関取昇進後とは? わかりやすく解説

関取昇進後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 17:28 UTC 版)

照ノ富士春雄」の記事における「関取昇進後」の解説

新十両として迎えた9月場所勢い止まらず千秋楽鏡桜勝って12勝3敗で鏡桜相星となり、優勝決定戦でも鏡桜破り十両優勝果たした前場所に遠藤新十両優勝果たしており、2011年11月場所の勢、2012年1月場所の千代大龍以来3度目の2場所連続新十両力士優勝記録された。翌11月場所8日目大道戦では組み合った状態から鼻血出て行司待った」が懸かるハプニング起こった(この取組結果上手投げ勝利)。2014年1月場所は西十両筆頭12勝3敗の好成績挙げ、翌3月場所新入幕果たしたその3月場所は9日目に7敗目を喫したそれ以降6連勝して8勝7敗と勝ち越した。5月場所は、場所前に蜂窩織炎患い初日の朝に退院するという苦し状況 だったが、9勝6敗とまたしても勝ち越した。三役目前となる東前筆頭まで最高位更新した同年9月場所は、初日大関琴奨菊戦で自ら「あり得ないですよね」と意外性認め立合い変化行い大関初挑戦にして白星挙げる取組直後に「今までやってなかったから、一度やってみたかった」と語っていた一方で相手食っても食わなくても親方には怒られる」とも心配していた。しかし2日目から6連敗その後振るわず場所成績は6勝9敗の負け越し終わった2015年1月場所は東前2枚目で8勝7敗となり、敢闘賞候補となり異例の再投票の結果自身初の三賞となる敢闘賞受賞した。 翌3月場所新三役、小結地位通り越して関脇昇進を果たす。モンゴルからの新三役(関脇)は、2014年11月場所の逸ノ城以来初土俵以来所要23場所で新関脇は、1958年以降初土俵幕下付け出しを除く)としては9位のスピード昇進となった新関脇3月場所初日から7連勝し13日目にはそれまで36連勝だった横綱白鵬を破るなど13勝2敗で殊勲賞、敢闘賞受賞した新関脇での13勝は史上最多タイ記録で、過去には1940年5月場所五ツ嶌1950年9月場所の吉葉山2005年9月場所の琴欧州がいる。 翌5月場所では12勝3敗で初の幕内最高優勝平成生まれ初の優勝)を果たし5月27日番付編成会議および理事会において、満場一致平成生まれ初の大関誕生した。但し審判委員一部には「大関昇進の3場所前は平幕地位引っ掛かる」「慌てて上げる必要は無い。もう一場所待つべきでは」との声もあったが、「直前場所での優勝大きい」と北の湖理事長らが重視した結果最終的に新大関への異論出ず決定する。なお、三役2場所での大関昇進は年6場所制になった1958年以降では初めて。年6場所以前では1951年1月場所後に大関昇進の吉葉山以来64年ぶりとなった

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関取昇進後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 06:25 UTC 版)

琴勇輝一巖」の記事における「関取昇進後」の解説

新十両2011年9月場所は、西12目の地位序盤いきなりの4連敗スタートとなったが、中日から7連勝するなどして9勝6敗で勝ち越した。2012年3月場所で自己最高位の西筆頭まで番付をあげ、幕内昇進狙ったが6勝9敗で十両昇進後初の負け越し喫する。続く5月場所序盤3連勝スタート切ったが、6日目宝富士戦で敗れて土俵下に転落した際に右膝を負傷して翌日より休場し11日目から再出場したが5勝に終わった7月場所9月場所勝ち越し10月23日には出身地小豆島27年ぶりに開催され巡業参加した。東十両3枚目まで番付上げて迎えた11月場所は、前半戦を1勝6敗と不調だったが、中日から盛り返して8連勝で9勝6敗の勝ち越し。場所後に香川県出身力士として1958年11月場所若三杉彰晃(後の大豪以来戦後4人目となる幕内昇進決定した

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関取昇進後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:38 UTC 版)

