メジャー昇格と退団までとは? わかりやすく解説

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メジャー昇格と退団まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/01 07:11 UTC 版)

ロイ・オズワルト」の記事における「メジャー昇格と退団まで」の解説

2001年5月6日メジャーデビューすると、リリーフで8試合2勝1敗・防御率1.93という成績残して先発ローテーション入り8月には6試合で4勝0敗・防御率1.99という成績挙げてルーキー・オブ・ザ・マンス選出されるなど、先発転向後も好投続けたシーズン通算では28試合14勝3敗・防御率2.73を記録この年メジャー新人投手の中で防御率勝率は1位、奪三振数と投球回数はC.C.サバシアに次ぐ2位という活躍だった。また14勝は、ジム・デシェイーズが持つ球団新人記録15年ぶりに更新するものであったルーキー・オブ・ザ・イヤー投票ではアルバート・プホルスに次ぐ2位となっている。 2002年20勝まであと1勝に迫る19勝(9敗)を挙げ防御率3.01・208奪三振と、2年目のジンクスとは無縁好成績を残す。7月27日から9月8日にかけては球団記録となる9戦9勝を記録しその間8月にはピッチャー・オブ・ザ・マンスにも選出されている。サイ・ヤング賞投票ではエリック・ガニエとともに4位に。 2003年には3年目で初の開幕投手となるなど、アストロズエースとして地位確立した2003年故障のため登板数が21とどまったが、2004年以降3年間はロジャー・クレメンスアンディ・ペティットとともに強力な先発ローテーション形成。オズワルトはかつて逃した20勝を2004年・2005年2年連続達成する活躍見せたアストロズはこの両年ともナショナルリーグ中地区2位となり、ワイルドカードとしてポストシーズン進出。特に2005年は、リーグ優勝決定戦同地区カージナルス相手に4勝2敗で勝利し球団創設44年目で初のリーグ優勝ワールドシリーズ進出果たした。この優勝決定戦でオズワルトは、2戦2勝・14イニング2失点好投シリーズMVP選出された。ただ、ワールドシリーズではアストロズホワイトソックスに0勝4敗で敗れ世界一には届かず。それでもシーズン終了後、オズワルトはリーグ優勝決定戦第6戦で勝利投手になったご褒美として、球団オーナーのドレイトン・マクレーンからブルドーザー贈られ「いいクリスマスプレゼントだね」と喜びあらわにした。 2006年打線援護受けられず、勝ち星こそ伸びなかったものの、防御率2.98で最優秀防御率タイトル獲得。これらの活躍受けてアストロズ同年8月29日5年総額7,300ドル6年目2012年オプション)でオズワルトとの契約延長した2007年には、1957年以降では6番目の速さとなる191登板目での通算100勝を達成2008年も、前半戦こそ不振だったものの、後半戦には32.1イニング連続失点球団新記録を樹立するなど、オズワルトはエースとしてチーム支え続けた。しかしこの3年間、アストロズポストシーズンへ進むことができず。2006年シーズン終了後クレメンスペティット退団してからは、先発ローテーションでオズワルトに続く2番以降に力のある投手がいなくなり、またドラフトでの新人獲得軽視していたためチーム全体選手層薄くなったこともあって、チーム力徐々に落ちていった。 2009年3月、オズワルトは国際大会第2回ワールド・ベースボール・クラシックアメリカ合衆国代表一員として出場準決勝日本戦に先発登板するも、1点リード迎えた4回裏につかまり城島健司犠牲フライ逆転を許すなど3.2回6失点乱調敗戦投手となってチーム敗退した。またその後MLBレギュラーシーズンでは、6年ぶりに投球イニング数が200下回りメジャー昇格以来初となる勝利数1防御率4点台と、精彩欠いた2010年、オズワルトは4月5日開幕戦から5月26日まで10試合連続QS記録しこの間防御率は2.35と好投続ける。しかしチームランス・バークマンカルロス・リー主軸軒並み打撃不振に陥り、同日終了時点1630敗の地区最下位沈んでいた。この状況にオズワルトは、オーナーマクレーン代理人通じて優勝狙えチームトレードしてほしい。そのためならトレード拒否権破棄して構わない」と伝えた。このニュースを受け、前年までの9年間で13770敗・防御率3.23という成績残してきた投手獲得複数球団名乗りを上げた。

