群発地震
群発地震
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群発地震(ぐんぱつじしん、英: earthquake swarm)とは、地震活動の一種。比較的狭い震源域において断続的に地震が多発するもので、最大震と余震の関係が余震に関する大森公式(改良大森公式)に従った減衰の経過を辿らない。
概要
主に火山活動・プレートの移動(マグマの移動)が発生の要因である。噴火の直前は相当数の地震が起きる例が観測されている[1][2]。群発地震に関しては、特に「本震」・「余震」といった区別はされず、顕著な被害を伴った場合は気象庁が命名を行うことがある。
無感地震が多発するのみの場合もあれば、震度5や6クラスが立て続けに発生する場合もある。また、短期間で断続的に地震が発生し続けるため、船酔いのような感覚(地震酔い)や寝不足などになる人もおり、さらに強い揺れによる被害の増加などによって日常生活に多大な影響を及ぼす時もある。ノイローゼにかかる人もいる。一方、震源地周辺住民にとっては地震が日常茶飯事となり、地震の少ない地域の住民に比べ、発生時の行動は落ち着いているとも言える。
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)や熊本地震などのように、規模が大きな地震が発生した後に多数発生する余震は群発地震とは呼ばない[注 1]。ただし、群発地震が大きな規模の地震の予兆現象(前震)になることはある(三陸沖地震〈東北地方太平洋沖地震の前震〉・能登群発地震など)。
発生しやすい地域
原因
火山周辺での群発地震は、マグマの貫入(有珠山、普賢岳)や地下水の湧出(松代群発地震)で噴火活動にまで至る場合も有るが、一過性の活動で終息する場合もある。但し、火山直下の微小地震活動は、火山性微動であり群発地震として扱わない[5]。
巨大地震による誘発地震として、クーロン応力の変化が影響[6][7]や、人間の経済活動が影響する事もあり、ダムの貯水[8]、シェールガス採掘に伴う群発地震[9]も報告されている。
群発地震と前震
時に、大地震には明瞭な前震活動が観測されていることがある[10][11]。しかし、本震の発生後にそれが前震であったことが判明するものであり、ある地域に群発地震の様相を呈する一連の地震活動が始まったとき、それが前震であるのか、群発地震で済んでしまうかは活動が終息するまで判らない[12]。
日本の主な群発地震
日本で記録に残る代表的な群発地震としては、下記の例が挙げられる。
- 1938年5月から - 福島県東方沖地震[13]
- 1965年から1970年 - 長野県の松代群発地震
- 1975年から1976年 - 宮崎県霧島山周辺[14]
- 1978年10月下旬から1980年末 - 函館群発地震(震源域は函館山すぐ南沖と湯の川温泉沖)[15]
- 1992年 - 西表島周辺[16]
- 1998年 - 岐阜県飛騨地方[17]
- 2017年 - 鹿児島湾(鹿児島市喜入町で震度5強)[18]
- 2020年4月から - 長野県中部・岐阜県飛騨
- 2020年12月頃から - 石川県能登地方(珠洲市直下)→詳細は「能登群発地震」を参照
- 現時点で最大規模の地震は2024年1月1日16時10分に発生したM7.6、最大震度7の地震(令和6年能登半島地震)。珠洲市の地下に存在する水などの何らかの流体が関連しているものと見られている。
- 伊豆の群発地震
箱根、伊豆半島から伊豆諸島(伊豆大島、式根島、三宅島など)周辺では、以下のように1800年代からの発生記録が残っている。近代的な観測網が整備された以降でも1978年以来、20数年間にわたって30回以上の群発地震活動[19]が数えられており、顕著な被害を伴った群発地震も発生している。
- 1816-17年、1868年(または1870年)、1930年
- 1978年6月から - 伊東沖群発地震
- 1993年1月から - 伊豆半島東方沖群発地震[20]
- 2000年 - 伊豆諸島北部群発地震[23]
- 2021年4月-10回以上 最大規模M4.3
- 焼岳付近の群発地震
焼岳付近でも 1968年[24]、1990年[25]、1998年[26]、2011年[27]、2014年とたびたび群発地震や深部低周波地震が観測されている。
- トカラ列島付近の群発地震
トカラ列島でも群発地震が起きやすく、過去に何度も起こっている。
- 1968年6月-60回以上
