「千夜千冊」執筆以降
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2000年2月から書評サイト「千夜千冊」の執筆を開始。同じ著者の本は2冊以上取り上げない、同じジャンルは続けない、最新の書物も取り上げる、などのルールを自らに課し、時に自身のエピソードやリアルタイムな出来事も織り交ぜた文体は、話題を呼んだ。第一夜は中谷宇吉郎『雪』。2004年7月に良寛『良寛全集』で「1000夜」を達成した。 しかしその直後に胃癌が発覚し、手術入院を余儀なくされる(その詳細は「千夜千冊」番外『退院報告と見舞御礼』に語られている)。しばらくの療養後、再び「千夜千冊」の執筆を開始し、2006年5月22日に柳田國男『海上の道』でもって「放埓篇」として完結した。この放埓篇・全1144夜に大幅な加筆と構成変更を行い、全8冊の大型本『松岡正剛 千夜千冊』として2006年10月に求龍堂より出版された。定価99,750円という高額にもかかわらず初版1000部を完売し、2006年の出版界の事件として話題となる。その後「遊蕩篇」として、1145夜の2006年6月6日(日浦勇『海を渡る蝶』)から1329夜の2009年11月22日(丁宗鐵『正座と日本人』)まで185冊を執筆した。 2009年11月より、「連環編」と「番外録」を開始し、2012年以後、新たに「意表篇」「思構篇」「歴象篇」「分理篇」など8篇を追加、現在は計10篇のテーマインデックスで定着している。同年、松岡自身が「千夜千冊」を語り伝える音声コンテンツ「一册一声」の配信をスタート(オーディオWebマガジン「方」で月2回配信)。2013年橋本達雄編 『柿本人麻呂』で“1500夜”を達成し、記念イベント「千夜千冊ナイト」を開催した。 また、長年培ってきた編集的世界観に基づき確立した「編集工学」をもとに、2000年6月、「イシス編集学校」を設立し、校長に就任。単なる文章術にとどまらない、プランニングからコーチングまでを幅広くカバーする「編集術」を伝授するという独特なスタイルが評判を呼んでいる。一方、2005年からは企業の次世代リーダーを育成するための直伝塾、「ハイパー・コーポレート・ユニバーシティ[AIDA]」を開始するなど、独自の編集的世界観をもとにしたカリキュラムを多方面で応用・展開している。 2003年には、長年にわたって研究・思索してきた「日本文化にひそむ方法」を伝承することを目的とした特別塾「連塾」をスタート。山口小夜子、柳家花緑、田中泯、高橋睦郎、森村泰昌、真行寺君枝、内田繁、浅葉克己、しりあがり寿、井上鑑、井上ひさし、押井守、岡野弘彦、いとうせいこう、川崎和男、藤原新也、といったジャンルをこえた多彩なゲストとともに対話を深めてきた。また、松岡正剛を囲みながら日本文化における創作技術や伝統の精神を学ぶためのサロン「椿座」を開催。このような日本にかかわる活動の多くは、資生堂の名誉会長福原義春を代表理事とする一般社団法人「連志連衆會」を母体として行われた(2012年10月に連志連衆會は解散したが、「椿座」は「蘭座」に名称を変え、新たな活動として引き継がれている)。 2009年10月には、丸善丸の内本店に、松岡正剛プロデュースによる松丸本舗をオープン。ショップ・イン・ショップという形態、松岡をはじめとする著名人の書斎を再現した本棚など、その斬新な店舗づくりが話題を呼んだ(実験店舗としての3年間の役割を終え、松丸本舗は2012年の9月末をもって閉店。その詳細は、『松岡正剛の書棚:松丸本舗の挑戦』(中央公論新社)、『松丸本舗主義:奇蹟の本屋、3年間の挑戦。』(青幻舎)で明かされている)。2011年には、イシス編集学校の有志とともに体系化した知のカテゴリーである「目次録」を公開し、それをもとに新たなコンセプトによる書籍探索エンジン「システム目次録」を開発。書物という情報単位から意味をとり出し、システムに応用した、連想検索の仕組みを研究し続けている。 2010年平城遷都1300年祭の集大成として「平城京レポート」が作成された。レポート作成につき、奈良県と随意契約をしたのは松岡正剛事務所と編集工学研究所、財団法人日本総合研究所だが、レポート執筆にはISIS編集学校の師範、師範代、師範養成コースのコーチが多数参加していた。1300年祭終了後、レポート284ページ中に170ヵ所の誤記・間違い・要確認箇所があることが判明し、その杜撰な編集ぶりが報道された。 2012年には、経済産業省によるクール・ジャパン戦略の一環として、官民有識者会議の座長代理、CREATIVE TOKYOフォーラムでの講演を担い、日本文化のクリエイティビティを伝えるコンセプトブック『Roots of Japan(s) 面影日本〜日本の本来と将来のために』を監修。一方、奈良県(荒井正吾県知事)と共同で行っている、東アジア(日中韓)の目指すべき進路を構想する「NARASIA」のプロジェクトでは、定期的に「NARASIAフォーラム」を開催し、有識者をゲストに招き、文化的、経済的テーマを深めている。2013年には、松岡監修による東アジアジャーナル『NARASIA Q』が創刊された。 2013年からは、長年拠点としてきた港区赤坂の事務所から世田谷区赤堤の新事務所へと移転。建築家の三浦史朗、スペースエディターの東亨らとのコラボレーションにより、万巻の書物に囲まれたイベントスペース「本楼」(ほんろう)と、本の茶室空間である「井寸房」(せいすんぼう)をかたちにした。念願叶って実現された、この6万冊の書物で構成された共空間は「GISIS」(ゴートクジISIS)と呼ばれ、読書術にかかわるワークショップや、編集工学を伝える講義が日々行われている。 2014年には、平城遷都1300年祭「弥勒プロジェクト」の一プロジェクトで奈良県が七千万をかけて製作した地域交流サイト「NARAcom」「NARApedia」が公表されず一般に知られることもないまま閉鎖されていたことが判明した。このサイトは「東アジアの未来を考える会」(松岡正剛幹事長)が奈良を中心に据えた東アジアの知のアーカイブとして構築していたはずだった。奈良県からサイトの構築運用を請け負っていたのは、松岡正剛事務所、編集工学研究所、財団法人日本総合研究所のJV(共同企業体)。 現在は、2020年7月開業の角川武蔵野ミュージアムに館長として携わっている。
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