原型師
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 18:44 UTC 版)
原型師(げんけいし)とは、銅像や貴金属、玩具や模型、工業製品デザインとその部品などの、ひな型や試作品などの原型や塑像などを製作する職能を持つ人物。
伝統産業と美術関係の原型師
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工業製品の原型師
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フィギュアの原型師
戦前からの日本の玩具産業における人形などの原型制作者が「原型師」と呼ばれるようになった経緯は明らかではないが、1960年代から1970年代に存在した玩具メーカー・ブルマァクの玩具原型師の市川二巳の証言によると、当初から「原型師」の肩書きであったとしている。なお、当時のソフビ人形の原型は粘土で製作されており、ウルトラ怪獣の原型は資料を元に一日で製作していたとのことである[1]。
模型のフィギュアとしては、1980年代初頭のガレージキットブームの頃の造形作家たちにより、ガレージキットのフィギュアの概念が一般化したと考えられている[2]。
中でも特筆されるのは、1980年に『ホビージャパン』誌上で取り上げられた荒木一成の存在である。荒木はこの時、いわゆる「恐竜ルネッサンス」と呼ばれる恐竜観の一大転換を受けて製作した、当時の恐竜模型の水準を遙かに凌駕する作品群を発表し注目を浴びた。 1981年の時点で海洋堂は数名の造形作家を雇用していた[2]。本来はプロの玩具職人をさす言葉であった原型師という言葉が、その起源も曖昧なままにアマチュアのモデラー原型師を指すようになったのはこの後の事である。
その後、1987年には海洋堂は松村しのぶを新たに原型師として採用。その数年後、松村はアメリカ自然史博物館が海洋堂に発注した恐竜模型「アロサウルスVSバロサウルス」の製作を担当し、世界的な注目を集めた。
同じく海洋堂の古参の原型師で世界的に知られた人物としては、BOMEが挙げられる。BOMEは1980年代より美少女フィギュアの原型師として活躍していたが、1995年に現代美術作家の村上隆から発注を受けて「Project Ko2」の原型を製作。これをきっかけとして1998年にはニューヨークで個展を開催するまでになった。その後もBOMEは現代美術界から注目を浴び続けている[3]。
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脚注
- ^ 『ハイパーホビー』2010年9月号 徳間書店、「そふび……知りそめしころに……」第11回
- ^ a b 金子隆一『知られざる日本の恐竜文化』 詳伝社、2007年、160-161ページ
- ^ 原型師BOMEプロフィール 海洋堂
関連項目
原型師
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「ZEONOGRAPHY」の記事における「原型師」の解説
ここでは担当が明らかなモデルのみ記している。例として#3012の高機動型ザクは#3001を担当した高橋信仁の作(リデコレーション)と思われるものの、商品や雑誌媒体等にクレジットが無いため記述を避けている。 高橋信仁 高機動型ザク(ジョニー・ライデン機、シン・マツナガ機) 量産型ザク(ジョニー・ライデン機、シン・マツナガ機、ランバ・ラル機) 旧型ザク(ランバ・ラル機) F2型 ザク(イエローカラー、グリーンカラー) 高機動型ゲルググ(ジョニー・ライデン機、トーマス・クルツカラー) ゲルググキャノン(ジョニー・ライデンカラー、トーマス・クルツ機) 量産型ゲルググ(ジョニー・ライデンカラー、トーマス・クルツカラー、シャア専用機、ノーマルカラー) アッグ(ブルーカラー、オレンジカラー) ガルバルディα(レッドカラー、グリーンカラー) 鵜殿一佳 ドム(ノーマルカラー、砂漠戦運用カラー) リックドム(ノーマルカラー、シャア専用機) プロトタイプドム ドム・トロピカルテストタイプ ペズンドワッジ(パープルカラー、レッドカラー) グフカスタム イフリート ゾゴック(ブルーカラー、レッドカラー) 赤羽一宏 ザクデザート(ノーマルカラー、グリーンカラー) アクトザク ザクフリッパー ケンプファー(試作機) キュベレイMk-II 量産型キュベレイ 佐藤直樹 ズゴック(ノーマルカラー、シャア専用機) ケンプファー(通常形態) ジオング パーフェクトジオング Moriwaki Shuuji(MIC) キュベレイMk-II 量産型キュベレイ
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