あお‐ばな〔あを‐〕【青花】
せい‐か〔‐クワ〕【青華/青花】
グリーンローズ (青花)
●中国原産で、わが国でも垣根用に古くから栽培されてきた「コウシン(庚申)バラ」の亜種です。四季咲きで、花は緑色の小さな八重咲きです。花には花弁がなく、たくさんの萼片があります。満開のときには、赤味を帯びます。別名で「セイカ(青花)」とも呼ばれるそうです。
●バラ科バラ属の常緑小低木で、学名は Rosa chinensis ssp. viridiflora。英名は Green rose。
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青花
染付
染付(そめつけ、英: blue and white)とは、白色の胎土で成形した素地の上に酸化コバルト(II)を主とした絵の具で模様を絵付し、その上に透明釉をかけて高温焼成した陶磁器。おもに磁器で、模様は藍青色に発色する[1]。
中国語では「青花瓷(せいかし、拼音: qīng huā cī)」、または「釉裏青(ゆうりせい、拼音: yòu lǐ qīng)」という漢字表記で書いている。
概要
透明釉の下に発色層がある釉下彩技法の一種である。 同じ酸化コバルトの発色であるが、低温釉を使った唐三彩の藍彩などは染付ではない。この絵の具の材料は、日本では呉須(ごす)と呼んでいる。江戸時代には、茶碗薬とも呼んだ[2]。
コバルトを含むこの材料は、中国でも輸入品が多く、元末から明初では西南アジアから輸入されたスマルト、蘇麻離青または蘇勃泥青とよばれる濃い藍のガラスを使用していた。その後も外国から輸入される材料を回青と呼んでいる。また、中国国内で産出する土青、石青などと呼ばれる呉須も使用されるようになった。近代以降はドイツ産などの人造コバルトも多く使用されている[3]。
日本では、磁土を一度素焼きしてから、呉須で図柄を描き、その上から透明釉を掛けて再度焼成(本焼き)するのが一般的である。中国では、素焼きをしていない素地に呉須で図柄を描き、その上から透明釉を掛けて焼成する技法(生掛け)が原則である[4]。ただし、極端に薄い磁器は素焼きをするし、生掛けは初期伊万里でもみられる。
歴史と影響
唐時代後期の9世紀ころとされる、インドネシアでの沈没船から発見された染付小皿がある。河南省の窯からも9世紀とされる同様な染付陶片が発見されている。元時代から景徳鎮窯で盛行し、15世紀には、李氏朝鮮、ベトナムなどに広まった。日本では17世紀に伊万里焼が作り始めた。オランダのデルフト焼の多くは釉下彩であり、染付軟質陶器である[5]。また、デンマークのロイヤルコペンハーゲンの製品は染付磁器である。
脚注
参考文献
- 佐賀県立九州陶磁文化館監修『古伊万里入門』、p.15、青幻舎、2007年。ISBN 978-4-86152-118-8
- 「世界美術小辞典-31-東洋陶磁・ガラス-2-,日本編・染織-1-」。新潮社、『芸術新潮』1972年6月号。ISSN 0435-1657
- 佐藤雅彦、平凡社カラー新書『中国やきもの案内』、平凡社、1979年。全国書誌番号:80003980
- 内藤 匡『新訂 古陶磁の科学』、二玄社、1986年。
- 前田正明『西洋陶磁物語』、講談社、1980年。全国書誌番号:81012487
外部リンク
青花
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:05 UTC 版)
元代の陶磁史において特筆すべきことは、青花、すなわち白地に青の文様を表した磁器の隆盛である。青花は「青い文様」の意で、英語では「ブルー・アンド・ホワイト」、日本語では「染付」と称される。青花は釉下彩の一種であり、成形した器をいったん素焼きしてから、酸化コバルトを含む顔料で器面に絵や文様を描く。その上から透明釉を掛けて高火度で還元焼成すると、顔料は青色に発色する。元代には西アジアから輸入されたコバルト顔料が使用されたことが分析結果から判明しており、この顔料を中国では「回青」または「回回青」(「イスラム圏の青」の意)、日本語では呉須という。釉下彩の技法は、すでに唐時代の長沙窯に先例があるが、宋時代には中国陶磁の主要な技法とはなっていなかった。釉下彩磁が盛んになるのは元時代の景徳鎮窯からである。 元の国号が定められたのは1271年であるが、陶磁器の作風に関しては、しばらくは大きな変化がなく、南宋ならびに金の陶磁の延長であった。元時代特有の陶磁が現れるのは14世紀、1300年代に入ってからである。年代の押さえられる初期作品としては、延祐5年(1318年)の無名氏墓(江西省九江市)から出土した青花塔形瓶が指標となる。ロンドンのデイヴィッド財団蔵の至正11年(1351年)銘の青花龍文象耳瓶一対は世界的に知られる名品であり、元代青花の編年の基準作例となった。これは器の肩に象頭形の双耳を有する大瓶で、至正11年に道観(道教寺院)に寄進された旨の銘が器の口縁の下の文様帯内に書かれている。この瓶に最初に着目したのは大英博物館の極東担当であった R. L. ホブソン(Robert Lockhart Hobson, 1872-1941)で、それは1929年のことであった。元の青花磁器は中国国内よりも日本、西アジアなどの国外に多く伝来しており、中でもトルコのイスタンブールのトプカプ宮殿、イランのアルデビル・モスクなどの伝来品は著名である。1950年代にはフリーア美術館の J. A. ポープが、これら西アジアのコレクションから元様式の青花を抽出し、青花磁器の編年の基礎を築いた。デイヴィッド瓶に代表される青花の様式を至正様式と呼ぶ。この瓶が作られた14世紀半ばには元の青花磁器は様式的にも技法的にも成熟した段階にあったことがわかるが、このような成熟した様式の青花がどのような経過をたどって発展したかは定かでない。 元代には顔料にコバルトを用いた青花のほか、銅を用いて赤く発色させた釉裏紅(ゆうりこう)という技法の作品も作られたが、銅の顔料は高火度では気化しやすく、鮮明な赤色に発色させることが困難なため、元時代の釉裏紅はややくすんだ赤に発色したものが多い。元代青花の代表的な器種には壺、水注、梅瓶(口が小さく肩の張った形の瓶)、盤などがあり、酒会壺と称する口の広い壺や、瓢形の瓶などもある。元代磁器の特色の一つは大作が多いことで、径40センチを超える大盤(大皿)をしばしば見る。こうした大作主義は、輸出先である西アジアの需要に応じたものと考えられる。西アジアのイスラム圏では、円卓を大勢で囲み、大皿に盛った料理を各自が取り分けて食べる習慣があった。文様は伝統的な龍、鳳凰などのほか、人物図、牡丹唐草などの親しみやすいものが多く、大きな器面を目一杯使用して、あまり余白を残さずに文様を描き詰めたものが多い。主文様の上下や周囲に蓮弁文、如意頭文、波濤文などの従文様帯を配した構成には、西アジア美術の影響が看取される。人物文には当時の雑劇である「元曲」の場面に取材したものの多いことが指摘されている。 一方、五彩(色絵)の技法は、金代に磁州窯で創始されたが、元時代の景徳鎮窯ではもっぱら青花が主役であり、元時代の五彩の様式発展については明確でない。青花の青を用いず、赤と緑の上絵付けのみで文様を描いた素朴な色絵磁器の作品群があり、これらは元末から明初にかけての民窯の作とみられる。
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青花(せいか)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:44 UTC 版)
アニメ版に登場。紅蜂がミスターXの下を離れた後に新たに任命された補佐役。
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