附属学校・園
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池田市、大阪市天王寺区、大阪市平野区に幼稚園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校を持つ。池田市には全国共同利用施設「学校危機メンタルサポートセンター」が設置され、学校安全、学校での災害被害児童・保護者の心理的ケアの実践・研究を実施している。 幼稚園大阪教育大学附属幼稚園 小学校大阪教育大学附属天王寺小学校 大阪教育大学附属池田小学校 大阪教育大学附属平野小学校 中学校大阪教育大学附属天王寺中学校 大阪教育大学附属池田中学校 大阪教育大学附属平野中学校 高等学校大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎 大阪教育大学附属高等学校池田校舎 大阪教育大学附属高等学校平野校舎 特別支援学校大阪教育大学附属特別支援学校
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附属学校園
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「奈良女子高等師範学校」の記事における「附属学校園」の解説
1911年(明治44年)3月29日 - 附属小学校を設置。(奈良女子大学附属小学校の前身) 7月20日 - 奈良県立奈良高等女学校を母体に附属高等女学校を設置。奈良高女は廃止され、同校生徒は附属高女に収容。 1912年(明治45年)7月8日 - 附属幼稚園を設置。(奈良女子大学附属幼稚園の前身) 1916年(大正5年)4月17日 - 附属実科高等女学校を設置。 1937年(昭和12年)4月15日 - 附属実科高等女学校を廃止。附属高等女学校を改組し従来の高女を第1部、実科高女を第2部とする。 1941年(昭和16年)5月1日 - 国民学校令に伴い、附属小学校を附属国民学校に改組。 1944年(昭和19年)4月1日 - 附属高等女学校第1・2部を合併。 1945年(昭和20年)4月1日 - 附属高等女学校に修業年限1年の専攻科を設置。 1947年(昭和22年)6月2日 - 学制改革に伴い、附属中学校(新制)が発足。(奈良女子大学附属中等教育学校の前身) 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革に伴い、附属高等学校(新制)が発足。(奈良女子大学附属中等教育学校の前身)
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附属学校園
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「東京女子高等師範学校」の記事における「附属学校園」の解説
附属幼稚園 1876年(明治09年)11月16日 - 校内に附属幼稚園を開設し保育開園。 1886年(明治19年)4月29日 - 本校の高等師範学校への統合にともない高師附属となる。 1890年(明治23年)3月25日 - 女子高等師範学校の分離独立にともない本科附属となる。 1892年(明治25年)9月24日 - 分室(簡易幼稚園)を設置。 1896年(明治29年)4月21日 - 保姆会を中心に幼児保育研究団体「フレーベル会」設立。 1912年(明治45年)1月23日 - 附属幼稚園本園を第1部、分室を第2部とする。 1932年(昭和07年)12月28日 - 大塚の新園舎への移転完了。 1944年(昭和19年)9月1日 - 戦局悪化により附属幼稚園休園(1945年(昭和20年)3月に閉園)。 1946年(昭和21年)4月 - 第1部・第2部の編成を廃止。 1949年(昭和24年)3月 - 3年保育を再開。 1952年(昭和27年)4月 - お茶の水女子大学文教育学部附属となる。 附属小学校 1877年(明治10年)2月1日 - 附属小学校を設置(1878年9月20日:授業開始)。 1878年(明治11年)7月2日 - 附属練習小学校と改称。 1881年(明治14年)4月 - 附属小学校に再改称。 1882年(明治15年)7月10日 - 附属女児小学校と改称。 1886年(明治19年)4月29日 - 本校の高等師範学校への統合にともない高師附属となり附属小学校も統合。 1890年(明治23年)3月25日 - 女子高等師範学校の分離独立にともない附属小学校も分離し高師附属小学校の女児を転学。 1892年(明治25年)4月30日 - 分教室(単級小学校)を設置。 