阿選の偽朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 07:39 UTC 版)
丈阿選(じょう あせん) 姓名は朴高。戴国の偽王。驕王の朝・驍宗の朝ではともに禁軍右将軍。驕王時代には人望・武勇ともに驍宗と互角の将軍で、双璧と呼び慣らされていた。字の「阿選」は「選ばれたお方」の意味だが、実際には若手時代の破格の出世ぶりを「上に阿る(おもねる)のが上手い奴」と陰口を叩かれる形で付けられたものであり、それを承知で自ら名乗っている。実際には上に阿る必要などなく、出世したければ努力し功を上げれば良いという思想であり、驍宗も同じ考えでいるものとして好敵手と感じていた。しかし驍宗が驕王の命を拒んで野に下った時から、功を上げることより道義を通すことを選んだ驍宗に対する劣等感に苛まれるようになり、真の意味で常勝不敗の将軍と称えられながらも劣等感を拭い去ることはできず、それは次第に憎しみへと変わっていった。 琅燦同様、恐ろしい事象であっても隠さず泰麒に伝えていたため、李斎達よりも泰麒の信頼を得ていたが、伝える内容には虚偽を交えて泰麒が使令を驍宗の下へ遣わすよう誘導し、泰麒が丸腰になったところで本性を顕して斬りかかった。同時に文州で烏衡に驍宗を襲撃させ、函養山の底へ生き埋めにした。 驍宗失踪後は白雉末声を捏造し、仮王という体で戴国の事実上の支配者になるが、泰麒の捕縛に失敗したことを始めとする計画外の事態が多数あったため次第に疑念を抱かれ、結局は反抗者を弾圧するしかなくなる。軍による問答無用の反民虐殺、琅燦に授けられた呪術と妖魔・次蟾を利用した反抗者の傀儡化(妖魔の仕業と知らない者は「病む」と称する)で国を支配し、特に驍宗に縁の土地である乍県や轍囲、呀嶺は徹底的に壊滅させた。一方で天の後ろ盾を持たない偽王を排除する摂理が動かないよう、国家経営は完全に放棄し、国土が荒廃し民が困窮しようが意に介さない。 琅燦(ろうさん) 驍宗の朝における冬官長大司空。阿選登極後は太師だが、実質的には冬官長を引き続き兼任している。外見年齢は18〜19歳程の女性。一見飄々としているが恐ろしく博識であり、冬官長の下に存在する無数の工匠のいずれとも話が通じる等、冬官長として彼女以上の適任者はいない。黄朱と交流を持った驍宗に黄朱から最初に預けられた人物であり、常識に捕らわれない奔放さは当初から有名だった。 黄朱ゆえに麒麟に対する無条件の崇敬意識を持たず、泰麒についても庇護するべき無力な子供ではなく一国の宰輔として厳格に見ており、李斎らが伏せていた謀反の可能性等を包み隠さず彼に伝えていた。また麒麟としては初めて饕餮を使令に下した彼を「饕餮以上の化け物」と称した。 阿選を唆して大逆に踏み込ませ、妖魔の知識や妖魔を使役する技術を提供して謀反に協力したが、阿選に対する評価は一貫して「驍宗に遙かに及ばない」であり、官吏の前でも軽蔑した言動を隠さない。目的は天意を試すことであり、延王・延麒が天綱の線引きを碧霞玄君に訊ねるように、天綱の隙間を実際に突く実験をしていた。実験と関係のないところでは自分の権限の及ぶ範囲で極力民を守ろうとしており、国府・地方の冬官を保護し、冬官が作り民が使う医薬品を絶やさないようにしていた。 張運(ちょううん) 驍宗の朝における春官長大宗伯だが、阿選の乱の際に率先して阿選に与し反抗者を弾圧して、阿選の朝では冢宰として栄華を極める。儀礼に関する知識では並ぶ者がないと評されていたが、実際には政敵の脚を引っ張る術に長けただけの無能で、泰麒帰還後に泰麒とあからさまに敵対したことで権威を失う。