他山の石
「他山の石」とは・「他山の石」の意味
「他山の石」とは、悪い意味を持つ他人の行動を自分の成長に役立てるための表現であり、似ているが異なる言葉として、他人の行動が自分に影響しないため参考にもしないという、「対岸の火事」がある。「他山の石」の意味は、「自分より劣っている他人の誤りや失敗、つまらない出来事などは、自分とは直接関係のないものごとだが、自分の行動の参考にして学ぶことで、知恵や徳を磨いて人格を育てる助けにできる」ということだ。
「他山の石」の読み方
「他山の石」の読み方は、「たざんのいし」である。「他山の石」の語源・由来
「他山の石」の語源は、中国最古の詩集「詩経(しきょう)」にある、「他山の石以て玉を攻むべし(たざんのいしをもってたまをおさむべし)」という故事である。「玉」は「宝玉・宝石」、「攻む(おさむ)」は「磨く」という意味であるため、「よその山から産出される、磨いても宝石にならない粗悪な石であっても、自分の宝石を磨く砥石としては役に立つ」という内容に由来する言葉だ。「他山の石」の熟語・言い回し
他山の石とせずとは
他山の石の言い回しとして、「他山の石とせず」という用いられ方が広がっているが、間違いである。他山の石が熟語として「他人の誤りを見て、自分の行動を改める参考にする」という良い意味を持っているため、もし「他山の石とせず」と言ってしまうと元々の言葉を打ち消して、「他人の誤りを見ても、自分の行動を改める参考にはしない」という悪い意味に転じるからだ。この場合、用いる側の意図として、「他人の誤りを見ても、他人事として終わらせて学ばない」という悪い意味の言葉を、「~とせず」という打ち消し表現で使うことで、「他人から学ぶ」意味に変えたいのだと推測できる。
「他山の石」という言葉自体に、他人事とせずに学ぶという意味までが含まれているため、「~とせず」の打ち消し表現は使わずに、「他山の石」のみでそのまま利用するのが正しい用い方である。もし「~とせず」の打ち消し表現を使って意図する内容を正しく表現したいときには、「他人事」の意味で終わる言葉に「~とせず」をつけて用いるとよい。「自分にまったく影響がなくて痛くもかゆくもないできごと」のたとえである「対岸の火事」を用いて、「対岸の火事とせず」という打ち消し表現の言い回しにするのが正しいといえる。
他山の石とするとは
「他山の石とする」とは、他人の失敗を参考にして自らを成長させるという意味の熟語であり、言い回しは正しいが、使用する場面に注意が必要である。「他山の石」の石は「磨いても宝石にならないくず石」が語源であるため、「自分より劣った他人や、間違った言動」を意味するからだ。相手が目上の人である場合や、お手本にしたい良い行動を例に挙げたい場合は、誤って反対の意味になってしまうため、使用できない。
しかし、文化庁による平成16年度の『国語に関する世論調査』で、「他山の石」の意味を尋ねたとき、「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」という間違った意味で覚えている人が全体の18.1%存在した。「他人の間違った言行も自分の行いの参考となる」という正しい意味で覚えている人は、全体の26.8%であった。年代別では、16~19歳で「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」という誤った答えを選んだ人が多く、30代以上では「他人の間違った言行も自分の行いの参考となる」という正しい答えを選んだ人が多かったため、時代とともに間違った意味での使い方が広まっていると考えられる。
「他山の石とする」の意味に近い言葉として、よく使われる言葉が「反面教師とする」、「人のふり見て我がふり直せ」である。「反面教師」とは、悪い面の見本としてそのような人になってはいけない、という否定的意味で参考にするために教えられる、人や事例のことだ。正しくない行動を、してはいけない例として挙げて、反対の面から人を教育するために役立てられる言葉である。「人のふり見て我がふり直せ」とは、他人のふるまいを見て批判的に感じることがあったら、まずわが身を振り返ってふるまいをよくしよう、という意味だ。他人の言動が誤っている場合に使用する。
「他山の石とする」を使っていい場面かどうか迷ったときには、「反面教師とする」や「人のふり見て我がふり直せ」という言葉で言い換えが可能な場合に使用するのが、正しい使い方といえる。
「他山の石」の使い方・例文
