ゆりの花言葉
ゆりの花言葉の由来
(1)ギリシャ神話にまつわる花言葉全知全能の神ゼウスは、その妻で、結婚・出産・家庭の守護神である女神ヘラに隠れ、美しい人間の女性アルクメーネとの間にヘラクレスを設ける。ゼウスはヘラクレスに不死身の力を与えようとするが、そのためにはヘラの乳を飲ませなくてはならなかった。ヘラの嫉妬を恐れたゼウスはヘラが寝ている間にヘラクレスに乳を飲ませようとしたものの、ヘラクレスの吸う力があまりに強く、ヘラは激痛で思わずヘラクレスを振り払ってしまう。このとき飛び散った母乳が天にのぼって天の川となり、地に落ちたものはゆりとなったといわれている。「純潔」というゆりの花言葉は女神ヘラの母性にまつわるこの物語がもとになって生まれたとされる。
(2)聖母マリアにまつわる花言葉
ゆりは聖母マリアに関わり深い花として、純潔・無垢の象徴となっている。マリアがキリストを身ごもったことを天使から告げられる「受胎告知」は様々な宗教画に描かれているが、その中で天使ガブリエルはユリの花をたずさえてマリアに語りかける。ゆりを描いたのは処女の純潔性を強調するためだったが、キリスト教の中では非常に重要なモチーフとなり、1618年には教皇が「無原罪の御宿り」処女懐妊をテーマとする絵画には必ず白いゆりが描かれていなくてはならないという布告を出すまでに至った。「純潔・無垢」というゆりの花言葉は、聖母マリアと強く結びついている。
ゆりの英語の花言葉
ゆり全般の英語の花言葉は、「purity(純粋)」「refined beauty(洗練された美)」。ゆりの種類別での英語の花言葉は、白いゆり「virginity(純潔)・purity(純粋)・majesty(威厳)」、赤いゆり「warmth(優しさ、暖かさ)・desire(願望)」、ピンクのゆり「wealth and prosperity(富と繁栄)」、黄色いゆり「gaiety(陽気)・falsehood(偽り)・I’m walking on air(天にも昇る心地)」、オレンジのゆり「hatred(憎悪)」、カサブランカ「celebration(祝賀)」。
ゆりの色別の花言葉の解説
#白色「純潔」「威厳」白色のゆり=白百合は、英語ではマドンナリリー(madonna lily)とも呼ばれ、キリスト教において聖母マリアに捧げられる花であり純潔のシンボルとされている。そして白百合の花言葉も「純潔」である。
白百合には「威厳」という花言葉もある。純白の清楚な花をつけて茎をまっすぐに伸ばして咲く佇まいに因むと思われる。伝統的なフランス王家の紋章である「フルール・ド・リス(fleur de lis)」は、直訳すれば「ゆりの花」である(実際は別種をモチーフにしているとされる)が、この紋章は5世紀にフランス国王のクロヴィス1世がキリスト教に改宗するにあたり初めて用いられたとされる。そのクロヴィスの洗礼式において聖母マリアが顕現し、祝福の贈り物としてユリを与えたという伝説もある。恐らくこうした伝説にもとづき、白色のゆりには「威厳」「高貴」「自尊心」「誇り」「偉大」「栄華」などの言葉も結び付けられる。
#黄色「陽気」「偽り」
黄色は活力にあふれて輝くようなイメージを伴う。黄色いゆりも「陽気」という花言葉をもつ。他方、黄色いゆりには「偽り」という花言葉もある。これはイエス・キリストの弟子であり裏切り者とされるユダが黄色の衣服を身にまとっていたという言い伝えに因むと思われる。
#ピンク色・赤色「虚栄心」
