210型系とは? わかりやすく解説

210型系(1957年 - 1959年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 01:55 UTC 版)

ダットサン・110/210」の記事における「210型系(1957年 - 1959年)」の解説

1957年昭和32年10月110型系改良加え新開発となるOHV 988cc 34馬力C型エンジン搭載した210型、「ダットサン1000乗用車」が登場する。これは同年7月登場したトヨペット・コロナ(ST10系)がサイドバルブ方式ながら987ccのエンジン持っており、小型タクシー料金排気量上限も1000ccまでに拡大されたことを受けて改良であった当初日産ではダットサン新型1000ccエンジンとして、ボアxストロークとも68.0mmのスクエアレイアウトのOHVエンジン開発進めていたが、当時日産招聘され技術指導行っていたウィリス・オーバーランド社出身アメリカ人エンジニア、ドナルド・ストーンはこれを却下し代わりに日産ライセンス生産されていたオースチンA50ケンブリッジBMC・Bシリーズエンジン(日産社内型式1H型)のストローク縮めて排気量エンジン速成するよう、強く推奨したC型エンジンはこの結果産まれたもので、日産社内では発案者にちなん当時「ストーン・エンジン」と呼ばれた68 mmスクエアエンジン比べサイズ若干増大して重量28 kg増、ボアxストロークは73.0 mmx59.0 mmと、当時日本製エンジンとしては異例とも言える極端なショートストローク・オーバースクエアの高回転型エンジンとなったが、ストーンは「近年アメリカ車でもこのくらいのオーバースクエア型エンジン増えている」「既に実績のあるオースチンエンジンをベース短期間低コスト開発でき、リスク少ない。製造ラインパーツ多く共用でき、大いに有利」として、不安(と新開発エンジン却下された不満)を抱く日産技術陣を説き伏せた日産オースチンエンジンのシリンダーブロックイギリス本国流儀倣い当時最新トランスファーマシン活用して効率よく自動化生産されており、そのショートストローク版なら簡易な変更生産設備活用できた。 燃焼室設計工夫要したものの、ストーン説いたとおりに短期間低コスト完成したC型エンジンは、こうして210ダットサン搭載された。低速域でやや薄くなったトルクは、フライホイール質量や、トランスミッションとファイナルギアのギア比適正化補われた。当時としては高い30馬力超の出力俊敏な回転上昇おかげで弱点である燃費の悪さ市場からはさほど問題にされず、結果的に成功であった。ただしこの強靭な脚まわりとパンチ効いたエンジン特性は、神風タクシー大量に生む要因ともなった1958年昭和33年)は特筆すべき年となる。まず1月には210型がトラック220と共にロサンゼルスオートショー出品され6月には日産乗用車としては初となる対米輸出始まり以後本格的な北米進出端緒となる。 もう一つトピックは、9月開催されたオーストラリア・モービルガス・トライアルへの挑戦である。オーストラリア大陸一周16,000 km19日間で走破するこの過酷なラリーへのエントリーは、当時宣伝課長であった片山豊発案決められチーム監督となった難波靖治のもと、Aクラス出走した富士号号の2台はそれぞれ完走しクラス優勝総合24位)、クラス4位を獲得し大きな注目浴びた出走65台中完走37台というこのラリーでの好成績輸出にも追い風となった。 しかし一面として、当時ダットサン部品パーツ)には、戦前からのアメリカ車ライセンス生産していたイギリスオースチン影響によるインチ規格と、日本公的規格であるメートル規格が1車種混在していた。この問題自力修理必須長距離耐久ラリー露呈日産チーム小さなダットサンそれぞれの規格工具大量に積み込んで走る羽目になり(他のチームからは「部品屋か」と揶揄されたという)、現地調達した工具やねじのサイズ合わないため修理完了までに時間がかかるといったトラブルにも始終悩まされたため、帰国した難波は、この不満を経営陣技術陣に忌憚なくぶちまけた。これにより、その後日産車でメートル規格への部品統一急がれることになった当時日本車アメリカ車欧州車性能品質には非常に大きな隔たりがあり、同時期に北米進出果たしたトヨペット・クラウンRS型は、フリーウェイ走ればオーバーヒート起こし操縦安定性危険なレベルとの烙印押され輸出一時見合わせる事態追い込まれていた。一方ダットサンは、フリーウェイ走行中にエンジンフードロック外れ風圧開いてドライバーの視界を遮る事故起こすなど、トヨペットの「Toy」とならび「Tin toy」(ブリキオモチャ)と揶揄されながらも、オースチン譲り快活信頼性の高いエンジンと、本来日本での悪路過積載考慮した頑強なフレームや脚まわりが功を奏し次第アメリカ受け入れられて行く。 同年マイナーチェンジフロントグリル意匠が後の初代ブルーバード思わせるものに変更されリアウインドウ拡大され211型となり、翌1959年昭和34年7月ブルーバード発表と共に販売終了したフロントサスペンション最後まで固定軸のままであったが、110、210型系は小型タクシー用営業車として、設計的にはより進んでいたトヨペット・コロナ日野ルノー販売成績圧倒し日産自動車乗用車トップメーカーとしての地位1960年代前半まで)を磐石なものとした。 1959年昭和34年)に登場したフェアレディ前身となる繊維強化プラスチックFRP)製ボディオープンカー、ダットサン・スポーツ1000S211型)もこの211シャシ形状ベースである。

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