メジャー王座時代
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「ハビエル・カスティリェホ」の記事における「メジャー王座時代」の解説
地域王座を長く守った後の1999年1月29日にカスティリェホは2度目のメジャー王座挑戦を行いキース・ムリングスを2-0判定で下しWBC世界スーパーウェルター級王座を獲得した。同王座は5度防衛し大東旭と対戦する話も浮上したが、2001年6月23日にオスカー・デ・ラ・ホーヤの挑戦を受ける。このタイトルマッチはデ・ラ・ホーヤの5階級制覇を賭けた試合となり、圧倒的大差の判定で敗れ王座から陥落した。 しかし、敗れた後2002年1月11日には空位のEBU欧州ミドル級王座を獲得し、同年7月12日にローマン・カルマジンを3-0判定で下し、WBC世界スーパーウェルター級暫定王座を獲得した。同王座は1度防衛したあとに返上し、階級をミドル級に上げた。 既に30代後半になっていたが、経験を活かした新たなボクシングスタイルを身に付け、2006年7月15日にフェリックス・シュトルムとシュトルムの本拠地ドイツでタイトルマッチを行い、10回TKOで勝利してWBA世界ミドル級王座を獲得し2階級制覇を成し遂げた。 2006年12月2日のWBA世界ミドル級王座の初防衛戦でマリアノ・カレラ(アルゼンチン)に11回TKOで敗れた。しかし、ドーピング検査で違反薬物のクレンブテロールがカレラから検出された為、カレラは王座を剥奪され、カスティリェホに王座が差し戻された。WBA世界ミドル級王座は2007年4月28日に行われた前王者のフェリックス・シュトルムとの再戦で、12回0-3判定で敗れて王座から陥落した。
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