3代目 B210型系(1973年 - 1977年)
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「日産・サニー」の記事における「3代目 B210型系(1973年 - 1977年)」の解説
時代の趨勢に合わせて駆動方式を前輪駆動に改め、エンジンも一新。SOHCへ移行、カムシャフトもサニー初のタイミングベルト駆動となる。それまで日本国内で「ダットサン」ブランドで販売されていたサニーも、B11型へのフルモデルチェンジを機に正式車名を「日産 サニー」へと切り替える。ボディタイプは4ドアセダン、3ドアハッチバッククーペ、5ドアワゴン(カリフォルニア)。先代モデルまで存在した2ドアセダンは国内向け廃止。輸出仕様のセントラには継続して設定され、バンはB11型のコンポーネンツを流用したADバンとして独立している。日本国外への輸出ではこれまでのダットサン210から北米のセントラとメキシコのツル以外では「日産サニー」となった。販売終了前月までの新車登録台数の累計はローレルスピリットと合算して68万9734台 1981年10月 - B11型にモデルチェンジ。キャッチコピーは「魅力フルサイズ」、「Sunny My Love」。 1982年2月 - 米環境保護庁より北米向けサニーである「セントラ」の1.5L 5速MT仕様が43mile/galでガソリン車No.1の燃費効率と発表される。 1982年9月 - 4ドアセダンと3ドアハッチバッククーペに1.5Lとしては国産初となるターボチャージャー付 E15ET型搭載の「TURBO LEPRIX(ターボ ルプリ)」が追加された。鏡文字で「TURBO」ロゴが入るフロントグリルを特徴とする。同時に小変更の実施(1.3Lのタイヤサイズを12→13インチに拡大、一部グレードのメーター文字盤意匠の変更、チルトステアリング採用、一部グレードのホーンをシングルからダブルへの変更等)。 1982年10月 - 4ドアセダンおよびカリフォルニアにサニー初のディーゼルエンジン車が設定され、直列4気筒SOHC・1.7LのCD17型を採用した。最高出力はグロス値で61馬力を発生した。 1983年1月 - 日産創立50周年記念限定車 「サニー50スペシャル」を発売(限定3000台)。 1983年10月 - マイナーチェンジ。キャッチコピーは「サニー、若く眩しい主人公よ」。3代目B210型より続いてきた6ライトウィンドウ&ファストバックスタイルの3ドアハッチバッククーペと、初代より続いていたサニーの"S"の字をモチーフとしたサニーエンブレムが廃止された。さらにコンパクトカーで世界的に主流となっていた2BOXスタイルの3ドアハッチバックを追加。搭載エンジンはE15SとE15ETの2種。同時にカリフォルニアのE15Eエンジン搭載車も廃止となったため、E15Eエンジン搭載車は4ドアセダンのみとなった。さらにこれと同時に「NISSAN」のロゴが同年の創立50周年を機に導入されたフォントに変更され、廃止された"S"をモチーフとしたサニーエンブレムに代わってフロントグリル右側に付くようになった。 1983年秋 - 第25回東京モーターショーにはB11型サニーをベースとした「ニッサン NRV-II」が参考出品された。樹脂材料を活用した軽量化、E13型エンジンをベースにしたメタノールターボエンジンを搭載する等、数多くの技術が盛り込まれていた。 1984年2月 - 特別仕様車GLエクストラ発売。 1984年5月 - 特別仕様車GLスペシャル発売。 1984年7月 - 3ドアハッチバック特別仕様車発売。 1984年10月 - 「4ドアセダン1300 GL EXTRA」を追加。この年、国内販売がカローラに次いで2位となる。 1985年1月 - 特別仕様車「αシリーズ」発売。ターボ車のターボチャージャーが油冷式から信頼性と耐久性に優れる水冷式に変更された。
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