メジャー昇格から退団まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 03:10 UTC 版)
「カルロス・マーモル」の記事における「メジャー昇格から退団まで」の解説
2006年6月4日、セントルイス・カージナルス戦でメジャーリーグデビューを果たした。自身初のメジャーリーグでの登板は2.0イニングに登板し、三振を3個奪うという内容だった。2005年まで、マイナーリーグでは主に先発投手として登板していた為、2006年もカブスで先発投手として登板する機会が多かった。最終的には19登板のうち13試合に先発投手として登板。メジャー初勝利を含む5勝を挙げたが、勝利数を超える7敗・防御率6.08という成績に終わった。元々野手をやっていたので、この年は打率.261・1二塁打・1本塁打・1打点と、バッティングが良いところを見せた。 2007年は、リリーフ専業の投手として、59試合すべてにリリーフ登板。前年に6.00を超えていた防御率は1.43まで低下し、5勝1敗1セーブという数字を残した。また、691⁄3イニングで96奪三振(奪三振率12.47)を記録するなど、この頃から投球イニングを上回る三振を奪っていた。 2008年、登板試合数を24試合上積みし、最終的にはシーズン試合数の半数以上となる82試合に登板した。この年は87.1イニングで114個の三振を奪い、奪三振率は11.75という数値だった。 2009年開幕前の3月に第2回WBCのドミニカ共和国代表に選出された。予選のオランダ戦で延長11回に悪送球してしまい、ドミニカが予選で敗退する原因となってしまった。 シーズンでは、WBCでの調整不足の影響から10.0イニングで5死球、6月までの26.0イニングで30死球を記録するなど、死四球を連発した。しかし、シーズン終盤に当時のカブスのクローザーであったケビン・グレッグが調子を落としたため、8月の途中からクローザーを務め、15セーブをマークした。最終的には79試合に登板したが、リリーフ投手専業になって以降では最低の防御率(3.41)だった。一方、この年も投球イニングを上回る奪三振を記録した(74イニングで93奪三振・奪三振率11.31)。 2010年は、年間通じてクローザーとして登板し、77試合に登板(3年連続で77試合以上に登板した)。防御率2.55・2勝3敗38セーブという数字をマークした。また、772⁄3イニングで自己ベストの138奪三振を記録し、奪三振率15.98という数字を記録。これは、2003年にロサンゼルス・ドジャースでクローザーを務めていたエリック・ガニエの記録を更新する数字だった。それまでも2007年以降は11.00以上の奪三振率を記録していたが、それが2010年になって急上昇した(奪三振数が増えた)理由としては、それまでフォーシームの速球とスライダーの割合が半分ずつくらいであったのを、速球約4割に対してスライダー約6割という割合に変えた事が挙げられる。また、変化球がスライダーだけにもかかわらず滅多に打たれないのは、3種のスライダーをそれぞれ異なる軌道で投げているからである。 2013年は、開幕から不振で4月7日には藤川球児に抑えが配置転換された。
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