石器の手で掴む形で使用した石斧
殷代の翡翠製の斧
ドイツ、ブランデンブルク州立考古学博物館収蔵のソケット式の青銅斧
中世
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(2015年2月 )
斬首刑用の斧を持った死刑執行人 。処刑の台と斧を砧斧(ちんぷ)という[ 3] 。
近代、現代
アラスカ州 ケチカン での丸太切り競争
開拓時代 のアメリカ東海岸 地域は広大な森林地帯であったため、効率的に開拓するために斧が改良され、元来のヨーロッパ式のものに比べ柄が湾曲し太くなり、刃も強く孤を描くように作られた。それまでのヨーロッパの直線柄で刃の細い斧に比べて1.5倍もの威力と振動吸収性があると言われている。
日本の場合はアメリカやヨーロッパで主に斧の柄に使用されるヒッコリーよりも耐久性に優るカシが斧の柄に用いられるため曲線柄にする必要は無い。
日本
日本の伝統的な斧(三木市立金物資料館 )
旧石器時代、縄文時代、古墳時代など
日本においても旧石器時代より斧は「石斧」として使用されてきた。はじめは石を打ち欠いて整形した「打製石器」だったが、縄文時代 に滑らかに研ぎ澄まされた「磨製石斧」へと進歩し、大いに作業性が高まった。大木の根元で火を焚き、石斧で削りとる方式で伐採されたクリ の巨木で作られた櫓や「ウッドサークル」を、青森県 三内丸山遺跡 や北陸のチカモリ遺跡 に見ることができる。弥生時代 に中国大陸 や朝鮮半島 より鉄製の斧が伝来したが、当時は鉄が貴重品だったため、鉄の使用量が少なくて済む、鍬 のように木製の刃の先に鉄を被せた形状のものが流通していた。それでも貴重な品で、権力者の石棺 に副葬品として納められるほどの重要性を持っていた(なお、戦前まで沖縄 で使われていた斧「ウーヌ」は、これとよく似た、木の台に刃を被せた形状である)。やがて鉄器 製造技術の向上によって斧は刃の全てを鉄で作られるようになり、古墳時代 から飛鳥時代 にかけて全国的に広まり、さらに続縄文時代 だった北海道 にも伝播した。
鋸 がほとんど普及していなかった鎌倉時代 以前の日本において、斧・ちょうな ・槍鉋 は伐採から製材と仕上げをこなす唯一の道具であった。斧で木を伐り倒して断ち切り、楔で引き裂いて角材や板材の大まかな形を取り、ちょうなや鑓鉋で表面を仕上げる。この時代のちょうなは現在と似たようなものから刃幅3センチメートルくらいの片手で扱うものまで多種多様であった。日本では杉 、檜 のように、木目が通っていて引き割りやすい針葉樹 が豊富であったため良質な材が枯渇しだす鎌倉時代までは鋸が普及することはなかった。法隆寺 などにおいては、柱はもとより戸板や窓の格子に至るまで、樹齢2千年級の檜の巨材を斧で断ち切り、楔で打ち割ることによって素材を得ている。このような状況ゆえに、良材を原料にしなければ作れない大型の板は、大変に高価なものだった。
鎌倉時代と南北朝時代、江戸時代
やがて鎌倉時代 に丸太を横に寸断できる横挽き鋸が普及し、さらに室町時代 には大陸から大型の縦挽き鋸(大鋸)が伝来した。以降は節の多い材や、ケヤキ のような木目の入り組んだ材であっても挽き割って角材や板に加工できるようになり、木材は大いにコストダウンされた。さらにそれまで斧のみが使用されていた伐採作業もノコギリ が併用されることとなった。ただし明治時代に入るまでは盗伐防止のために伐採時に音のしないノコギリは禁止され、斧の使用のみが許可されている藩もあった。
明治時代以降
明治時代 以降、良質で安価な鉄材が入手できるようになると、鋸が多用される傾向がさらに高まった。第二次世界大戦 後には、小型・軽量化が著しく進んだチェーンソー や電動ノコギリなどの進歩により、化石燃料 の使用、あるいは「薪割り機」の登場により、斧が使用される場は狭まっている。その一方で、握りやすい曲線的な柄など西洋式斧の利点を取り入れた和式の斧が開発されてもいる。
武器としての使用
斧や鉞は古代より武器としても用いられたが、近接戦の雑武器の一つにすぎず、刀剣や弓矢などのように目立つものではなかったが、源平時代のころから戦場の主な武器の一つとして表舞台に顔出しするようになる。当時は騎馬武者を主力とした戦闘形態で、武者は太刀や弓矢を通さない堅い鎧や兜で武装していた。だが鉞は馬の脚を折り、斬ることで騎馬武者の戦闘力を削ぎ、鎧の上から骨を砕き、深手を負わることが可能だった。そうした威力が評価されて人気の武器となり、剛勇の士の得物となる。その頂点と言えるのが南北朝時代に流行した大鉞である[ 4] 。また、戦闘よりも攻城戦での破砕用に使われたとも言われる[ 5] 。だが、その重量と大きさゆえ、体力と筋力に優れた者にしか扱えない事が欠点だった。