- 1972年6月から7月-20回以上
- 1975年9月-40回以上 最大規模M5.1
- 1981年3月-110回以上 最大規模M5.4が2回
- 2000年10月-40回以上 最大規模M5.9
- 2016年4月-11回 最大規模M4.2
- 2016年7月-13回 最大規模M4.3
- 2016年12月-55回 最大規模M4.2
- 2017年4月-11回 最大規模M3.4
- 2018年4月-19回 最大規模M3.6
- 2020年8月-8回 最大規模M3.6
- 2021年4月-265回 最大規模M5.2が2回
- 2021年12月-308回 最大規模M6.1
- 2023年9月-346回 最大規模M5.3
参考文献
- 小山真人:文献史料にもとづく歴史時代の伊豆半島東方沖群発地震史と東伊豆単成火山地域の火山活動史 静岡大学教育学部総合科学教室(第四紀研究,38巻,435-446ページ,1999)
- 群発地震 防災科学技術研究所
- 笠原稔(編著),鏡味洋史(編著),笹谷努(編著),谷岡勇市郎(編著) 『北海道の地震と津波』 北海道新聞社 2012年 ISBN 9784894536340
脚注
注釈
- ^ ただし前者について、気象庁は2021年4月1日以降は余震と表現しないことを決定した[3]。→詳細は「東北地方太平洋沖地震 § 余震」を参照
出典
- ^ 有珠山 有史以降の火山活動 気象庁
- ^ 雲仙岳 有史以降の火山活動 気象庁
- ^ “気象庁、東日本大震災「余震」使わず 判断困難に”. 日本経済新聞. 日本経済新聞社 (2021年4月1日). 2021年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月11日閲覧。
- ^ a b 北海道の地震と津波 p.177
- ^ 火山性微動 気象庁 阿蘇山火山防災連絡事務所
- ^ 原田昌武、明田川保、伊東博 ほか、「2011年東北地方太平洋沖地震によって誘発された箱根火山の群発地震活動」『地震 第2輯』 Vol.64 (2011-2012) No.3 P.135-142, doi:10.4294/zisin.64.135
- ^ 飛騨山脈焼岳火山周辺における東北地方太平洋沖地震後の群発地震活動」『地震 第2輯』 65巻 1号 2012年 p.85-94, doi:10.4294/zisin.65.851
- ^ 寺島敦、松本利松、「ダム貯水と地震活動 (2)」『地震 第2輯』 37巻 1号 1984年 p.81-88, doi:10.4294/zisin1948.37.1_81
- ^ シェールガス開発の環境リスク 〜地震誘発や環境汚染など (PDF)
- ^ 今村明恒, 「濃尾大地震の前徴に就いて」『地震 第1輯』 Vol.15 (1943) No.12 p.336-341, doi:10.14834/zisin1929.15.336
- ^ 海野徳仁、長谷川昭、小原一成 ほか、「1983年日本海中部地震の前震と余震の震源分布」『地震 第2輯』 38巻 3号 1985年 p.399-410, doi:10.4294/zisin1948.38.3_399
- ^ 茂木清夫, 「最近の群発地震研究について」『地學雜誌』 92巻 7号 1984年 p.547-554, doi:10.5026/jgeography.92.7_547
- ^ 羽鳥徳太郎、「1938年福島沖群発地震による津波の発生機構」『地震 第2輯』 29巻 2号 1976年 p.179-190, doi:10.4294/zisin1948.29.2_179
- ^ 宮崎務、山口勝、増谷文雄、寺尾弘子、「"1975〜1976年"霧島火山地方地域における群発地震活動」『東京大学地震研究所彙報』 51(2), p115-149, 1976-12-00, NAID 40002597680, hdl:2261/12612
- ^ 北海道の地震と津波 pp.159-161
- ^ 馬場久紀、飯塚進、浅田敏、「1992年西表島群発地震の特徴について」『地震 第2輯』 47巻 2号 1994年 p.143-153, doi:10.4294/zisin1948.47.2_143
- ^ 飛騨山地の群発地震活動(名大理) 地震予知連絡会 会報 第61巻 (PDF)
- ^ 九州地方の主な地震活動 (PDF)
- ^ 1978〜1998年の伊東沖における日別地震回数の推移(防災科研データによる) 防災科学技術研究所