千代鳳祐樹」の記事における「関取昇進後」の解説

関取昇進した3月場所は9勝6敗と勝ち越した。11月場所怪我により休場するも、翌2013年1月場所から2場所連続二桁勝利を挙げ5月場所での新入幕果たした鹿児島県からの新入幕は、2010年9月場所の旭南海以来戦後20人目新入幕の場所は6勝9敗と負け越して跳ね返された。11月場所では13勝2敗の好成績十両優勝果たした。翌2014年1月場所で再入幕果たし10勝5敗の好成績締め括った。翌3月場所自己最高位東前頭5目まで更新その場所は9勝6敗の勝ち越し決め、翌5月場所番付には西小結の地位に名前が載り、この場所の幕内最年少にして新三役という立場となった九重部屋からの新三役は1999年7月場所西小結に昇進した千代天山以来15年ぶりである。鹿児島県からの新三役は、1992年9月場所の旭道山以来戦後8人目志布志市からは史上2人目の新三役(旧志布志町出身陣岳史上初とした場合)。昇進の折のインタビューでは、上述火事について言及し土地新居込みで2千万円。まず半分オレ準備して、そして残りは兄がチョコチョコローン組んで払う予定です」とその計画語った新三役の場所はこの場所新横綱鶴竜圧勝したものの5勝10敗と大きく負け越し上位の壁に跳ね返された。2015年1月場所2日目インフルエンザのために休場し隠岐の海戦は不戦敗となり、5日目から再出場し10日目常幸龍戦では、常幸龍休場不戦勝得た3月場所では11勝4敗の好成績上げるものの、敢闘賞をかけた千秋楽逸ノ城戦で左膝を負傷し、翌5月場所2日目から休場した7月場所十両陥落するも1場所で幕内復帰し11月場所10勝5敗と4場所ぶりの二桁勝利を記録した2016年1月場所初日御嶽海戦で再び左脚を負傷して2日目より休場し6日目から再出場した。この場所の阿夢露戦は不戦敗となるが、5月場所2日目では阿夢露休場により不戦勝得た2016年8月には師匠13九重逝去により部屋付き佐ノ山14九重襲名13九重死去に際しては「(亡きがらが)今にも起き上がってきそう。頑張って来いと言われている気がするもう一度三役上がって親孝行”したい」と沈痛な表情浮かべながらコメント述べていた。しかしその後勝ち越し恵まれず2017年3月場所は6日目豊響戦で叩き込まれた際に負傷日本相撲協会に「右肩関節脱臼2週間安静が必要」との診断書提出して7日目から休場同年11月場所は「右肩脱臼、左膝前十字靱帯損傷で約1ヶ月間の加療要する見込み」という10月30日付の診断書提出して全休した。9月場所後に手術受けており、この全休によって35所務めた関取地位から陥落。翌2018年1月場所も全休し、翌3月場所から幕下下位復帰したものの、負傷影響否めず3勝4敗と負け越し、翌5月場所では元三役としては史上7人目となる三段目陥落余儀なくされたが、平成28年7月場所以来11場所ぶりの勝ち越し記録した2019年には徐々に番付回復し、西幕下筆頭地位土俵上がった11月場所では2番相撲までの連敗の後、3番相撲からの4連勝勝ち越し決め、4勝3敗で場所を終えた。場所後に再十両果たし13場所ぶりに関取地位復帰する格好となった三役以上経験者三段目以下に陥落してから十両復帰する事例はこの場所で同時に十両達成した照ノ富士含めて常幸龍以来3人目。場所中の報道によると右肩回復具合は「6割程度とのことであり、千代鳳は「早く千代丸追いつきたい幕内見ていると、同年代頑張っている。早くそこにいきたい」と意欲語っていた。 2021年1月場所は、場所直前自身新型コロナウイルス感染していることが判明したため全休した。翌3月場所番付事情考慮されて、全休ながら1枚降下に留まったものの、4勝11敗と大敗。翌5月場所は左肩の負傷で1勝もできないまま途中休場し、続く7月場所幕下陥落陥落3場所目の11月場所を1勝6敗で取り終えた後、同場所14日目(11月27日)に現役引退日本相撲協会から発表された。引退後年寄佐ノ山襲名した29歳での引退となる。28日引退会見では11月場所番付発表後腰痛稽古にならなかったことから引退決意したことを明かし思い出の一番として2014年5月場所7日目鶴竜戦での白星挙げた取組以外を含めた現役時代思い出として入門直後に膝の手術で入院した際に兄の千代丸入院毎日夜のちゃんこ弁当詰めて自転車入院先に送ってくれたことを話し全盛期自分のように叩かれても落ちないコツ後進教えたい指導者としての抱負語った。なお、2016年8月20代佐ノ山14九重襲名したことに伴い空きになった佐ノ山名跡取得したとなっていたが、この襲名の際に実際取得していなかったことが判明した

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