「大覚醒」とその社会的影響とは? わかりやすく解説

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「大覚醒」とその社会的影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:54 UTC 版)

ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「「大覚醒」とその社会的影響」の解説

大覚醒」、「リバイバル (キリスト教)」、および「第一次大覚醒」も参照 独立前北米大陸起こった最も大きな宗教的な出来事として、「大覚醒」」と称される信仰復興動き挙げられる信仰復興リバイバル)とは、衰退した信仰の炎をもう一度燃え立たせようとする営為であり、それが地域集団的に生み出す一種熱狂である。その後アメリカ史でも第二次第三次、あるいは第四次周期的に繰り返されてきた「大覚醒」であるが、後世の人々が「第一次大覚醒」と呼んで規範としたのは1730年代頃より起こって1740年代きわめて活発化した信仰復興運動であったイェール大学出身ノーサンプトン(現、マサチューセッツ州)の牧師だったジョナサン・エドワーズは、1734年以降信仰衰退嘆いてジャン・カルヴァン教え立ち戻り超越的な神にただ身を委ねることによってのみ人間堕落した現今境遇から脱して救済されうると説き、これはすでに制度的に確立して安定期礼拝形式的なものとなっていた会衆派人々信仰震撼させた。エドワーズジョン・ロック認識論影響を受け、人は知性よりもむしろ連想通じて神の存在直観すると考えたまた、エドワーズ会衆派牧師として自身回心体験生々しく語り平信徒にそこでの深遠な力の働き強く訴えた。『怒れる神の御手の中にある罪人』や『聖なる超自然の光』はこうしたリバイバル説教として有名であり、エドワーズ説教では多く会衆気絶卒倒など激し反応示したといわれている。ノーサンプトン教会では回心経験する平信徒が相次ぎ、その評判聞きつけた牧師平信徒教会訪れたことで運動ニューイングランド一帯広がっていった。エドワーズは『ヨハネの黙示録』の研究者としても著名であり、千年至福(ミレニアリズム)を唱えている。 エドワーズ並んで第一次大覚醒牽引力となったのが、イングランド国教会牧師ジョージ・ホワイトフィールドである。1739年以降13回にわたって北アメリカの地を訪れたホワイトフィールドは、地獄ありさま生々しく思い浮かべられるよう人々語り聞かせるなど、その透き通った声と身振り手振り交えた雄弁説教により、その場に何千と集まった聴衆興奮の渦に巻き込んだ南部ジョージア植民地からニューイングランド北端現在のメイン州まで、中部植民地英語版)も含めて巡回したホワイトフィールドの説教各地多数回心者を生み、大覚醒運動を全植民地規模広めたマサチューセッツ湾植民地では、ホワイトフィールドの説教聞いて回心した農家息子アイザック・バッカス(英語版)が再洗礼派信仰目覚め1756年バプテスト教会創設している。この運動は、回心体験支え独学教義学んで精力的に布教するバッカスのような多数巡回牧師生んだのである大覚醒運動会衆派長老派教会甚大な影響およぼし既成教会支持する旧派回心体験重視する新派分裂招いた旧派人々は、大覚醒における救済歓喜絶望悲嘆といった大げさ感情表現阿鼻叫喚様相を呈する礼拝痙攣引き付けなど激し身体的反応、それらが普段日常生活をおよぼす悪影響などを指摘した。この運動の牽引役となった牧師説教師なかには節度のある者も少なくなかったが、そうでない者も多数含まれていた。一方新派人々既存教会牧師権威否定し自発的な結社としてニューイングランドだけで100以上、中部にあってもおそらくほぼ同数教会新たに創設した大覚醒たずさわった人々フロンティアへの布教重視したので、故郷を後にして新天地に赴き、つながり飢えた人々キリスト教的伝統や共同体への帰属あらため確認するとなったその人々のなかにはエドワーズのように先住民布教熱心に取り組む者もあれば、黒人奴隷参加認めて南部植民地英語版)の奴隷制社会挑戦する者もあった。ニューイングランドでは回心体験重視する新派多く女性参加したが、ニューポートサラ・オズボーン英語版)もその一人であり、1741年から自宅女性のための集会開催し1765年には黒人奴隷参加認めその頃には彼女の集会参加者300人に達していた。 大覚醒運動については、「大規模総合的な覚醒」「理性の時代アナクロニズム」「アメリカ思想主流」「精神上の地震」「ピューリタンからヤンキーへ」など多様な立場からの毀誉褒貶がある。近年では「大覚醒」という歴史事象そのもの従来あまりに過大視されてきたことに対す見直しなされている。基本的にはどの植民地のどの教派であっても地域ごとに割り振られ教会制度維持し一般信徒信仰生活を指導することが最大関心事だったのであり、これは国教会教区制度持ち込まれヴァージニアなど南部植民地ルター派カトリッククエーカー混在し中部植民地会衆派事実上公定宗教であった北部ニューイングランドいずれの地域であっても大きな違いはなかった。大覚醒運動は、このような多元的な素地上乗せされた多元化現象ともみなせる。ただし、大覚醒既存宗教ばかりでなく、さまざまな社会的権威に対して批判的な姿勢打ち出し一般信徒自身信仰とその信仰共有する人々連帯重視するようになったことは重要で、従来、各植民地、そして各植民地におけるそれぞれのカウンティ(郡)やタウン自治的である反面相互交流乏しかったのに対し大覚醒はそうした植民地間の垣根を越えて文化的な絆を醸成することにつながった。そしてまた、自らの信仰重視して既成宗教的社会的権威否定することは、イギリス本国権威に対して自主性主張することにもつながった一方ヨーロッパで興起した啓蒙主義思想滔滔新大陸流れ込んでおり、そこにおける合理主義もまた知識人文化人エリート層に広く浸透していた。そのため、政治的指導者多く理神論に立つような状況にあったが、ここにおいて大覚醒敬虔主義者たちと理性重視啓蒙主義者たちは、まったく正反対といってよい宗教上の見解立脚しながらも「信教の自由」というただ一点において、共闘関係成立した。それが両者にとって共通の目的たりえたからであり、トマス・ジェファーソンヴァージニア信教自由法作成するにあたり宗教指導者たちの意見参照したことはよく知られている。

※この「「大覚醒」とその社会的影響」の解説は、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の解説の一部です。
「「大覚醒」とその社会的影響」を含む「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事については、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の概要を参照ください。

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