1893年(明治26年)3月 - 分教室を附属小学校第3部と改称。 1904年(明治37年)4月 - 第3部において2部授業開始。 1909年(明治42年)4月1日 - 第3部に特別学級設置。 1911年(明治44年)2月 - 第3部に裁縫を中心とした修業年限2年程度の補習科を設置。 1914年(大正03年)2月16日 - 第3部の補習科を廃止。 1934年(昭和09年)3月 - 大塚の新校舎への移転完了。 1941年(昭和16年)4月 - 附属国民学校に改組。 1944年(昭和19年)8月 - 附属国民学校児童は東村山郊外園へ疎開(1945年(昭和20年)4月まで)。 1945年(昭和20年)4月 - 富山県へ再疎開(1946年(昭和21年)3月まで)。 1946年(昭和21年)4月 - 授業再開。 1947年(昭和22年)3月 - 高等科を廃止。 4月1日 - 附属国民学校初等科が改組され新制の附属小学校として発足。高等科を改組し、新制の附属中学校を設置。 1952年(昭和27年)4月 - お茶の水女子大学文教育学部附属となる。 附属高等女学校 「東京女学校」も参照 1877年(明治10年)2月19日 - 東京女学校廃校にともない同校生徒を東京女子師範学校「英文科」に収容。 1878年(明治11年)1月 - 英文科を別科と改称。 7月 - 学年末に別科を廃止し生徒は本校予科に編入。 1879年(明治12年)3月24日 - 東京女子師範学校予科を廃止。生徒は私立の女子師範予備学校に移される。 1880年(明治13年)7月 - 東京女子師範学校予科を再設、旧生徒を復校させる。 1882年(明治15年)7月10日 - 予科を改組し修業年限5年の附属高等女学校を設置(9月:授業開始)。日本最初の高等女学校。 1886年(明治19年)2月18日 - 附属高女を文部大臣官房所属とし高等女学校と改称。 6月19日 - 東京高等女学校と改称。 1887年(明治20年)10月4日 - 東京高等女学校、文部省直轄学校となる。 1890年(明治23年)3月25日 - 女子高等師範学校の分離独立にともない本科附属となる。 1893年(明治26年)3月 - 修業年限2年の専修科設置(のちに補習科と改称)。 1899年(明治32年)3月 - 附属高等女学校の修業年限を5年に短縮。 1901年(明治34年)2月 - 補習科を廃止し第1部・第2部からなる修業年限3年の専攻科を設置。 1914年(大正3年)2月16日 - 修業年限2年の実科を設置。 1921年(大正10年)3月 - 専攻科第1部・第2部を廃し国語部・英語部・家事部を設置。 1928年(昭和3年)3月 - 専攻科英語部廃止。 1930年(昭和5年)3月 - 実科を廃止。 1935年(昭和10年)3月 - 大塚の新校舎への移転完了。 1939年(昭和14年)11月 - バスケットボール部が第10回明治神宮国民体育大会で優勝(1941年(昭和16年)11月の第12回大会でも優勝)。 1942年(昭和17年)5月 - バスケットボール部が第12回全日本女子選抜籠球選手権大会で優勝。 11月 - 学徒勤労動員の開始。 1944年(昭和19年)4月15日 - 全国に率先して学校工場開設。 1945年(昭和20年)5月 - 附属高女生徒、新潟県・秋田県へ疎開。 6月18日 - 学徒勤労動員の解除。 6月 - 専攻科有志、新潟県へ集団疎開。 1947年(昭和22年)4月1日 - 新制の附属中学校を設置。本年をもって附属高女・専攻科の入学募集打ち切り。 1948年(昭和23年)3月31日 - 附属高女を廃止。 4月1日 - 附属中学校から分離して新制の附属高等学校が設置。 1952年(昭和27年)4月 - 附属中学・高校はお茶の水女子大学文教育学部附属となる。
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附属学校園
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神戸大学附属幼稚園(明石地区・明石市) 神戸大学附属小学校(明石地区・明石市) 神戸大学附属中等教育学校(住吉地区・神戸市東灘区) 神戸大学附属特別支援学校(大久保地区・明石市) 改組前は以下の附属学校が存在した。 住吉地区神戸大学附属住吉小学校 神戸大学附属住吉中学校(附属中等教育学校の前身) 明石地区神戸大学附属明石小学校(附属小学校の前身) 神戸大学附属明石中学校・神戸大学附属中等教育学校明石校舎
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