モンタナ時代とは? わかりやすく解説

モンタナ時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 07:01 UTC 版)

サンフランシスコ・フォーティナイナーズ」の記事における「モンタナ時代」の解説

1980年チーム開幕から3連勝したその後接戦多かったものの8連敗喫した。ディバーグとモンタナ併用されディバーグの方が好成績をあげたがウォルシュ将来性ではモンタナ方に分がある感じていた。この年第14週ニューオーリンズ・セインツ戦ではシーズン13連敗中だったセインツハーフタイム7-3528点差リード許したモンタナ率いられ攻撃は35-35の同点追いつき、オーバータイムにレイ・ワーシングの決勝FG決まり38-35と逆転勝利した。28点差からの逆転勝利長くNFL史上最多得点差からの逆転劇であった1993年プレーオフビルズオイラーズ31点差からビルズ勝利を収めた)。この勝利以降モンタナ先発定着したこの年2年目WRドワイト・クラークがチームトップの82キャッチRBのアール・クーパーが700ヤード以上を走った1981年ウォルシュディフェンス改善乗り出し新人経験乏しかった選手多数起用した。その中にはロニー・ロットエリック・ライト、カールトン・ウィリアムソン、ドワイト・ヒックスらである。またベテランLBジャック・レイノルズ、パスラッシャーのフレッド・ディーンを獲得した。これらの補強によってオフェンスディフェンスバランス取れたチームとなったナイナーズは1勝2敗でスタートした残り13試合12勝をあげて、13勝3敗とチーム史上最高の成績終えたディーンロットヒックスこの年プロボウル選出された。 モンタナによるショートパス中心とした攻撃ボールコントロールしクラークはポゼッションレシーバーとして、ソロモンはディープスリートとして両WRしっかりと役割果たしたラン攻撃弱点で543ヤード走ったリッキー・パットンがチームのラッシングリーダーとなり、アール・クーパーはランよりパスターゲットとして活躍し51キャッチ記録したプレーオフではディビジョナルプレーオフでニューヨーク・ジャイアンツに38-24で勝利しNFCチャンピオンシップゲーム1970年代プレーオフ何度も苦杯をなめた相手であるダラス・カウボーイズとの対戦したシーズン序盤両者対戦しておりナイナーズは6回のターンオーバー喫して14-45で敗れていた。この試合残り時間4分54秒で21-27とリードされ自陣11ヤードからナイナーズ攻撃権得たモンタナ敵陣6ヤードまで攻め込み第3ダウン残り3ヤード状況で第1ターゲットソロモンカバーされていたためエンドゾーンドワイト・クラーク向かってパス投げタッチダウン決めた。このプレーザ・キャッチとして知られるようになった。このプレースポーツ・イラストレイテッド表紙飾った2005年秋にはゲータレードCM使われた。このプレーの後、わずかに残った試合時間カウボーイズダニー・ホワイトからのロングパスをドリュー・ピアソンが受けて走ったが、ナイナーズ44ヤードのところでエリック・ライトが彼を止めタッチダウンあるいはFG阻止した次のプレーでローレンス・ピラーズがホワイトサックしファンブル誘いジム・スタッキーがこれを押さえてナイナーズ勝利したお互い初出場となったシンシナティ・ベンガルズとの第16回スーパーボウルではハーフタイムまでに20-0リードし最終的に26-21で勝利した。この試合レイ・ワーシングは4本のFG成功12プレー最後クーパーへのタッチダウンパスを決め92ヤードドライブ達成したモンタナMVP選ばれたが、第3Q自陣3ヤードまで攻め込まれながら4回の攻撃をしのぎきったディフェンス活躍見逃せなかった。こうして2勝14敗のシーズンからわずか2年チームスーパーボウル制覇した1982年ストライキ短縮されシーズンチーム地元キャンドルスティックパークで1勝もできず3勝6敗でシーズン終えたこの年ホームでの成績は5敗、アウェイでの成績は3勝1敗であったNFL史上ホーム未勝利終わったチームアウェイ勝ち越したのはこの時のみである。 しかしこの後17年チーム負け越しのない栄光の時代迎えることとなる。この年モンタナは5試合連続300ヤード上のパス成功させるなど、2613ヤード投げて9タッチダウンをあげた。 1983年チームシーズン最後に3連勝して10勝6敗でシーズン終え地区優勝果たしたモンタナは3910ヤード投げて26タッチダウンをあげた。ディビジョナルプレーオフでは敵地デトロイト・ライオンズ対戦し17-9リードして第4Q迎えた相手に2TDを許し17-23と逆転された。しかしモンタナ残り2分にソロモンへのTDパス決めて相手キッカーエディ・マレーの逆転狙ったFG失敗し24-23で勝利した翌週ワシントン・レッドスキンズとのNFCチャンピオンシップゲームでは一時0-21リードされながら同点追いついたがマーク・モーズリー決勝FG決められ21-24敗れた1984年チーム15勝1敗でシーズン終えた(これは2007年ニューイングランド・ペイトリオッツシーズン16全勝するまでは1985年シカゴ・ベアーズ1998年ミネソタ・バイキングス2004年ピッツバーグ・スティーラーズなどと共に16試合になってからNFLシーズンベスト記録であった)。プレーオフではニューヨーク・ジャイアンツを21-10、シカゴ・ベアーズ23-0破り第19回スーパーボウル出場した。この試合シーズン最多タッチダウン記録作ったダン・マリーノ率いマイアミ・ドルフィンズとの対戦になったが38-16で勝利したこの年ディフェンスバックのロニー・ロットエリック・ライト、ドワイト・ヒックス、カールトン・ウィリアムソン4人全員プロボウル選出された。 