配置されていることから、今回の例のように前部機械室・補機室が機能喪失した場合でも、後部の機械室・補機室によって艦の機能は最低限維持できる見込みであった。しかしアルミ合金製の通風トランクや仕切弁が溶解してしまい、電纜を介した延焼もあって火災は他区画へ拡大し、後部機械室・後部補機室の機能も順次に失われた。電纜類の被覆などの燃焼によって有毒ガスが発生し、また被弾後約30分で電源が失われたこともあって、消火活動は大きく阻害された。4基の消防ポンプはすべて機械室に配置されており、命中した時点で作動していた2基は衝撃によって停止した。このうち1基は再起動に成功したが、もう1基は再起動できず、また再起動できた1基もまもなく機能を喪失した。残る2基のうち1基は最初から故障状態、もう1基も始動できなかった。これにより、消防主管の圧力は失われてしまった。代替になるかもしれなかったローヴァー製の可搬式ガスタービンポンプは性能的に全く不十分であった。このため、バケツにロープをつけて海水を汲み上げて消火用水として使ったという逸話もある。また、艦橋付近の被弾によって通信線が断絶し、指揮機能が低下したことも初期消火活動に悪影響であった可能性が指摘されている。 被弾から約5時間後にフリゲート「アロー」が、ついで「ヤーマス」が救援に到着し、外部からの注水も行われた。しかし艦体は鋼製であったものの隔壁はアルミ合金製であり、また木製家具類の焼失もあって、火災範囲は最終的に艦内の約2/3に達した。艦自身の消火活動はほとんど遂行不能となり、前部のシーダート弾薬庫に誘爆の恐れが生じたことから、2100Z時(1800L時)、総員退去が下令された。最終的に、乗員260名中、死者・行方不明者20名、負傷者24名であった。 火災は2日間続いたのち鎮火したが、アセンション島への曳航途上で荒天に遭遇、破孔からの浸水が拡大し、5月10日0700Z時ごろ、南緯53度04分、西経56度56分で沈没した。
※この「被弾後」の解説は、「シェフィールド (駆逐艦)」の解説の一部です。
「被弾後」を含む「シェフィールド (駆逐艦)」の記事については、「シェフィールド (駆逐艦)」の概要を参照ください。
- 被弾後のページへのリンク