モンタナ道での攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 01:44 UTC 版)
コナー隊のキャッシュ・バレー遠征は、モンタナ道で8人の鉱山師集団に起こった出来事がきっかけだった。彼等は不運にもフランクリンの北、ショーショーニー族の主要な「冬の村」からちょうど3km以内に入ってしまった。 この鉱山師達はモンタナ道を下っていて、曲がり角を見過ごし、ベア川の西岸で沼地に突き当たり道に迷った。川は水深が深かったので渉れなかった。隊員のうち3人が泳いで川を渡り、リッチモンドに行って入植者達から食料や案内人を得ようとした。この3人が戻ってくる前に、残っていた隊員達がショーショーニー族に襲われ、ワラワラのジョン・ヘンリー・スミスと何頭かの馬が殺された。リッチモンドの住人と3人の隊員が間もなく戻り、ジョン・スミスの遺体を見付けて、リッチモンド市の墓地に埋葬した。 鉱山師達は最終的にソルトレイクシティに向かった。その中の1人、ウィリアム・ベビンズが首席判事ジョン・F・キニーの前に現れ、ジョン・スミスの殺害について宣誓供述を行った。ベビンズはまた、鉱山から別の10人がソルトレイクシティに向かっている時に、スミスが殺される3日前に殺されたと報告した。キニーはベアハンター酋長、ナピッチおよびサグウィッチの逮捕令状を発行し、準州保安官には「罪人であるインディアンを逮捕する」ためにコナー大佐の軍隊から助力を求めるよう命令した。 この法的書類は確かにコナーの動機を高める要因にはなったが、後に法的根拠はコナーがショーショーニー族に対する遠征隊を発するのに厳密に必要なものではないと語った。作戦前に陸軍省に宛てたコナーの報告書は次のようだった。 私は、ここから320km北の地点である、ベア川にいるインディアンの大集団の野営地に関する様々な情報を報告できることを光栄に思っております。ショーショーニー族は、ロッキー山脈東のベア川の鉱山からこの谷の野営地に渡って、この冬の間に数人の鉱山師を殺してきました。このインディアン達は過去15年間に山岳郵便配送路で移住者を殺してきたのと同じバンドの一部であり、かつこの前の夏に恐ろしい虐殺を行った主要人物と指導者達であることを確信しております。冬季気候で雪が深いために軍隊が遠征するには向いていない季節ではありますが、可能な限り彼等を成敗する決意でおります。
※この「モンタナ道での攻撃」の解説は、「ベア川の虐殺」の解説の一部です。
「モンタナ道での攻撃」を含む「ベア川の虐殺」の記事については、「ベア川の虐殺」の概要を参照ください。
- モンタナ道での攻撃のページへのリンク