2012年以降:ロムニーの敗北
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「アメリカ合衆国共和党の歴史」の記事における「2012年以降:ロムニーの敗北」の解説
2012年の大統領選挙に向けて、共和党内では2010年の早い段階から候補が乱立した。前マサチューセッツ州知事で末日聖徒イエス・キリスト教会(通称:モルモン教)信徒でもあるミット・ロムニーが安定的に支持を集め最有力視されつつも、圧倒的な資金力と組織力の割には苦戦を強いられた。ロムニーの他に、ニュート・ギングリッチ元下院議長、リック・サントラム元上院議員、リック・ペリーテキサス州知事、実業家のハーマン・ケイン、テキサス州のロン・ポール下院議員等も一定の支持を集め、各種世論調査では頻繁に一番人気の候補が入れ替わった。2012年に入り、予備選挙の投票が始まると、ペリーは早々に撤退したものの、ロムニー、サントラム、ギングリッチが各州の投票で入れ替わるように首位に立った。3月のスーパー・チューズデーでロムニーが最も多くの州で勝って頭ひとつ抜け出し、そのまま優位を固めて8月の共和党大会で指名を獲得した。副大統領候補には下院予算委員会委員長として大胆な支出削減を提案している若き下院議員ポール・ライアンを指名した。 本選挙に向けて、夏の時点では、世論調査の結果ではオバマ大統領とロムニーが拮抗していた。初回の公開討論会ではロムニーが好印象を与えることに成功したが、その後は失速して無党派層の支持を上手く得られなかった。結局、一般得票率にして52%対47%でロムニーはオバマに敗れた。共和党は支持基盤の動員に成功しはしたが、民主党は予想を超える規模で若年層や社会的少数派、女性からの票を集めた。上院でも共和党の議席増が予測されていたのに反し、実際の選挙では議席を減らした。 2013年3月、共和党全国委員会委員長ラインス・プリーバスは2012年の敗北について厳しく総括を行い、党を刷新し、移民制度改革を支持することを訴えた。それによれば、「我々が敗北した理由は一つではない。我々のメッセージは弱かった。草の根の活動も不十分だった。あらゆる人々を受け入れてはいなかった。データもデジタルも後れを取っていた。予備選挙や討論の過程にも改善が必要だった」。プリーバスは219の改革案を示し、その中には、女性や社会的少数派、LGBTといった性的少数者に向けた1000万ドル規模のマーケティング戦略や、期間を短縮し、より統制のとれた予備選挙、データ収集や調査態勢の改善等が含まれていた。 これに関連して、保守系論客の歴史家ヴィンセント・カンナートは次のように論じている。 共和党はミット・ロムニーの敗北以来ずっとパニック状態に陥っているといっても過言ではない。それは特に、今回の選挙がアメリカの人口構成の変化を明らかにし、またこれに関連して、共和党がヒスパニックやアジア人、独身女性や若者へうまくアピールできていないことを明らかにしたからである。それゆえに、共和党指導部は保守層の支持基盤を怒らせることになっても移民制度法改革を進んで行おうとしているのである。 同性結婚に対しても、絶対反対を唱える党の公式方針に異論を唱える動きも出始めている。これに対し、リック・サントラムやマイク・ハッカビー等社会保守主義派は強く反対し、同性婚の問題について姿勢を堅持しなければ、共和党の主要支持母体である福音派の支持を失うであろうと警告している。 2014年の連邦議会選挙では、下院は第二次大戦後では1946年に並ぶ246議席を確保した。
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