モンタナ州での生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 18:05 UTC 版)
「セオドア・カジンスキー」の記事における「モンタナ州での生活」の解説
カジンスキーはバークレー校を辞めて、イリノイ州ロンバードの両親の元で暮らしていたが、2年後の1971年には人を避けてモンタナ州リンカーン郡の郊外に小屋を建て、ほとんど金を使わず、電気も水道もない質素な暮らし(英語版)を始めた。単発的な仕事をしたり、家族からいくらかの資金援助は得てはいた。 彼のそもそもの目標は、他者から独立して生きていけるように自給自足の生活を行うことであった。獲物の追い方、食べられる植物の見分け方、有機農業のやり方、弓きり式による火おこし、そういった原始的な技術を自ら鍛えた。街へ行くときは古い自転車を使っていて、地元の図書館のボランティアの話では、よく古典作品を原書で読んでいたという。リンカーン郡の住人は後に、彼のようなライフスタイルはこの辺りではそれほど珍しくもなかったと語った。 カジンスキーが暮らす小屋の周囲の原野は不動産開発と工業化によって破壊され、自然に囲まれて平和に暮らすのはもはや不可能だと彼は考えた。それに対抗するために、彼は1975年から周辺の工事現場で破壊工作をはじめるとともに、ジャック・エリュールなどの本を読み、社会学や政治哲学を独学で学び始める。 逮捕後のインタビューで、彼は気に入りの場所を散策していたときに受けた衝撃を思い出している。 平坦でない起伏のある土地で、縁まで行けばそこから崖のように急角度の斜面になっているのがわかるし、滝まで流れ落ちている。私の小屋から歩いて2日はかかる所なんだ。1983年の夏までは、散歩をするならそこ、というような場所だった。その年の夏は私の小屋の周りには人が多すぎて、ちょっとした平穏を求めて出かけることにしたんだ。あの高台に戻っていつもの場所に行ったら、あの人間たちがちょうどそこの真ん中を通るように道路を建設しているのに気が付いたんだ...。私がどれだけ取り乱したか想像もつかないことだろうね。その時から心に決めたんだ。これ以上自然の中に生きる技術を身に着けるよりも、体制そのものに仕返しをするのが先だ、と。つまり、復讐だ。 — セオドア・カジンスキー 1999年のインタビューでは、社会改革の行く末についても期待を持てなくなった自分を語っている。「人間は低きに流れる傾向にある...」という彼の言葉は、産業技術に支えられた社会体制を打ち倒すには、暴力で屈服させることこそが唯一の道だという意味である。 人は安易な生き方を選ぶ。車やテレビ、電気を手放すことに、抵抗感が薄い人などほとんどいない。私が思うに、穏当で計画的な手段によって産業主義的な体制を解体することなどできはしない。それを取り除くための唯一の方法は、機能停止させたうえで破壊することだと思う...大きな問題は、人は革命が起こるとは考えてもいないということだ。正確には、それが可能だと信じていないから不可能なのだ。エコアナキズムの運動が大きな成果を上げていることは私も認めるが、まだ足りない...。真の革命は改革とは距離をとるべきだ...。できるだけ多くの人が自然に親しめるように意識高い努力がされていればいいとは思う。ざっくり言えば、すべきことは自分たちが正しいと世間の大半に納得させたり説得することではなく、まずは体制が機能停止になるところまで社会に緊張感をもたらすことを目指すべきだ。人が反逆者に変わるだけの社会不安をつくりだすんだ。それではどうやってその状態まで緊張感を高めるのか? — セオドア・カジンスキー
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