ピンク色と赤色は、ともに「虚栄心」という花言葉を持つ。これは、キリストが磔の刑に処されることが決まったとき、花々の多くがその決定を悲しんで首を垂れて消沈している中で、ゆりだけは美しい自分の姿を目にすればきっと慰めになるはずだと信じて顔をあげていた、という言い伝えに基づいている。キリストはそんなゆりを悲しそうに見つめ返したことから、ゆりは自分の思い上りに気が付き、あまりの恥ずかしさから赤くなって首を垂れてしまったとされ、そのうぬぼれた気持ちを「虚栄心」という花言葉で表した。
#オレンジ色「華麗」「愉快」「軽率」
華やかな色合いが周囲を明るくすることから、オレンジ色のゆりには「華麗」「愉快」という花言葉が付いた。一方、華やかさも程度が過ぎると軽薄な印象を与えてしまうことから「軽率」というマイナスイメージの花言葉も冠された。
ゆりの本数別の花言葉の解説
ゆりはキリスト教の儀式においては献花として用いられる。1本のゆりは、特にそれが白色の花の場合、「死者に捧げる花」という意味を持つ。ゆりの怖い花言葉
ゆりの中でも特に黒ゆりの花言葉には、「復讐」「呪い」 という怖い意味もある。それは日本の戦国時代の武将、佐々成政にまつわる黒百合の言い伝えの中にみられる話しである。この伝説は、「小百合伝説」と「黒百合伝説」という二つの物語に分かれている。#小百合伝説
織田信長の生え抜きの家臣であった富山の佐々成政は、信長の亡き後、豊臣秀吉と天下を争う柴田勝家側につくが、敗戦して秀吉に屈する。その後、信長の息子信雄と徳川家康の連合軍が秀吉と対峙する「小牧・長久手の戦い」が勃発、成政は秀吉を裏切って連合軍側に寝返る。しかし勝利する前に両者が講和してしまったため、成政の立場は危うく、厳寒の飛騨山脈を越えて家康に再度の蜂起を求めるものの聴き入れられず、むなしく富山に引き返す。
富山には成政の側室が何人かいたが、特に寵愛していたのが小百合姫であった。その寵愛ぶりはすさまじく常軌を逸するほどであったため、他の側室の激しい嫉妬をかっていた。そんな中で小百合姫の懐妊が明らかになる。折しも家康の説得に失敗して帰還したばかりであった成政は、小百合姫の懐妊の報に触れるが、嫉妬に燃える側室の陰謀により、おなかにいるのは小姓との付議密通によりできた子であるという噂を吹き込まれる。説得の失敗もあって気が立っていた成政は激怒、小百合姫の黒髪を手に巻き付け体を引きずって川沿いの一本榎につるし上げる。姫の親族18人が引き立てられ、一人ずつ首を刎ねていきながら、一人死ぬごとに小百合姫を切りつけるという残忍さで、小百合姫も息絶える間際には恐ろしい形相に変わって「立山に黒ゆりが咲くとき、佐々家は滅びる」と呪いの言葉を残した。
#黒ゆり伝説
家康を説得できなかった成政は、冷遇され失意の中にあったが、精進を忘れず秀吉の九州征伐を経てようやく肥後の国の城主の座を与えられる。この優遇の裏には秀吉の正室「ねね」の推挙があったとされる。成政はねねへの感謝のしるしとして、加賀の白山に咲く珍しい黒ゆりを贈ることを思いつく。思わぬ献上物に喜んだねねは、敵対していた側室の淀殿に自慢しようと茶会を開いて黒ゆりを活ける。淀殿は特段の感情を表に出さず平然としていた。その後数日して行われた淀殿の花摘み供養の席で、ねねは廊下の竹筒に他の野花とともに雑に活けて飾られている黒ゆりを見つける。「黒ゆりなどたいした花ではない」という淀殿の意図を見せつけられた思いのねねは、成政が自分だけでなく淀殿にも黒ゆりを贈っていたのではないかとまで疑い、秀吉に成政の悪口を吹き込んで劣勢に追い込んだ。その後、成政は秀吉から死を命じられ、切腹して果てる。奇しくも断末魔のうちに小百合姫が叫んだ呪いの言葉が現実のものになったというものだ。
これらの物語によって「復讐」「呪い」は黒ゆりの怖い花言葉となった。
※ 花言葉の内容は諸説あります。
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