メジャー昇格、ポストシーズンでの好投
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 07:50 UTC 版)
「フランシスコ・ロドリゲス」の記事における「メジャー昇格、ポストシーズンでの好投」の解説
2002年9月のロースター枠拡大(いわゆる "セプテンバー・コールアップ")に伴いロドリゲスはメジャーへ昇格し、18日のオークランド・アスレチックス戦でメジャーデビュー。レギュラーシーズン終了まで5試合に登板し、球団タイ記録の8者連続を含む13三振を奪う。エンゼルスはシーズン開幕前の大方の予想を覆し、99勝63敗でアメリカンリーグ西地区2位となりワイルドカードを獲得、ポストシーズンへ進出した。9月にメジャーへ昇格したロドリゲスは本来はポストシーズンのロースター枠には入ることができないが、故障したアーロン・シーリーの代役として、特例でロースター入りが認められることに。メジャー昇格時にはロッカーのネームプレートを "Rodrigues" と間違った綴りにされた程度の存在だったが、好投を続けることでチーム内で自身のポジションを確立した。 前年のリーグ王者ニューヨーク・ヤンキースとのアメリカンリーグディビジョンシリーズ(ALDS)第2戦で、ロドリゲスはポストシーズン初登板。2点を失い逆転を許したものの、その後チームが再逆転し勝利、ロドリゲスは勝利投手となった。続く第3戦では2イニング無失点4奪三振、第4戦では1.2イニング無失点3奪三振と好投。ロドリゲスの3連投とともにチームも3連勝し、1994年にリーグが3地区制となって以来初となるリーグチャンピオンシップシリーズ進出を果たした。ミネソタ・ツインズと対戦したアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ(ALCS)では、ロドリゲスは第2戦から第5戦まで4連投し、防御率0.00と相手打線をほぼ完璧に抑える。このシリーズでもロドリゲス登板試合でチームは全勝し、球団創設42年目で初のリーグ優勝・ワールドシリーズ進出を決めた。サンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズでは、まず第2戦で3イニングを投げて相手を無安打無得点に抑え、シリーズ史上最年少の20歳286日で勝利投手に。しかし、第4戦では安打と捕逸で走者を二塁に背負うと、デビッド・ベルに決勝適時打を許し、このポストシーズン初黒星を喫した。さらに第6戦でもバリー・ボンズのソロ本塁打とジェフ・ケントの適時打で2失点。それでも最終第7戦では1イニングを3奪三振・無失点に抑えた。エンゼルスは3勝3敗で迎えたこの第7戦に勝利し、球団史上初のワールドシリーズ優勝を成し遂げた。このポストシーズン3シリーズでロドリゲスは計11試合に登板。18.2イニングで28奪三振を記録しただけでなく、前年のランディ・ジョンソンに並ぶポストシーズン史上最多の5勝(1敗)を挙げている。この活躍により、"K-Rod" という愛称が生まれるなどロドリゲスの知名度・人気が高まった。 2003年は59試合に登板し、86イニングで95三振を奪った。 2004年はオールスターゲームに初めて選出されるなど年間を通して安定。123奪三振は、デュウェイン・バイス(英語版)が1987年に記録したリリーフ投手としてのシーズン奪三振球団記録を14更新するものだった。サイ・ヤング賞の投票では4位に入っている。シーズン終了後には日本で開催された日米野球に出場し、11月6日の第2戦でセーブを記録した。
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