2012年以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 23:20 UTC 版)
「エスペランサ・アギーレ」の記事における「2012年以後」の解説
2012年9月17日、健康上の問題を理由にマドリード州首相から退くことを発表し、観光局の職員として働きはじめた。2013年1月13日、経営の才能に優れた人材を発掘する民間企業のセーリヘール・イ・コンデは、アギーレを諮問委員会の委員長に任命することを発表した。これは国民党の支部政党のマドリード国民党の代表職と両立できる役職である。 2015年の統一地方選挙では国民党からマドリード市長として立候補した。国民党は21議席獲得し第一党の地位を死守したが過半数(29議席)には届かず、中道右派のシウダダノスの7議席と足してもわずかに届かず、ポデモス系アオーラ・マドリードの候補マヌエラ・カルメーナ・カストリージョに市長職を譲ることになった(アオーラ・マドリード20議席+PSOE9議席=29議席)。 2020年3月19日、2019新型コロナウイルスの検査で陽性だったことを明らかにした。
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