例文1:「同僚の失敗も、他山の石として役立てる」「他山の石として」という言い回しである。同じ課題や仕事に先に取り組んでいた同僚が失敗をした内容を、あとから同じ課題や仕事に取り組む自分が参考にする場合に使用する。上司など目上の相手に対して使うと失礼になる言葉だが、同僚など同格の相手なら問題なく使用できる。
例文2:「A社が起こした不祥事を他山の石として、我が社はこれまで以上に、個人情報保護対策を厳格に行っていく」
同じく「他山の石として」という使い方である。同業他社や競合する会社など対等の相手が起こした不祥事には使えるが、親会社や本部が不祥事を起こしたときに子会社や支社の立場では使えない点に注意が必要だ。他人が起こした間違いを自分を改める参考にする、という意味であるため、親会社が不祥事を起こしたときに対外的な文書で「他山の石として」を使用すると、他人ではない、関係者としての自覚が足りない、と批判される可能性がある。
例文3:「友人の失敗を笑っていては、自分のためにならない。自己研鑽に努めて、他山の石とする」
「他山の石とする」という使い方の例文である。周囲で失敗をした友人がいるとき、他人事として気にしないでいると、自分も同じ失敗をしてしまうかもしれない。自己研鑽に努めよう、と続けることで、成長への意欲や前向きさを見せたいときにも使える言い回しだ。
例文4:「他校でいじめが起きた。我が校ではいじめの実態が認められていないが、他校の事例を他山の石とする。教員全体で注意深く生徒の学校生活を見守ろう」
同じく、「他山の石とする」という使い方である。個人ではなく、自分たちの学校全体のふるまいに適用し、他校の失敗を参考にしていじめを防ぐこころがけを教員全体に呼びかけるための例文だ。
例文5:「不祥事を起こしたA社は、謝罪会見での対応が批判され、炎上を招いた。多くの会社にとって、他山の石となる出来事だ」
「他山の石となる」という使い方をする場合は、対象との距離が感じられる。自分個人や自社にとってという狭い意味で使う場合よりも、対象が広がって、客観視した表現になる。
例文6:「過去に起きた大きな事故は、小さなミスの積み重ねから生まれている。同様の事故を起こさないための、他山の石となる事例だ」
例文5と同様「他山の石となる」の例文である。過去に起こった事故を、対象との時間的距離があることで一般化し、事例から学んで事故を防ぐ姿勢を示す使い方といえる。
例文7:「一時停止違反でパトカーに停止させられた車を見た。他山の石だ」
運転中に見かけた他の車の違反行為は、無関係の人の誤りとして無視することができる行為である。不注意から起こした他人の失敗も、見逃さず自分の行動を改める参考にするという使い方は、まさに他山の石という言葉に適した状況といえる。
例文8:「ギャンブルで破産した人を見て、他山の石にすることが大切だよ」
「他山の石とする」は文語表現に近いが、「他山の石にする」という形で用いれば、口語表現に近くなり日常会話の中でも使いやすくなる。
例文9:「100万人の個人情報が漏洩したA社の事例では、損害賠償額も大変な金額となった。他山の石以って玉を攻むべしとすべきだ」
「他山の石以って玉を攻むべし」と、由来となる故事を一文そのまま引用する使い方である。日常的な内容で使うと大げさに感じられる場合もあるため、問題の大きさを強調したい深刻な事例などに用いるとよいだろう。
例文10:「文学者の文学論、文学観はいくらでもあるが、科学者の文学観は比較的少数なので、いわゆる他山の石の石くずぐらいにはなるかもしれないというのが、自分の自分への申し訳である」
他山の石は、石を他人の行動になぞらえるだけではなく、自分自身を示すものとして用いることもできる。例文は、昭和8年刊行の「科学と文学」の中で、日本の物理学者である寺田寅彦が書いた一文である。専門の文学者ではない科学者である寺田寅彦は、自分が文学論を語ることを、読者に対して「他山の石の石くずぐらいにはなるかもしれない」と述べている。自分自身の行動を謙遜して、参考にしてほしいときの使い方だ。
他山(たざん)の石(いし)
他山の石
他山の石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 18:07 UTC 版)
他山の石(たざんのいし)は、四書五経のひとつ『詩経』の記述に基づく故事、慣用句。「他人のつまらない言行、誤りや失敗なども、自分を磨く助けとなる」といった意味であるが[1]、現代の日本語話者の間では、誤った意味で用いることも少なくない表現となっている[2]。
出典と解釈