14世紀には鉞は一般的な武器であったが、槍や鉞よりは薙刀 の方が一般的であった。また14世紀後半には槍が戦場の武器として威力を発揮し、鉞は廃れていく。槍や大太刀も支持された武器であったが江戸時代の剣術の稽古には使いづらく、流派は多くが廃れてしまった。鉞は独自の流派を生み出すことがなかった[ 6] 。
象徴、宗教的儀式
少なくとも新石器時代後期以降には、精巧に作られた戦斧や丁字斧などは宗教的な重要性を持っており、またその所有者の地位の高さを示したと考えられている。ある種の斧は、ほとんど磨耗の跡が無い。新石器時代中期の柄の無い斧の刃だけが蓄えられたもの(イギリスのサマセット・レベルのように)は神への贈り物だったのかもしれない。
ミノア文明の金のラブリュス
ミノア文明 時代のクレタ島 では両刃の斧(ラブリュス 、labrys)が特別の意味を持っていた。両刃の斧は新石器時代にまで遡る。1998年 には精巧に装飾された柄の完備した両刃斧がスイスのツーク、チャムエスレンで見付かった。柄は長さ120センチメートルで、装飾された樺 の樹皮で包まれていた。斧の刃は長さ17.4センチメートルで、Gotthard地域で採掘されたアンチゴライトで作られていた。柄は両円錐形の穴を通し、枝角のくさびと樺のタールによって固定されていた。それは初期Cortaillod文明に属する。
薔薇戦争 のテュークスベリーの戦い 後の斬首刑(1471年)
ローマ の束桿 (ファッシ)では斧が斬首する権能を表すという説もある。
実際にヨーロッパ諸国では近代まで斧による斬首刑 が行われてきた。最期の斧による斬首刑は1900年12月10日にスウェーデン のヴェステロース で執行されたヨハン・フィィップ・ノーデァンドだと言われている。ちなみに、断頭台 とは斧による斬首刑を行う場合に斧の下にある木の台のことを指していた。
民間伝承では石の斧が時々雷電 であると考えられ、(神話的に)稲妻が同じ場所に2度落ちないと言われている(現在ではこれは真実でないと分かっている)ので、建物を稲妻から保護するために使用された。このために斧の伝播に偏りを引き起こした。
投げられた斧は嵐を近付けない力があると考えられたので、ときどき収穫物を悪天候から守るため、刃を空に向けて農地の中に置かれた。家の敷居の下に直立した斧を埋めると魔女除けになると言われ、またベッドの下に斧を置けば男子の誕生を保証すると言われた。
中国
中華民国 の国章(1913年2月-1928年12月まで) 。古代中国の皇帝が着ていた袞衣 のデザイン「十二章 」をモチーフにしており、果断を意味する斧が中央に置かれている。
中国山東省 亜醜族(中国語版 ) の青銅製・人面文大鉞。殷 (商代)において亜醜族は商の王と親密な関係を築いており、鉞は軍事的政治的儀式的な権限を象徴する武器として、首長が保持していたと考えられている[ 7] 。
斧の刃を下に向けたものが象形字「王 」となった。これは古代中国の王が、罪人や反逆者を斧を用いて裁く権限を持っていたことに由来する。そこから、軍権・専断権の象徴となった。配下にそれらの権限を与える際には斧鉞を与えている(符節(中国語版 ) もしくは仮節鉞)。日本武尊 や神功皇后 の持つ鉞によって権力の移譲された記述をみるに古代日本にも風習が伝来していたようである[ 8] [ 9] 。
中国では霊力 を持つと考えられ、玉座の前での儀式に使用された。古代王朝・殷 においては、巨大な銅製の鉞で人身御供 (多くは、罪人や捕虜)の首を刎ね、供物として神に捧げた。
歴代の皇帝が着ていた袞衣 のデザイン「十二章 」にも「果断(ためらわない決断)」の象徴として取り入れられ、中華民国 の1913年2月-1928年12月までの国章 ともされた。
日本
三ツ緒伐りで伐採されたヒノキの切り株。幹が3本脚の状態で立つ状態に斧でえぐり、最後に3本脚の1本を切断して倒す
