2次車・3次車(1990・1991年度製)
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「営団01系電車」の記事における「2次車・3次車(1990・1991年度製)」の解説
第24編成 - 第31編成が該当する。 車体メーカーは日本車輌製造、制御器メーカーは日立製作所、モータは三菱電機。 新製時より冷房装置と客室暖房装置を搭載。銀座線では初めての冷暖房搭載車である。 冷房操作盤取り付けの関係で、北側の妻窓が消滅。 車内は化粧板を光沢のあるものに変更。座席はバケットシート、窓枠もFRP成形品に変更された。 自動放送装置を新製時より設置した。これは1990年から1993年の2000形全廃までに在来車にも設置されたが、放送に起用されている声優や内容は東京メトロ移行時に変更された。 側引戸は結露防止と戸袋への引き込み防止のため複層ガラスとされた。 3次車からは新製時よりCS-ATC装置を搭載した。在来車も1991年度から1993年度にかけて搭載された。 ATC装置の搭載に合わせて常用減速度を2次車までの3.5 km/h/sから丸ノ内線用02系と同じ4.0 km/h/sに変更した。 車体構造も一部変更されており、妻部の角の処理が丸みを帯びたもの(ネジ留めあり)から直線的(溶接処理)なものになっている(03系も1次車は01系1次車と同じ処理になっている)。 また、30編成はラストランに使用された編成でもある。
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2次車・3次車
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「山陽電気鉄道2000系電車」の記事における「2次車・3次車」の解説
1957年(昭和32年)に2次車として2000形6両(2002 - 2007)が、1959年(昭和34年)に3次車として2000形2両(2008・2009)と2500形3両(2502 - 2504)がそれぞれ製造された。2000系唯一の量産グループで、窓配置はd1 (1) D9D (1) 2(2000形)および2 (1) D10D (1) 2(2500形)である。 私鉄標準車体仕様書が関係各社の賛同をほとんど得られないまま立消えになったことと、1958年の完成に向けて着々と工事が進められていた日本国有鉄道(国鉄)山陽本線の姫路電化に備え、陳腐化が目立ち始めていた820・850形に代わる本格的な特急用車両が求められていたことから、側面窓配置、内装を大幅に変更し、850形に準じたシートピッチ910mmの転換クロスシートとそれに合せた800mm幅の狭窓となった。前面は1次車と同一だが、前面窓は最後まで原形を保っていた2008・2009を含め、窓ガラスの固定方法こそ途中で漏水対策としてHゴム支持に変更されたものの、寸法はほとんど変更されずに終わっている。機器類の構成も基本的に1次車と同一だが、主電動機は川崎製と同等の性能を備える三菱電機MB-3037-Aへ、制御器も改良型のKMC-102へ変更されている。また、台車はOK-15の実績を基に小改良したOK-15Aとなった。 長い折衝の末に監督官庁や所轄警察署の許認可を得て、懸案であった電鉄兵庫付近の併用軌道上における3両編成での列車運行が可能となったことで、1959年に追加製作された中間車である2500形は計画通りT車とされた。その車両番号の下1桁は同期製作で編成を組む電動車のうち、偶数番号車の下1桁の半分の値を取って付番されたが、実際には必ずしも対応する電動車とのみ連結されていた訳ではなく、時期によってはこのグループのものが1次車編成に組み込まれていたケースや、このグループの電動車に5次車のアルミ製中間車が組み込まれたケースもあるなど、検査などの都合に合わせて弾力的な運用が実施されていた。 こちらの台車はやはり軸梁式のOK-21で、OK-15系に比して揺れ枕吊りの構造が大幅に改良され、揺れ枕部にオイルダンパとボルスタアンカーが追加されて乗り心地の改善が図られている。 1959年(昭和34年)に追加製作された2008-2009は、ラッシュ対策として扉間の両端各1列分をロングシートとしていた。さらにこの2両は翌年4次車の電動車を転換クロスシート仕様で導入するにあたり、混雑対応のため全ロングシート化された。その他の編成も次第に混雑時の乗降に耐えられなくなり、また複雑な制御器のメンテナンスに手を焼いたこともあって、神戸高速鉄道開業後、3000系の増備が一段落した1969年(昭和44年)より電動車の電装解除と運転台撤去と扉増設、ロングシート化、ブレーキのHSC化、引き通し線の3000系仕様化、行先表示器等の追加設置などを実施した上で3000系3550形に編入された。この際発生したMB-3037系モーターは3200形に流用され、余すことなく有効活用された。このグループの3550形への改造後は、1986年(昭和61年)に5000系が登場するまで山陽電鉄のクロスシート車は製造されなかった。 また、このグループから改造された3550形の多くは、2300系改造車(3560番台)に置き換えられ、1998年(平成10年)に廃車されている。 車両番号の対応は以下の通り。 旧車両番号 改造年月日 備考 3550 2503 1969/11/28 1990年、救援車1500に改造 3551 2004 1969/12/26 1989/7/31廃車 3552 2005 1969/12/8 1985/10/15廃車 3553 2502 1970/7/11 1998/6/5廃車 3554 2006 1970/7/11 1998/3/31廃車 3555 2007 1970/8/26 2003/2/28廃車 3556 2504 1970/12/12 2003/2/28廃車 3557 2002 1970/10/19 2001/11/20廃車 3558 2003 1970/12/12 1998/6/5廃車 改造されずに残った2000形2008・2009の2両は3550形に改造された僚車のように冷房装置が搭載されることもなく、2扉ロングシートのまま6次車の2508を挟んで普通車として運用が続けられたが、5000系増備に伴い1989年(平成元年)に廃車された。ただし、当グループの電動車の主電動機はいずれも最終的に3200形に流用されており、2011年(平成23年)現在も全数が現役である。また、3550は狭幅に改造されていた貫通路を広幅に復元して両開き扉を設置するなどの改造を施し、塗色もクリーム地に水色帯へ変更した上で救援車1500となった。 この1500は通常は東二見車両基地に常駐しており、山陽在籍車では最後の非冷房車であったが、2010年6月30日付で廃車された。
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