ウォルター・ウルフ・カウンタック
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「ランボルギーニ・カウンタック」の記事における「ウォルター・ウルフ・カウンタック」の解説
LP400のスペシャルモデルとして有名なのが、3台作製されたウォルター・ウルフ・カウンタックである。スーパーカーブーム当時以来、1、2号車は「LP500S」とも呼称される。 カナダの石油王でF1ウォルター・ウルフ・レーシングチームのオーナーウォルター・ウルフはミウラを4台所有しランボルギーニの経営に乗り出そうとしたほどの富豪、ランボルギーニ・マニアであり、LP400の白い量産3号車シャーシナンバー#1120007(4号車。1機前の#1120006の説も有)を1974年に入手した。しかし、ウルフはヒューベルト・ハーネが考案したイオタSVR#3781に後に流用されるウイングをエンジンフード上に付けたこの車の走行性能に不満を持ち、小さなアクシデントをきっかけに、フォーミュラ1の現場で面識のあった元ランボルギーニで1972年にエンジニアリング会社ダラーラ・アウトモビリ S.p.A.を設立したジャンパオロ・ダラーラに特別なハイパワーバージョンにモデファイしたカウンタックをオーダーする相談をした。ランボルギーニ側にはLP500プロトで走行テスト中にブローし棚上げされていた、本来作製する予定だった5Lエンジンをウルフの資金で再開発できる目論見もあった。 「ウルフ・イオタ」も参照。 1号車 下記2号車の先行プロトティーポ車両である。ロッソ(赤色)外装/セナペ(からし色)内装のノーマルLP400(#1120148)がパルマのダラーラ・アウトモビリ S.p.A.(Dallara Automobili)に持ち込まれ、角度調整可能なV字型の大型リアウィング(通称ビッグウィング)、アルミ叩き出し(樹脂製、GFRP製の説も有)の黒いフロントスポイラーとオーバーフェンダー、コンセプトカーのブラボーと同仕様のカンパニョーロ製15インチマグネシウムホイール、ピレリに特注したP7の335サイズ(リア)の扁平ワイドタイヤ、大型化されたブレーキシステム、コニ製サスペンション(アルミケース車高調)、ブレーキ冷却用ダクトホース、オプションのアンサマフラーエキゾーストシステム、レーシングミラーなどが改造装備された赤の「1号車」(#1120148)が下記2号車の先行デモカーとして1975年8月1日に出荷され、ウルフ氏がF1グランプリで世界を転戦する際に飛行機で持って行きレーシングチームのPRも兼ねてパドックの周辺に置かれたり、ドライバーの送迎等にも使用された。「作製時には4970ccのスペシャルエンジンだった」又は「1971年LP500プロトの5.0Lエンジンと同じエンジンで、7,900rpmで447 hpを生成し、315または324km / hの理論上の最高速度を達成する」等の現在の通説とは異なる噂、記述等があったが、5Lエンジンありきのプロジェクトなので標準のカウンタックモデルと同様に「LP500S」と指定、呼称された。内装は340km/h仕様のスピードメーター、サイドシルにはウルフ氏の特別オーダーであることが表記された淡いゴールドのシリアルプレートがビス留めされ、パーソナル製の小径ステアリング、ウィランズ製の4点式レーシングハーネス、消火器等のギアがウルフにより取り付けられ、ドイツの自動車雑誌「rallye racing(ラリーレーシング)」のステッカーが1976年8月号誌面に掲載された時からフロントマーカーレンズ前に(基本的には)貼られている。約1年後に赤い1号車は下記2号車に置き換えられ、1号車はランボルギーニに戻された。その後、日本ではモーターマガジン誌1976年11月号で「カウンタックより速いカウンタック」と報じられオートロマン(環八田園調布所在の頃)によって輸入され、全国のスーパーカーショーでの展示や、オートロマンの撮影協力で1979年公開の日本映画「蘇える金狼」の劇中車としても使用された。ブームが去って以降も日本に留まり、僧侶・タレントの故・織田無道が所有していたことで知られ、放置され荒れた時期を経て、2021年現在は神奈川県横浜市鶴見区のランボルギーニとフェラーリの専門店がレストアし所有している。 2号車 上記LP400#1120007の性能に不満を持ったウルフは、特別に手を加えた4.8Lエンジン(#1120202)を搭載し、サスペンションの改良を受けたカウンタックをランボルギーニに作製依頼し、上記赤のデモカー(1号車#1120148)、同じくLP400から改造されドアミラーは四角い大きいタイプだがウイングレス以外は1号車とほぼ同じビジュアルの(#1120112)作製を経てスカイブルー(ブガッティブルー、BluMetallizato)セナペ色内装に金色ピンストライプ、金の砲弾型ドアミラー、電動角度調整の大型リアウィングの「2号車」(LP400#1120202)が作製され、1号車を納品した一年後の1976年8月6日に出荷された。内装はパーソナルの小径ステアリング、ウィランズ製のレーシングハーネス等のギアが備えられ、石油会社elfのステッカーが前後に貼られた時期もあった。 近況はウイングに翼端板が追加、ドアミラーが四角い空力的なタイプに、4.8Lエンジンに対応した黒のルーバー付き(後のLP400Sタイプ)エンジンフードに変更されてドイツのロッソビアンコ・ミュージアムに展示されていた。