日本でも、斧は神事 にも用いられており、その代表例は伊勢神宮 の神宮式年遷宮 に用いられる用材の伐倒式である。これは斧入れ式と呼ばれ、古来から伝わる「三ッ緒伐り」という方法で2本の檜 の巨木を伐採する。
まず木の3方向から斧でえぐる様に伐りこみ、3つの切り込みが木の中で繋がって木が「三本足」の状態で幹を支えている状態にする。最後に三本足のうちの1本を切断すれば、木は反対方向に倒れる。この方法で、2本のヒノキが重なるように倒す。近年では、1997年 に岐阜県 加子母村 の国有林 内で行われた。チェンソー 全盛の時代でも、伊勢神宮では次の式年遷宮のため、専門の樵 がこの伐採方法を伝承している。この伐採法では絶対に芯抜けが起きないため材木が無駄になりにくいという利点がある。特に巨大な木の場合は足を四本にした「行灯」と呼ばれる方法で伐採する。ケヤキなどの割れやすい木材の場合は、割れの防止のために斧で彫り込んだ穴の内部で火を燃やして炭化させてから倒す方法などを用いる。
長野県 諏訪大社 の御柱祭 でも、儀式に使用される樅 の大木は斧と鋸 を利用した昔ながらの方法で伐採される。山から下ろされた巨大な丸太は支える綱を斧で切断されて「木落し坂」を滑り落ち、最終的には斧で先端を削られた後、諏訪大社の境内に立てられる。
日本の伝統的な伐採斧の刃には7ツ目、脂抜き、流し目などと呼ばれる一方の側面に3本、もう片方に4本刻まれた筋の模様がある。これは地方によって様々に異なる解釈や伝承があり発祥も定かではないため多数の説がある。山の神 と火の神、鉄の神に敬意をはらう意味であり、同時に「三を四ける」つまり「身を避ける」で、危険な山仕事の最中、事故から身を守るために信仰として刻まれたものであるという説がある。
また他に、3本の筋には伊弉諾尊、天照皇大神、伊弉冉尊、4本の筋に八幡大神、春日大神、豊受大神、猿田彦大神の四大神を祀っているという解釈がある。宮大工の西岡常一 による説では三本の筋をミキと呼び酒を表し、四本の筋をヨキと呼び地水火風、つまりこの世の四方山の山海の幸を表す。深山ではお供え物を持参することが不可能なためお供え物を表した斧をこれから切る木に供えて木を切らせてもらうことについての感謝や許可、作業の安全などを祈るために存在する模様であるとしている。この説の根拠としてすでに倒した木を加工する斫り斧や大工鉞には7ツ目が刻まれることはほぼ無いということがあげられる。
その他
Burying the hatchet(英語版 ) - 直訳「斧を埋める」で「和平」を意味する英語の慣用句。北米先住民イロコイ連邦 の慣習に由来する。
斧の形式
木の切断・成型のための斧
フェリングアックス(伐採斧)
両刃式の伐採斧
木を伐るなど、木材を木目と垂直に切るためのもの。木の繊維を軽快に切断できるよう、刃は薄く、鋭い。片刃または両刃があり、また重量、形、柄の形状、切断する素材の特性に合わせた切断形状には様々なものがある。特に北米では、伐る樹木の硬さに合わせて刃を使い分けるために「両刃斧」が広く使用されている。日本式の伐採斧は「よき 」とも呼ばれ、木に深く打ち込めるよう、刃渡りが狭く、峰から刃までが長い。特に北海道のサッテ(去手)と呼ばれる斧はそれが顕著で横に振る際にブレを生じやすく、操作には熟練を要する。
スプリッティングアックス(薪割り斧)
薪割り など。木材を木目の方向に分割するために使用される。刃は分厚くて重く、くさび に近い形状。西洋式の斧でも、柄は直線の場合が多い。
ブロードアックス(はつり斧・まさかり)
鉞
ブロードアックス
斧よりも刃渡りの部分が長く、柄に差し込む部分(ひつ)と刃の間がくびれている縦斧。
丸太の側面を削ぎ、角材を作り上げるために使われる。刃の形状はのみ 状(片面は平らで、もう片面は斜角がつけられた刃)で短い柄が装着されより精密な作業が可能なように作られている。「鉞 」「刃広」「たつき」と呼ばれる日本式のそれは土佐のものを除き、そのような刃の形状ではなく、1回での作業量を多くするために、刃渡りは20センチメートル以上、柄の長さは1メートル以上に達し、重量3 - 4キログラム弱の非常に大型の斧である。
製材時に丸太の表面を削ぎ落とすほか、小さい木の枝を落とす(枝払い)、木の成長過程で育ちの悪い枝を除去する(枝打ち)ことなどに主眼を置いた工具である。
釿(ちょうな)
鍬 に似た形状をした横斧。木材の粗削り用工具として世界中で使われた。
武器としての斧
