メジャー映画会社初のピンク映画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 20:53 UTC 版)
「徳川女系図」の記事における「メジャー映画会社初のピンク映画」の解説
本作以前にも大手映画会社は古くからエロティックな映画や成人映画を作ってはいたがこれらの映画は基本的に会社の専属女優によるエロティックな場面が一部含まれるだけで、女優のヌードやセックスシーンがたくさん登場するということではなかった。ところが1960年代に入り大蔵映画、国映などの独立プロがこうした性描写をメインとするエロ映画を量産し、これをピンク映画と呼ぶようになったが、大手五社がこのピンク映画に手を染めることは大きな抵抗感があった。しかし東映の岡田茂プロデューサーは恥も外聞もなく一線を越える。本作が大手映画会社初のピンク映画と呼ばれる理由は、東映専属の女優以外にピンク映画の女優を大量投入したことである(少数出演した映画はこれ以前にも数本ある)。大手映画会社専属の女優は簡単には脱いでくれなかった。岡田はこれらを当初「刺激性路線」とネーミングしていた。
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