2016年5月、イタリアで開催された「Concorso d'Eleganza Villa d'Este 2016」にて、ランボルギーニの元テストドライバーであるヴァレンティーノ・バルボーニの運転で艶消し黒のビタローニセブリング風ドアミラーに交換、MOMOのオリジナルではない小径ステアリングホイール、リアウィングのエンドプレートが付いた姿で登場し、現存していることが確認された。2019年現在はPersonalの金色のドアミラーに戻され、マフラーはANSA製のカッターの中が赤いタイプが使用されている。 ウルフ2号車と同じタイミングで、同じオーバーフェンダー、ブラボーホイールで他に下記車両が作製された。 ・1976年8月出荷。外装赤、内装黒、艶消しブラックのオーバーフェンダー、フロントスポイラー、ユニークなツインプレーン調整可能ウイング、シルバーホイールのErmanno Spazzapan(#1120188)通称カウンタックSS ・1976年8月出荷。ウイングレス、青×金配色、金のピンストライプ、マスタード色内装のシルベラ(ALBERT SILVERA ハイチの富豪)カウンタック(#1120222) 3号車 ウルフカウンタックは好評で、要求の高い顧客達を満足させる為に量産される事になり、ベルトーネのマルチェロガンディーニによりデザインし直された。(LP400S#1121002)はオーバーフェンダーはウルフ1、2号車とは異なり1976年のランボルギーニ・シルエットの流れを汲む台形に近い形状、フロントスポイラー、リアウィングも、手直しが入り、ルーフのペリスコープは廃止され、オーバーフェンダーなど1、2号車でマットブラックだった箇所はボディ同色でウルフレーシングのチームカラーであるネイビーブルー(Blue Special)に塗装、2号車と同じPersonalの金色のドアミラー、内装はSnape色で仕上げられ、ランボルギーニが1978年3月のジュネーヴ国際モーターショーに下記LP400Sのファストデリバリーとなる(LP400S#1121002)をリアウイングが無い状態でウラッコ、シルエット、エスパーダと共に出展した。2号車の4.8Lエンジン(#1120202)がさらなるチューンを施された上でシャーシナンバー#1121002に載せられ、ダラーラの指示で剛性補強バーの追加や車内から制動の前後配分がコックピットから調整可能な巨大なAPロッキード製フロント8ポットブレーキ(リアは4ポット)を備えたブレーキ、クイックな7:1ステアリングシステム、クラッチもボーグ&ベックのドライツインプレートに変更された。ショーの開始時にはボディの前後にウォルターウルフのWの小さいステッカーが貼られていたが、ショー途中で剥がされた。LP400Sプロトティーポとも呼称され「ウルフ・カウンタック3号車」として、ボディのエッジやビッグウイングのセンターに赤と金のピンストライプが入れられ、リアウイングが付けられ1978年4月10日に出荷された。納車後にドイツのブフマン製DINFOSデジタルメーターに交換されている。なお、エンジンを抜かれた2号車にはLP400のエンジンが搭載された。 ウルフが手放した後、ドイツで約10年過ごし、2号車と同じドアミラーが四角い空力的なタイプや、4連のフォグランプ付きグリルに交換されたりしたのを経て、1999年のブルックスオークションに出品された後、日本に上陸したが入手したオーナーは雑誌媒体やイベントに公開せず、車両が現存しているのかも確認できない時期が長く続いた。2014年に東京の新たなオーナーの手に渡りレストアをする前後にオーナー自らがウルフ、ダラーラと会い、3号車の開発のいきさつとエンジン換装についての確認を受け、オリジナルのネイビーブルーに赤と金のピンストライプ、金のビタローニセブリング風ドアミラーで仕上げられ、2015年4月18日に都内ホテルでお披露目され、レストア内容が車雑誌「CAR MAGAZINE」、「GENROQ」、「ベストカー」、「カーグラフィック」などに掲載された。金の砲弾型ドアミラーに替えられ2021年10月にイタリア北部ロンバルディア州コモ湖のホテル「ヴィラデステ」での欧州最古の自動車コンクール「コンコルソデレガンツァ(Concorso d'Eleganza)」にLP500プロト復刻車らと出展された。 以上3台のウルフカウンタックのワイドタイヤ採用に伴うオーバーフェンダーやフロントスポイラー、リアウイング、約5Lに拡大したエンジンユニット等の特徴的なデザイン、仕様は以降の生産モデルLP400S、5000S、5000クアトロバルボーレ、25TH Anniversaryらの開発と、1973年には世界的な金融危機、石油危機を受け売上高の減少したランボルギーニの経営建て直しにつながる重要な足がかりになった。
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ウォルター・ウルフ カウンタック(1号車)
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「カウンタック (漫画)」の記事における「ウォルター・ウルフ カウンタック(1号車)」の解説
神谷聖が所有する伝説の一台。売り主とはネットでのやり取りだけで、ある日宅急便で届けられたらしい。ナンバーもなく、バッテリーも切れていた状態で神谷のガレージに収納されていた。その後、神谷の「運転をしたい」という希望を叶えるために寅さんのガレージで整備を受け、仮ナンバーも交付された。
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