『詩経』(小雅・鶴鳴篇)には、「他山之石可二以攻一レ玉」とあり、通常はこれを「他山の石 以て玉を攻むべし」(たざんのいしもってたまをおさむべし)と読み下す[1]。「玉を攻む」は「玉を磨く」という意味であり、この成句は字義通りには、「他の山からもたらされた粗悪な、磨いても玉にはならない石は、然るべき山から産する玉を磨くのに使え」といった意味であるが、ここから転じて、「他人のつまらない言行、誤りや失敗などにも、そこから学んで自分の知恵や徳を磨く助けとなるところがある」といった意味になった[2]。
この成句にちなんだ名称の代表的な例である攻玉社(より正確には前身の「攻玉塾」)の名は、成句の後半から採られたものであり、「外国の技術で日本をみがこう」という含意で名付けられたものとされている[3][4]。
誤釈の拡大
文化庁が実施している国語に関する世論調査が、2004年の調査で「他山の石」の意味について尋ねたところ、回答者の26.8%は正答である「他人の間違った言行も自分の行いの参考となる」を選んだが、18.1%は誤答である「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」を選び、その他では、やはり誤りである「両方の意味で使う」が 5.5%、「どちらの意味でも使わない」が 22.4%、そして「分からない」が 27.2%であった[2]。50代以上では正答を選んだ者が最も多かったが、30代、40代で正答を選んだ者は誤答を選んだものより多かったものの「分からない」とした者より少なかった[2]。10代(16歳から19歳)では誤答を選んだ者が最も多く、20代では正答・誤答が拮抗し、「分からない」が多かった[2]。2013年の同調査でも、正答とされた「他人の誤った言行も自分の行いの参考となる」が 30.8%、誤答の「他人の良い言行は自分の行いの手本となる」が22.6%などと、同様の結果になった[5]。
『広辞苑』第6版(2008年)は、説明の中でわざわざ「本来,目上の人の言行について、また、手本となる言行の意では使わない。」と記しており、「先生の生き方を他山の石として...」のような誤用が広がっていることを示唆している[2]。
文化庁文化部国語課は、類似した意味の「人のふり見て我がふり直せ」が文字通りの意味で了解できるのに対し、「他山の石」は知識がないと意味が了解できないため、使われる機会が減っており、正しく理解する者が世代が下がるにつれ減っているのではないかと分析している[2]。
書名などへの流用
「他山の石」という語句は、様々な書籍類の題名(の一部)や、副題に用いられている。
桐生悠々は、外国の書籍の抄訳紹介を主な内容として晩年の1934年から1941年にかけて発行した個人雑誌を『他山の石』と名付けており、同誌により軍部批判を継続したとされる[6]。
船田中は、1937年にまとめたドイツ事情についての著書を『他山の石 敗戦独逸から第三帝国建設へ』と題した[7]。
脚注
- ^ a b デジタル大辞泉『他山の石以て玉を攻むべし』 - コトバンク
- ^ a b c d e f g 文化部国語課. “連載「言葉のQ&A」「他山の石」の意味”. 文化庁. 2020年5月25日閲覧。 - 初出は、『文化庁月報』平成23年10月号 (No.517)
- ^ 小正展也「矢島錦蔵小論―東京府尋常師範学校教諭に就任するまでの経歴を中心に―」『大学史資料室報』第4号、東京学芸大学大学史資料室、11頁。
- ^ ただし攻玉社では、後半を「以て玉を攻(みが)くべし」と読ませている。:“校章・校旗・校歌・制服”. 攻玉社. 2020年5月25日閲覧。
- ^ デジタル大辞泉『他山の石』 - コトバンク
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『桐生悠々』 - コトバンク
- ^ “他山の石 敗戦独逸から第三帝国建設へ”. 国立国会図書館. 2020年5月25日閲覧。
他山の石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 08:57 UTC 版)
詳細は「他山の石」を参照 「名もない山で拾った粗悪な石でも、自分が所有する玉(宝石)を磨くのには役立つ」ということから、他人のとるに足らない言動でも自身の向上の助けとなる事。俗に模範とする意は誤り。
※この「他山の石」の解説は、「故事」の解説の一部です。
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