2次車以降
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「山陽電気鉄道2700系電車」の記事における「2次車以降」の解説
1964年から更新が開始され、2000系3扉ロングシート車グループ(2000系5次車以降)と同じ車体に700系の足回りを持つ更新車として登場した。このグループに該当するのは2702・2704・2706・2708 (Mc) - 2703・2705・2707・2709 (Tc) の2両編成×4本と増結用の2712・2714 (Mc) の計10両である。そのうち制御車2709は、2700系全編成を3連化する際に方転・電装され、2700系では例外的に奇数車番の電動車となった。車体は2000系3扉ロングシート車グループと同じ窓配置のd1D4D4D1・前面3枚窓で貫通扉を持つ全金属製車体となった。 主要機器は更新前の700形から再用され、台車がDT13S、主電動機がMT40であり、制御器についても更新前と同じく電空カム軸式制御器CS5・界磁接触器CS9をひき続き搭載した。 このころになると沿線の播磨灘沿岸に多くの工場が建設(播磨臨海工業地帯)されるなど、ラッシュ時の輸送が激化の一途をたどったことから、同時期に製造された2000系3扉ロングシート車グループに合わせた通勤車として製造された。ただ、製造コスト抑制のためアルミやステンレスといった軽合金を使わずに、前年の1963年に2000系の最終増備車として竣工した2507, 2508同様、普通鋼製車とされた。
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2次車以降
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「小田急4000形電車 (2代)」の記事における「2次車以降」の解説
編成別の製造次については前述を参照。 ← 小田原・唐木田・藤沢 新宿・片瀬江ノ島・北綾瀬・取手 → 号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 形式クハ4050 デハ4000 デハ4000 サハ4050 サハ4050 デハ4000 デハ4000 デハ4000 デハ4000 クハ4050 区分Tc2 M6 M5 T2 T1 M4 M3 M2 M1 Tc1 車両番号4558∥4566 4508∥4516 4408∥4416 4458∥4466 4358∥4366 4308∥4316 4208∥4216 4108∥4116 4008∥4016 4058∥4066 搭載機器 SIV,CP VVVF,PT CP VVVF,PT SIV,CP VVVF,PT 定員144 153 153 153 153 153 153 153 153 144
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2次車以降
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1970年から1973年にかけて製造された2 - 6次車 (7121F - 7197F) は急行運用を中心に使用する目的で製造されたため、新製時より冷房を搭載している。これらのグループは4両編成とモハ7101形 (Mc) +クハ7951形(Tc, 制御車)の2両編成が製造されている。モハ7101形は当時の非冷房車と区分するため7119と7120、さらにMc+T+T+McとMc+Tcの6両単位で作られたため、7124以降は4の倍数の車番が、さらに7197Fが2両組成の関係で、7198も欠番になっている。サハ7851形は製造過程で7898まで達し、これ以上増やすと7900台に入りクハ7901形と番号が重複するため、7899と7900は欠番、形式より若い車番 (7843 - 7850) がある。また、方向幕は2・3次車は搭載していなかったが、1972年製造の4次車は前面のみ付けられ、1973年製造の5・6次車は側面にも方向幕を付けている(後に全車設置)。6次車は昇圧後の1973年10月に竣工したため1500V単電圧仕様となっている。また、連結器のジャンパ栓(受)も3本から4本に増設されており、1次車とは区別が明確になった。
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