中世の戦斧
斧は庶民の生活の道具であったがために規制を受けず、刀 や弓 と異なり訓練を受けることなく利用できたことから、古今東西に武器として特化した斧が存在する。日本の律令 時代では兵が装備するものとして、斧1つ、小斧1つ、手鋸1つなどが記されており[ 10] 、斧が兵装として認識されている。また、漢字 の「王」の字は闘斧に由来し、クレタ島 のミノス文明 における王権の象徴 も双闘斧がたびたび用いられている[ 11] 。
柄を長くして破壊力を増したもの
目標に向かって投擲する投げ斧
また、戦場では武器として以外にも攻城用(壁、石垣の破壊等)や陣地整備用の工具としても使用された。フランス外人部隊 の工兵は、通常の服装・装備は他部隊と共通である一方、式典の礼装では小手付き手袋と革製エプロンとを着用し、右肩に斧を携えた姿となる。
その他の目的の斧
消防斧を持つ消防士
消防器具ハリガン・バー と斧を合わせた「set of iron」
釿
木工 用の横斧。木を削る作業に使われる。
消防斧、消火斧
刃の反対側にピッケル状の尖った台が付いた斧。消火活動の際、建物に侵入するため窓を壊したり、障害物を破壊するために使う。
プラスキー
刃の後部につるはしを備えた斧。根のまわりを掘ったり根を切ったりするために使う。マクラウド(くわと熊手を組み合わせたような道具)に加えて、山火事の消火、道路建設、やぶの開墾などに利用される。
スプリッティングモール
単純な「くさび」から複雑な意匠へ発展した割るための道具。スレッジハンマーの打撃面の反対側に重いくさび形の頭を持つ。このほか、円錐形の「刃」や、旋回する「小くさび」をもつものもある。
ハリガン・バー
釿 もしくは横斧とバール を組み合わせた道具。警察や消防が建造物に突入する際に使用する。通常の斧や消防斧と合わせmarried setまたはset of ironと呼ばれる。
ピッケル 、アイスバイル
積雪期の登山 に使うつるはし のような形の道具。薄い刃が付けられており「Ice axe」と呼ばれる。
文化
斧が重要なモチーフになっている物語
「金の斧 」(イソップ寓話 ) - 川に斧を落とした樵 の前にヘルメース が現れ、落としたのはこの金の斧か、銀の斧か、鉄の斧か、と順に尋ねる。樵は正直に「鉄の斧」だと答えたため、褒美として金と銀、鉄のすべての斧を手にした。それを聞きつけた不正直な男が、川にわざと鉄の斧を投げ込む。金の斧を持って現れたヘルメースに男は「私が落としたのはそれです」と答えたため、嘘つきの罰としてすべての斧を奪われた、というお話。
日本の昔話 や童謡 の金太郎 は「まさかりを担いで熊の背に乗っている」と描写されている。
『犬神家の一族 』(横溝正史 ) - 家宝の「斧、琴、菊(よき、こと、きく)」による見立て殺人 を、私立探偵 の金田一耕助 が解決する推理小説 。
イベント
アイスコラリ(英語版 ) - 斧で丸太を割るゲーム。バスク地方の他、オーストラリア、ニュージーランドでも見られる。
斧始祭(おのはじめのまつり) - 大宰府天満宮で、宮大工が斧を使い仕事の無事を祈る儀式。
脚注
^ a b “山で働く ”. 熊本県総合博物館ネットワーク・ポータルサイト. 2019年11月2日 閲覧。
^ アメリカのマーブルス社製の「セーフティアックス」など。
^ 「砧斧 」。https://kotobank.jp/word/%E7%A0%A7%E6%96%A7 。
^ 戸田藤成. 武器と防具 日本編 . 新紀元社
^ 近藤好和. 騎兵と歩兵の中世史 . 吉川弘文館
^ トマス・D・コンラン. 図説 戦国時代武器防具戦術百科 . 原書房
^ 悠久の美―中国国家博物館名品展 東京国立博物館
^ 日本書紀 景行天皇
^ 日本書紀 神功皇后
^ 『日本思想大系 律令』 岩波書店 1976年
^ 角田文衛 ・上田正昭 監修 『古代王権の誕生 Ⅰ 東アジア編』 角川書店 2003年 p.12.
^ 使用例として、『土佐物語 』巻第十五「信親死骸葬る事」に、天正 14年(1586年 )の一揆 の際、「大の男が大斧(まさかり)をもって打ちかかるが、中島重房16歳は打ってきたと同時に飛び、斧を踏み落として、斬りつけた」という記述がみられる。
関連項目
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