「大調査部」時代(1939年-1943年)
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「東亜経済調査局」の記事における「「大調査部」時代(1939年-1943年)」の解説
大川と松岡洋右総裁との協議により、東亜経調は満鉄に復帰、統合された「大調査部」の中で西南アジア・オーストラリア・南洋の調査を専管する分局となった。これらの地域の事情を一般大衆に伝える啓蒙的な月刊誌として『新亜細亜』が創刊されたのはこの時期であり、坂本徳松ら編輯班が編集を担当した。東亜経調は大連の調査部が行っていた「支那抗戦力調査」などの綜合調査には直接関与しなかったが、太平洋戦争の勃発とともに外部機関からの委託研究が次第に増加、独自に進めていた南洋地域の基礎調査は次第に困難になっていった。
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