関取昇進以降
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新十両となった3月場所からは、時には足技や八艘飛びなどの奇抜な技をはじめとして多くの技を駆使して十両の地位を保った。新十両となった3月場所10日目の里山戦では足首を痛めたことで勝ち越しを危ぶまれたが、宮城野からは「楽しんで来い」と言われ、10日目の4勝6敗から9勝6敗まで持って行った。また、この場所の足首の怪我をきっかけに相撲が速くなったという。10勝以上の大勝ちをした場所は無かったが10敗以上の大負けをした場所も無く、10場所目の2016年9月場所では東十両6枚目で9勝6敗の成績を挙げたことにより、この場所で幕内下位の成績不振者が多かったこともあり、翌11月場所で新入幕となった。本名での新入幕は遠藤以来。石浦は福岡県篠栗町の宮城野部屋の宿舎で会見し「幕内は夢のまた夢だったので、まさかこんな日が来るとは思わなかった。変な感じです」と謙虚に喜びを語った。石浦はそのうえで「小さくても、どんどん前に出て相手が嫌がる相撲を取って、自分らしさを出したい」と抱負を述べた。鳥取県出身力士としては1963年の元横綱・琴櫻以来、53年ぶりの新入幕となったことについて石浦は、「先輩が偉大なので少しでも近づけるよう努力したいです。いま鳥取は地震で大変な時で避難しているかたもいます。一番でも多く勝って鳥取の皆さんを元気づけたいです」と話していた。西十両筆頭で迎えた11月場所は、千秋楽に勝ち越しを決め、場所後の番付編成会議で1場所での再入幕を果たした。 新入幕の場所では初日に黒星の後で2日目から10連勝と星を積み重ね、幕内の優勝争いにも絡んだ。12日目から4連敗となり10勝5敗で終わったが、石浦はこの好成績により初めての三賞となる敢闘賞を受賞した。この場所の活躍により石浦は生まれて初めて父親に褒められたという。2017年(平成29年)5月2日の力士会での体重測定では自己最高の118kgを計測。筋トレとステーキで体作りに励んだ結果であった。5月場所・宮城野部屋の千秋楽パーティーにおいて宇都宮市出身の23歳の女性と4月8日に入籍したことを発表した。結婚を報告した際には「責任が自分一人のものではなくなった。食べさせていけるように、より一層頑張りたい」と話した。妻との出会いは白鵬がテレビに出演した際に付け人として付いてきたことがきっかけであり、食事会で白鵬に醤油をスッと持っていった気遣いの良さに好感を持ったという。2017年1月場所からは4場所続けて白星も黒星も二桁に乗らない波の少ない成績を残していたが、東の10枚目で迎えた9月場所は他の力士に慣れられたのか持ち味である中に潜り込む相撲を取らせてもらえず、何もできずに圧倒される相撲が多く見られた。結局3勝12敗と入門以来初めての二桁の負け越しとなり、十両落ちが濃厚となった。10月1日、東京都内のホテルで結婚披露宴を開き、伊勢ヶ濱一門の関取衆や後援会の関係者など招待客500人が出席して祝福を受けた。元NHK会長の海老沢勝二は「助け合いと思いやりの気持ちで明るい家庭を作り、九州場所では一から出直す気持ちで頑張ってください」とはなむけと激励の言葉を述べ、石浦本人は「秋場所は負けて帰っても笑顔で迎えてくれて申し訳ないと思いました。これからは自分一人ではないので、幸せになってもらうため自分の相撲を取り切って頑張ります」と九州場所での再起を誓っていた。同月26日の秋巡業鳥取場所では十両力士らと12番取って8勝。鳥取市内で14年ぶりに開かれた巡業に「14年前は中学生で手伝いをしていた。お相撲さんはデカイなと。まさか、14年後に自分が帰ってくるとは不思議」と石浦は感慨に浸った。また、会場の幟を見て「石浦の幟が少ないな」と苦笑いしたが「元気をもらったので、今度は皆さんに元気を与えられるように」と誓った。1場所の十両暮らしを経て2018年1月場所に再入幕。