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メジャー昇格と退団まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 23:31 UTC 版)

ベン・リビア」の記事における「メジャー昇格と退団まで」の解説

2010年9月7日カンザスシティ・ロイヤルズ戦でメジャーデビュー2011年AAAロチェスター・レッドウイングススタートしジム・トーミとジェイソン・レプコ(英語版)の故障によって5月4日メジャー昇格その後メジャー定着し、「1番・中堅手」での出場機会増えた最終的に117試合出場してリーグ7位の34盗塁マークした7月15日ロイヤルズ戦では、三塁打放った際に、二塁三塁の間でバランス崩し宙返りしながら三塁ベース到達する珍プレー”を起こし話題になった2012年40盗塁記録した

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メジャー昇格と退団まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 01:48 UTC 版)

ビル・ホール」の記事における「メジャー昇格と退団まで」の解説

2002年9月1日シンシナティ・レッズ戦においてメジャー・デビュー。この時は1打数無安打空振り三振)に倒れたが、翌9月2日シカゴ・カブス戦では、ジョー・ボロウスキー投手からキャリア安打となる2点本塁打放った2003年7月21日メジャー再昇格果たし52試合出場8月24日から28日まで3試合連続本塁打を、25日には1試合4安打それぞれ放つなど、8月24日から30日にかけて5試合連続安打マーク2004年初めメジャーフル・シーズン過ごし126試合出場7月18日から26日8月1日から8日、同13日から20日と、3度わたって7試合連続安打マーク2005年は、打率.291 ・ 出塁率.342 ・ 17本塁打18盗塁結果出し初め規定打席クリア守備では遊撃手66試合三塁手59試合二塁手23試合務めた。対左投手打率は.336、ホームでは.310と相性良く5月19日から28日まで9試合連続安打6月21日にはジェローム・ウィリアムズ投手からキャリア初の1試合2本塁打放つなど、マルチヒット39記録2006年J.J.ハーディ長期離脱もあって、主に遊撃手として127試合出場。他に二塁手三塁手中堅手としても出場し打って本塁打打点チーム二冠となった他、得点二塁打三塁打長打塁打四球もチーム・トップと打棒快調攻守両面活躍評価され全米野球記者協会によるチームMVPとグッド・ガイ賞を受賞35本塁打のうち27本を遊撃手として放ったが、これは遊撃手としては両リーグ最多であり、ロビン・ヨーント1982年29本)に次ぐ球団歴代2位好記録でもある。4月29日から5月2日まで4試合連続本塁打5月11日から22日まで11試合連続安打7月8日から8月20日まで遊撃手として35試合連続失策シーズン終了後日米野球アメリカ代表チーム選抜され来日2007年2月5日4年間の長期契約成立球団オプション付き)。 同年運動能力の高さを買われ中堅手コンバート正中堅手として、130試合勤め上げた35二塁打プリンス・フィルダーと並ぶチーム最多で、4月16日にはトッド・コフィ投手からキャリア初のグランドスラムを、6月20日にはバリー・ジト投手から生涯2発目となるグランド・スラムを、6月27日にはデーブ・ボルコウスキー投手から通算500本目となる安打を、それぞれ放った6月12日デトロイト・タイガース戦ではジャスティン・バーランダーノーヒットノーラン許しチーム敗れたが、ホールは3四球選び3度出塁している。しかし7月足首捻挫し故障者リスト入りしたこともあり、前半戦打率.271に対して後半戦打率.226と失速した。なお、ホール野球普及のための啓発活動にも取り組みシーズン終了後12月15日にはアフリカ系アメリカ人少年少女14人を引率してカンザスシティにあるニグロリーグ博物館訪れた。これは、今やMLB全体占め割合が9.2パーセントにまで落ち込んだと言われる黒人競技者人口増やすためのツアーで、ホールは「我々に出来ること小さなことだが、わずかなりとも増加につながることを期待したい」と願い込めた2008年三塁手として113試合務め4月には月間本塁打を7本放ったが、以後低空飛行長く続いた6月にはスタメンはずされたことに激昂し首脳陣トレード願い出た7月21 - 22日にかけて2試合連続決勝弾を叩き込んだものの、打撃成績平凡な数字終わり、「遊撃 - 中堅 - 三塁立て続けタライ回しにされたことが、バッティング悪影響もたらしているのではないか」と懸念されている。 2009年8月11日DFAとなった

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