2代目 B110型系(1970年 - 1973年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 23:41 UTC 版)
「日産・サニー」の記事における「2代目 B110型系(1970年 - 1973年)」の解説
ピックアップトラック(B120)のみ:1971年 - 1994年 ボディタイプは2ドア/4ドアセダン、2ドアクーペ、ライトバンの4種類。フロントサスペンションに本格的なマクファーソン・ストラット式独立懸架を採用するとともに、車体はスクエアな形態を保ちつつ若干大型化され、初代モデルの簡素で華奢な印象を払拭した。1,000ccエンジンを搭載していた初代サニーに対し、1,100ccエンジンを搭載して「プラス100ccの余裕」のコピーを掲げた初代カローラを意識した発売時の広告コピーである「隣のクルマが小さく見えます」は、良くも悪くもこの時代のメーカーと大衆双方が持っていた上昇志向を象徴するものとして、後年まで広く伝えられている。 エンジンは直列4気筒ターンフローOHVのA12型1,200ccエンジンで、高回転化に適した5ベアリング式へ変更され、当初から5ベアリング4気筒ターンフローOHVを採用していたカローラのK型/3K型エンジンに対抗し、それを凌駕することを目指して改良された。更には、より排気量の大きいエンジン(直列4気筒クロスフローOHVのT型エンジン等)を搭載したモデルを追加したカローラに対抗するため、ブルーバード1400用の直列4気筒ターンフローSOHCのL14型1,400ccエンジンを搭載した上級シリーズの「エクセレント」を中途追加している。 この代にもピックアップトラック型のサニートラック B120型が設定されたが、このモデルは乗用車系のB110型生産終了後もマイナーチェンジを繰り返し、日本国内向けは1994年3月までの23年間、海外向けにいたっては2008年9月まで37年間の長きにわたり生産が続けられ、NP200の発売後に至っても在庫分が併売されていた。後継モデルのB210型系がピックアップトラック化を考慮していないスタイルであったことが理由であるが、B120型の設計が優れていたことも一因である。B120型系列は「サニトラ」の愛称で広く親しまれている。 北米市場では当時の市販車中、最良の省燃費車であることが燃費テストによって判明し、市場から評価され、日産車の販売実績向上に貢献した。 販売終了前月までの新車登録台数の累計は56万8508台 1970年1月 - B110型にモデルチェンジ。 1970年4月 - セダン、クーペにSU型ツインキャブを搭載するスポーティグレード「GX」追加。 1971年2月 - トラックもフルモデルチェンジでB120型へ。 1971年4月 - 4ドアセダン、クーペに「エクセレント・シリーズ」を追加。オリジナル車に対してホイールベースが40 mm、フロントオーバーハングが130 mmそれぞれ延長された。当初このシリーズの目玉とすべく開発が続いていたロータリーエンジンは間に合わず、レシプロのみでのスタートとなったが、サニーとしては初となる、SOHCエンジンである、直列4気筒 SOHC のL14型・1,400ccを搭載。同時期のE20系カローラが1,400cc・直列4気筒 OHVのT型エンジンを搭載して性能面でアピールしていたことに対抗したものである。 1972年1月 - マイナーチェンジ。内外装の小変更。フロント / リヤのフェイスリフトとメーターパネルの枠を丸型から角型に変更。 1972年8月 - 1200GXシリーズに5速MT搭載車「GX5」を追加。この56A型トランスミッションは1速が左手前に来るシフトパターンで、5速もオーバードライブでは無く、1.0:1.0となるクロースレシオであり、「5速直結」、「GXミッション」などと通称される。 1972年10月 - 第19回東京モーターショーにロータリーエンジン搭載車を参考出品。 モータースポーツ 日本では、ツーリングカーレース(TSクラス)のベース車としても大きな成功を収めており、生産終了後も長期に渡ってレースフィールドで強豪モデルとしての地位を保ち続けたことでも知られる。110型系の生産終了後、その重量と寸法の増大から後継の210型系での開発・出走を嫌った多くのユーザーからの「請願」により、数度のホモロゲーション延長が行われているが、これは車両の進化が速いレースの世界にあっては極めて異例の措置である。レース用にチューニングされたA型エンジンは、燃料噴射装置の効果もあり、自然吸気のOHV1,300ccから、その末期には175馬力/約10,000rpmを搾り出しており、何の変哲もない実用向けの原設計からは想像しがたいほどの驚異的なポテンシャルを見せた。また軽量で運動性が良く、空気抵抗の少ない車体や、旧態依然としたリーフ式サスペンション(リーフスプリングに吊られたリジッドアクスル)ながら、高いトラクションとコーナリング性能を発揮する足回りなどとの相乗効果で新鋭のDOHCマシンを下す場面もあった。前述のとおり210型系では積極的なレース活動は行われていないが、310型系のツーリングカーにこの資産は引き継がれている。 1970年11月23日 - 「全日本富士ストックカー200マイルレース」TS1300クラスでレースデビュー。優勝。ドライバーは鈴木誠一。鈴木誠一が設立者の一人である東名自動車からのプライベートエントリー。 1973年5月 - 「'73日本グランプリ」TS aクラスにて「エクセレントクーペ」優勝。ドライバーは北野元。その後、B210型の登場後もB110型は1982年までレースで活動を続けた。 1974年5月 - 「74全日本選手権鈴鹿フォーミュラレース」SS1クラスにて「サニークーペ」優勝。 1974年11月 - 「74 JAFグランプリ」SS1クラスにて「サニークーペ」1 - 2位獲得。 1975年5月 - 「75日本グランプリ」TSクラスにて「サニークーペ」2位獲得。 1977年6月 - 「JAF富士グランプリ」TSクラスにて「サニークーペ」2位獲得。 バン デラックス
※この「2代目 B110型系(1970年 - 1973年)」の解説は、「日産・サニー」の解説の一部です。
「2代目 B110型系(1970年 - 1973年)」を含む「日産・サニー」の記事については、「日産・サニー」の概要を参照ください。
- 2代目 B110型系のページへのリンク