「千円札裁判」に関する都市伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 23:53 UTC 版)
「千円札裁判」の記事における「「千円札裁判」に関する都市伝説」の解説
この裁判について赤瀬川が詳細に書いた、赤瀬川の処女出版である『オブジェを持った無産者』(現代思潮社 1970年)はながらく絶版であり(赤瀬川の死後の2015年に再刊)、また文庫化もされていない。また、この事件の内容が書かれている本で容易に入手できた『東京ミキサー計画―ハイレッド・センター直接行動の記録』(ちくま文庫)には、この裁判については簡略にしか書かれていない。 以上の状況から、この事件について赤瀬川ファン等の間で誤解が生じ、一種の「都市伝説」化している。誤解及び事実は以下のとおりである。 (誤解)赤瀬川は千円札の模写をしたため逮捕された。(正)上記にあるとおり、印刷作品が問題となっている。 (誤解)赤瀬川はニセ札製造犯人として逮捕された。(正)赤瀬川が制作したのは「オモテ面だけの1色印刷」であり、「ニセ札」ではないことは捜査当局側でもすぐに明らかになった。当時、「チ-37号事件」というニセ千円札の偽造事件があり、赤瀬川もその事件を創作のきっかけとし、また捜査当局も当初はその偽造団との関連を考え捜査を開始したというものである。赤瀬川(等)が起訴されたのは、「通貨及証券模造取締法」という明治28年に施行された法律によるものであり、「貨幣、政府発行紙幣、銀行紙幣、国債証券及び地方債券に紛らわしきものを製造し又は販売することを得ず」という内容であった。捜査当局はこの法律に基づき、赤瀬川の作品が「紙幣に対する社会的信頼を損なうおそれがある」として、起訴した。なお、ニセ札を作った場合は「通貨偽(変)造・同行使罪」で逮捕される。 (誤解)赤瀬川は千円札の模写を行っていたが、それにあきたらずついに印刷所に千円札を持ち込んで印刷を依頼したところ逮捕された。(正)上記の経緯にあるとおり1963年に2ヶ所の印刷所に印刷を依頼し、「芸術作品」として発表。印刷会社側も特に異論なく仕事を受けている。捜査を受けたのが1964年1月、起訴されたのは1965年11月である。
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