1984年シーズン中には14人の選手たちによって"We are the 49ers" というナラダ・マイケル・ウォルデン作詞プロデュースしたシングル発売された。曲にはR&Bファンクポップ・ミュージック各要素取り入れられていた。ボーカルにはロジャー・クレイグドワイト・クラークロニー・ロットらが含まれたがモンタナ参加しなかった(ただしモンタナヒューイ・ルイス&ザ・ニュース1986年発売したアルバムFore!」ではロットクラーク、リキ・エリソンと共にバックボーカルとして参加している。)。この曲は地元ラジオ局などでの放送とどまり1年後発売されシカゴ・ベアーズのスーパーボウル・シャッフルのように全米には広まらなかった。 1985年ロジャー・クレイグNFL史上初の同一シーズン1000ヤードラッシュ、1000ヤードレシーブを達成したチーム10勝6敗でワイルドカードプレーオフ進出したニューヨーク・ジャイアンツ3-17敗れたこの年ジェリー・ライス加入している。 1986年には開幕戦タンパベイ・バッカニアーズ31-7破ったが、勝利代償大きくモンタナ背中痛めて2ヶ月欠場することとなったジェフ・ケンプ代わりに先発出場9月10月を4勝3敗1分で乗り切ったモンタナ復帰チームは6勝2敗で同地区ライバルロサンゼルス・ラムズを24-14で破る試合もありNFC西地区優勝飾ったが、ニューヨーク・ジャイアンツとのプレーオフモンタナはジム・バートにヒットされ前半退場し3-49大敗した1987年モンタナの控えQBとして、タンパベイ・バッカニアーズからスティーブ・ヤング獲得したストライキ短縮されこの年チーム13勝2敗でNFLトップ成績をあげた。NFL大部分選手は3週間ストライキ参加して欠場したが、モンタナスト破りをして出場したチームはトータルオフェンス、トータルディフェンスいずれも1位で優勝候補筆頭あげられていたがプレーオフ初戦ミネソタ・バイキングスに24-36と敗れて3年連続プレーオフ初戦姿を消した1988年チームは6勝5敗でプレーオフ出場危ぶまれたがマンデーナイトフットボールワシントン・レッドスキンズを破るなど10勝6敗でシーズン終えプレーオフ初戦ではミネソタ・バイキングス34-9リベンジし、敵地ソルジャー・フィールド乗り込んだ氷点下8度体感温度氷点下32度、風速13mの中行われた試合モンタナライス活躍ベアーズ28-3破ったシンシナティ・ベンガルズとの対戦となった第23回スーパーボウルでは残り時間3分余りからFG決められて13-16と3点を追うこととなった。続くキックオフホールディングペナルティ取られ残り3分8秒で自陣8ヤードからの攻撃となったここからモンタナスーパーボウル史上有名な92ヤードドライブ最後ジョン・テイラーへのタッチダウン締めくくり20-16チームスーパーボウル3回目優勝果たした10勝6敗の成績から優勝したのはナイナーズ初めであったビル・ウォルシュ第23回スーパーボウル最後に引退し1989年からは彼の下でディフェンスコーディネーターを務めたジョージ・シーファートがヘッドコーチとなった9月24日フィラデルフィア・イーグルス戦では第4Q途中までに10-21とリードされたが、モンタナが4TDパス決めて38-28で勝利した14勝2敗(敗れた2試合点差合計はわずか5点)でホームフィールドアドバンテージ得たチームミネソタ・バイキングスを41-13、ロサンゼルス・ラムズ30-3退け第24回スーパーボウルデンバー・ブロンコス対戦した。この試合では、スーパーボウル史上最多得点最多点差となる55-10で勝利したスーパーボウル連覇したチームの中で異なヘッドコーチの下で優勝した最初チームとなったポストシーズン3試合得失点差合計100点達した1990年開幕からの10連勝含み14勝2敗でシーズン終えてスーパーボウル3連覇目指した。プレーオフではワシントン・レッドスキンズを28-10で破ったNFCカンファレンスチャンピオンシップゲームでニューヨーク・ジャイアンツTDなしに抑えながら第4Qモンタナがレナード・マーシャルのヒット受けて退場ロジャー・クレイグファンブル後にマット・バー5本目FG決められて、チームは13-15で敗れた1988年から1990年までの3シーズンチームロードでも18連勝達成したシーズン終了後プロテクトされなかったクレイグロットロサンゼルス・レイダースプランB制度移籍した。またモンタナは続く2シーズンひじの怪我欠場した1991年チームスティーブ・ヤング先発QBとしたが彼は左手親指やひざの怪我で数試合欠場した10試合経過したところでチームは4勝6敗とつまずいていた。控えQBのスティーブ・ボノが先発し5連勝果たし最終節ボノ負傷したためヤング先発しシカゴ・ベアーズに52-14と圧勝しチーム10勝6敗でシーズン終えてアトランタ・ファルコンズ同率となった同地区対戦成績劣りプレーオフ出場逃した1992年最終週12月28日デトロイト・ライオンズとのマンデーナイトフットボール試合後半モンタナ怪我から2年ぶりに復帰しプレー行った。彼はパス21回中15成功し126ヤード達成し2タッチダウンをあげて試合勝利したチーム14勝2敗でホームフィールドアドバンテージ確保しプレーオフ臨んだワシントン・レッドスキンズ20-13破ったダラス・カウボーイズに20-30で敗れたシーズンオフオーナーヘッドコーチモンタナ話し合い結果チームモンタナカンザスシティ・チーフス放出することを決定した。デバートロオーナーはモンタナ残留先発復帰望んだモンタナ自分チームに残ることは自分とヤングのどちらが先発するとしても問題起きると発言した

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