- ^ 1993年1月伊豆半島東方沖の群発地震活動(防災科研) 地震予知連絡会 会報 第50巻 (PDF)
- ^ 伊豆半島東方沖の群発地震活動について 平成7年10月3日 地震調査研究推進本部 地震調査委員会
- ^ 2009年12月伊豆半島東方沖の地震活動について(気象庁) 地震予知連絡会 会報 第84巻 (PDF)
- ^ 伊豆半島付近の地震活動(2000年5月〜2000年10月)(震研) 地震予知連絡会 会報 第65巻 (PDF)
- ^ 尾池和夫、「1968年11月8日焼岳に発生した群発地震の発震機構について」『京都大学防災研究所年報』 1-Mar-1970, 13巻, A, p.133-140, hdl:2433/69492
- ^ 和田博夫、伊藤潔、梅田康弘 ほか、「焼岳火山付近の群発地震観測」『京都大学防災研究所年報』 1-Apr-1993, 36巻, B-1, p.291-303, hdl:2433/72435
- ^ 大見士朗、和田博夫、伊藤潔、「1998年飛騨山脈群発地震後の深部低周波地震群発活動」『地震 第2輯』 54巻 3号 2001年 p.415-420, doi:10.4294/zisin1948.54.3_415
- ^ 大見士朗、和田博夫、濱田勇輝、「飛騨山脈焼岳火山周辺における東北地方太平洋沖地震後の群発地震活動」『地震 第2輯』 65巻 1号 2012年 p.85-94, doi:10.4294/zisin.65.85
関連項目
外部リンク
- 日本の群発地震(Earthquake Swarms in Japan) - archive.today(2013年1月11日アーカイブ分) 群発地震研究会(Research Group of Earthquake Swarms in Japan)
- 群発地震発生のメカニズムを解明 産業技術総合研究所 2002年9月5日発表
- 勝俣啓、佐々木智彦, 「群発地震活動の震源移動と流体による亀裂伝播モデル」『地震 第2輯』 65巻 2号 2012年 p.219-221, doi:10.4294/zisin.65.219
- 松村正三, 「伊豆諸島沿いの地震群発生の同期性について」『地震 第2輯』 40巻 2号 1987年 p.267-269, doi:10.4294/zisin1948.40.2_267
群発地震
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「南西諸島近海地震#1992年西表島群発地震」も参照 1991年1月23日から1994年末にかけて、西表島北部とその沖合で群発地震が発生した。1991年2 - 3月の2か月間に有感地震が約700回、1992年9 - 12月の4か月間には約1,400回も観測され、特に1992年10月の1か月に800回以上も計測された。この群発地震の特徴としては、震源の深さが10キロメートル未満とごく浅く、また地震のマグニチュードが最大でも5.2と小さいのが挙げられる。 地震発生時に、西表島北部の海岸に軽石が幾度も漂着した。マスコミは火山性地震なのか、また1924年に噴火した近海の海底火山が再噴火するのではないかと懸念する報道がなされた。その後、この群発地震の原因を調査すべく研究者らによって、西表島各地に精密機器を使用した地震観測、さらに地磁気測定や海底調査も行われた。しかしその調査で火山性地震と示す証拠は発見されず、また漂着した軽石は地震前に既に打ち上げられたものが、潮の満ち引きにより再び漂着したと考えられる。長野県で発生した松代群発地震と同原因の水噴火によるものと思われたが、確証は得られなかった。結局、群発地震の発生原因の詳細は不明である。 この群発地震で最大震度5を記録、その際に西表島で石垣が崩壊したが、人的被害は発生しなかった。また島内の各集落は津波の襲来に備えて標高20メートル以上の高台に避難所を設置した。さらに長引く地震により西表島を含む八重山諸島への旅行客が激減した。挙句の果てに西表島から約500キロメートルも離れて当群発地震と無関係であった沖縄本島でも観光客が減少するなどの風評被害をもたらした。しかしその一方で、連日の地震報道により地震対策に関心の薄い沖縄の人々に警戒感を持たせる効果を出したとの意見もある。
※この「群発地震」の解説は、「西表海底火山」の解説の一部です。
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