最後は士遜に数々の陰謀を暴露されて失脚する。 案作(あんさく) 冢宰補として張運を操り、張運を有能であるかのように演出していた能吏。張運が泰麒と敵対して立場を悪化させる中、阿選に接近して驍宗処刑を唆す。張運失脚後は変わって冢宰に任じられる。 士遜(しそん) 張運の腹心。張運の意を受け政敵の部下として送り込まれ、過剰な忠義を尽くすことで相手の気力・評判を落とす陰謀を実行していた。泰麒帰還後は瑞州州宰として、後には天官内宰として泰麒の行動を妨害するが、いずれも泰麒の策略によって失敗し、最後は国官に直接泰麒を襲撃させたことで逮捕される。尋問の際、張運から切り捨てられたことを察して、逆に張運のこれまでの陰謀を暴露する。 恵棟(けいとう) 阿選軍の元幕僚。阿選登極後は小司馬または司馬補に内定していたが、正式な辞令が下りずに無位無冠で放置されていた。泰麒帰還後は泰麒の補佐を命じられ、後に泰麒自身から士遜の後任の瑞州州宰に任命される。泰麒にとって敵である自分の立場を弁えており、控えめながら誠実に仕える。泰麒と阿選の板挟みになる中、次第に阿選に対する疑惑を募らせ、遂には阿選を見限って泰麒の腹心になり驍宗救出・反民支援のため働こうとするが、文州侯として文州へ赴任した時に次蟾を放たれ病む。 友尚(ゆうしょう) 阿選軍の師帥、阿選登極後は禁軍右将軍。簒奪者である阿選が登極することは間違っていると確信しつつも、主に対しては誇りを持って仕えていたが、その誇りは次第に失われていく。迷いを抱えたまま驍宗拘束のため文州に派遣され、朽桟率いる土匪と戦闘になるが、土匪の救援に現れた李斎・霜元に敗れて捕虜になり、手勢と共に墨幟へ下る。脱いだ衣類は適当に投げ出し、食器は埃を被り、かといって下官を雇うことも面倒臭がるなど、私生活は壊滅的。 品堅(ひんけん) 阿選軍の師帥、阿選登極後は王師将軍。驕王時代には別の将軍に仕え、後に阿選軍へ編入された外様であり、阿選軍の中では比較的扱いが軽かった。誠実で義理堅く、部下に対して手厚いため、巌趙軍から編入された師帥の杉登からも信頼されていた。旅帥の帰泉が阿選に病まされたことで阿選に反意を抱き、鴻基で驍宗が李斎らに奪還された際、自軍もろとも出奔し驍宗に帰順する。 烏衡(うこう) 阿選軍の卒長。阿選登極後は当初品堅軍に所属、後に津梁軍へ異動。「赭甲」と呼ぶ赤黒い鎧の一団を率いている。卑怯卑劣で残忍な性格であり、品行の良い阿選軍の中では持て余されている。阿選に命じられて函養山で驍宗を襲撃した張本人だが、剣客である驍宗を倒し得る力は阿選に賓満を憑けられたことで得たものであり、本来の武力は並の下程度である。驍宗を生き埋めにした後も驍宗を再拘束する時のため生かされ、汚れ仕事に重用されていたものの、驍宗の函養山脱出が確認された後、阿選に賓満を取り上げられ粛清される。 耶利(やり) 項梁と並び泰麒の大僕になった少女。元天官小宰・嘉磬が雇っていた私兵という触れ込みだったが、実際には別の人物の下から泰麒を支援するために送り込まれていた。尋常ではない体術・剣術の使い手であり、また以前から白圭宮内を好き放題に闊歩していたため王宮の構造・抜け道に明るい。出自は黄朱であり、妖魔の生態にも詳しい。 潤達(じゅんたつ) 泰麒付きの医官。黄医や他の医官が病んで姿を消したため、一人で泰麒の近習を務めることになる。後に泰麒の腹心として驍宗救出のために働く。
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