この場所は中日まで4勝4敗であったものの後半に星が伸びて14日目に勝ち越しを果たし、最終的に9勝6敗。5月2日、第一子となる長男が誕生。5月場所は11日目までに9敗を喫するが、12日目から千秋楽までを4連勝して6勝9敗と踏みとどまった。7月31日の夏巡業勝山場所では申し合いを11番行った。2018年11月場所に2度目の十両陥落を喫し、この場所と翌2019年1月場所の十両暮らしを経て3月場所に3度目の入幕。その3月場所は6勝9敗と負け越し、幕内の番付が自分より下に2枚しかない状況であり番付運次第では十両陥落も有り得たが、1枚半下降の西前頭16枚目に踏みとどまる形で5月場所の土俵に上がることとなった。5月場所直前には3月場所の不調が胃腸炎によって8㎏体重が落ちてしまったことによるものだと本人の口から明かされた。5月場所は場所を通して不調で、5勝10敗に終わって十両に転落した。十両2枚目で迎えた名古屋場所は9勝6敗と勝ち越しを決め、1場所で幕内に返り咲いた。再入幕の秋場所は初日に敗れたあと6連勝。7日目の豊山戦では豊山の突きを辛抱強くあてがってしのぎ、気を見て懐に入って押し出して動きの良さを見せた。しかし、翌日から一転して5連敗で星が五分に戻ってしまう。13日目の照強戦は立ち合いの変化で勝利したが、14日目は十両の若隆景にもろ差しを許して一気に寄り切られ、7勝7敗で千秋楽を迎えることとなった。千秋楽は玉鷲との7勝7敗対決を寄り切りで制し、幕内では2018年初場所以来となる勝ち越しを決めた。しかし、本人はその後の支度部屋で、「6勝1敗から勝ちを意識して硬くなってしまった。(そういう)弱い自分をなくさないと」とさらなる成長を誓った。東前頭11枚目に番付を上げた九州場所は、序盤は一気に押し出される相撲が目立ち、5日目まで1勝4敗と不振。しかし、6日目から締め込みをそれまで締めていた金色から新十両時の深緑色に戻してから徐々に星が上がり、8日目には錦木相手に幕内では平成4年秋場所の舞の海以来27年ぶりとなる「三所攻め」という珍手を繰り出した。しかし、完全な体勢の三所攻めではなかったため、9日目のNHK大相撲解説を務めた北の富士勝昭氏は「(昨日は)舞の海が解説だから、顔を立てたかったんじゃないの?」と話した。その後も白星が伸び、14日目に佐田の海を土俵際で突き落として自身初めての幕内で2場所連続の勝ち越しを決めた。千秋楽も大翔鵬に鮮やかな下手投げを決め、9勝6敗で締め括った。 2020年は、1月場所直前に不祥事(後述)を起こし、同場所の出場停止処分は免れたが6勝9敗で4場所ぶりに負け越した。3月場所は9勝6敗と勝ち越したが、7月場所は4勝11敗と大きく負け越した。その7月場所では、終盤に右足を負傷しており、9月場所は右距骨骨折の診断書を提出して初日から休場した。「約3週間の加療を要する見込み」と診断されていたが中日から途中出場し、4勝4敗7休と、負け越し扱いにはなったが中日以降の8日間に限れば五分の成績だった。 2021年は下の名前を「鹿介(しかのすけ)」に改めたが、1月場所前に同部屋の力士に新型コロナウイルス感染が確認されたことに伴い、濃厚接触者に該当する可能性があるとして同場所を全休した。翌3月場所の番付は事情が考慮されて、全休ながら1枚降下に留まった。 2022年3月場所は、3日目の琴ノ若戦で土俵下吹っ飛ばされた後に数十秒うずくまって立ち上がれないアクシデントが起こった。最終的には自力で立ち上がり、付け人の肩を借りることなく、顔を少しゆがめたまま花道を引き揚げた。この時の負傷により、協会に「頸椎(けいつい)症性神経根症の増悪により2週間程度の安静加療を要する」との診断書を提出して4日目から休場した。しかし休場までの間に1勝しかできておらず、ここまま千秋楽まで休場すると十両陥落の恐れがあったため、11日目から再出場。
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