関取昇進以降とは? わかりやすく解説

関取昇進以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 18:52 UTC 版)

石浦鹿介」の記事における「関取昇進以降」の解説

新十両となった3月場所からは、時には足技八艘飛びなどの奇抜な技をはじめとして多くの技を駆使して十両地位保った新十両となった3月場所10日目里山戦では足首痛めたことで勝ち越し危ぶまれたが、宮城野からは「楽しんで来いと言われ10日目の4勝6敗から9勝6敗まで持って行ったまた、この場所の足首怪我きっかけ相撲速くなったという。10勝以上の大勝ちをした場所は無かった10敗以上の大負けをした場所も無く10場所目の2016年9月場所では東十両6目で9勝6敗の成績挙げたことにより、この場所で幕内下位成績不振者が多かったこともあり、翌11月場所新入幕となった本名での新入幕遠藤以来石浦福岡県篠栗町宮城野部屋宿舎会見し幕内夢のまた夢だったので、まさかこんな日が来るとは思わなかった。変な感じです」と謙虚に喜び語った石浦そのうえで小さくても、どんどん前に出て相手が嫌がる相撲を取って自分らしさを出したい」と抱負述べた鳥取県出身力士として1963年の元横綱琴櫻以来53年ぶりの新入幕となったことについて石浦は、「先輩偉大なので少しでも近づけるよう努力したいです。いま鳥取地震大変な時で避難しているかたもいます。一番でも多く勝って鳥取皆さんを元気づけたいです」と話していた。西十両筆頭迎えた11月場所は、千秋楽勝ち越し決め、場所後の番付編成会議で1場所での再入幕果たした新入幕の場所では初日黒星後で2日目から10連勝と星を積み重ね幕内優勝争いにも絡んだ12日目から4連敗となり10勝5敗で終わったが、石浦はこの好成績により初めての三賞となる敢闘賞受賞した。この場所の活躍により石浦生まれて初め父親褒められたという。2017年平成29年5月2日力士会での体重測定では自己最高の118kgを計測筋トレステーキ体作り励んだ結果であった5月場所宮城野部屋千秋楽パーティーにおいて宇都宮市出身23歳女性4月8日入籍したことを発表した結婚報告した際には「責任自分一人のものではなくなった。食べさせていけるように、より一層頑張りたい」と話した妻との出会い白鵬テレビ出演したに付け人として付いてきたことがきっかけであり、食事会白鵬醤油スッと持っていった気遣い良さ好感持ったという。2017年1月場所からは4場所続けて白星黒星二桁乗らない波の少な成績残していたが、東の10目で迎えた9月場所は他の力士慣れられたのか持ち味である中に潜り込む相撲取らせてもらえず、何もできずに圧倒される相撲多く見られた。結局3勝12敗と入門以来初めての二桁負け越しとなり、十両落ち濃厚となった10月1日東京都内ホテル結婚披露宴開き伊勢ヶ濱一門関取衆や後援会関係者など招待客500人が出席して祝福受けた。元NHK会長海老沢勝二は「助け合い思いやり気持ち明る家庭作り九州場所では一から出直す気持ち頑張ってください」とはなむけ激励の言葉述べ石浦本人は「秋場所負けて帰って笑顔迎えてくれて申し訳ない思いましたこれから自分一人ではないので、幸せになってもらうため自分相撲取り切って頑張ります」と九州場所での再起誓っていた。同月26日秋巡業鳥取場所では十両力士らと12番取って8勝。鳥取市内で14年ぶりに開かれた巡業に「14年前は中学生手伝いをしていた。お相撲さんデカイなと。まさか、14年後に自分帰ってくるとは不思議」と石浦感慨浸ったまた、会場の幟を見て石浦の幟が少ないな」と苦笑いしたが「元気をもらったので、今度皆さんに元気を与えられるように」と誓った。1場所の十両暮らし経て2018年1月場所に再入幕。この場所は中日まで4勝4敗であったものの後半に星が伸びて14日目に勝ち越し果たし最終的に9勝6敗。5月2日第一子となる長男誕生5月場所11日目までに9敗を喫するが、12日目から千秋楽までを4連勝して6勝9敗と踏みとどまった7月31日夏巡業勝山場所では申し合い11番行った2018年11月場所に2度目十両陥落喫し、この場所と翌2019年1月場所の十両暮らし経て3月場所3度目入幕その3月場所は6勝9敗と負け越し幕内番付自分より下に2枚しかない状況であり番付運次第では十両陥落有り得たが、1枚半下降西前16目に踏みとどまる形で5月場所土俵上がることとなった5月場所直前には3月場所不調胃腸炎によって8体重落ちてしまったことによるものだと本人の口から明かされた。5月場所は場所を通して不調で、5勝10敗に終わって十両転落した十両2枚目で迎えた名古屋場所は9勝6敗と勝ち越し決め、1場所で幕内返り咲いた。再入幕秋場所初日敗れたあと6連勝7日目豊山戦では豊山突き辛抱強くあてがってしのぎ、気を見て懐に入って押し出して動き良さ見せた。しかし、翌日から一転して5連敗で星が五分戻ってしまう。13日目の照強戦は立ち合い変化勝利したが、14日目は十両若隆景もろ差し許して一気寄り切られ、7勝7敗で千秋楽迎えることとなった千秋楽玉鷲との7勝7敗対決寄り切り制し幕内では2018年初場所以来となる勝ち越し決めた。しかし、本人その後支度部屋で、「6勝1敗から勝ちを意識して硬くなってしまった。(そういう)弱い自分なくさないと」とさらなる成長誓った東前11目に番付上げた九州場所は、序盤一気押し出される相撲目立ち5日目まで1勝4敗と不振。しかし、6日目から締め込みそれまで締めていた金色から新十両時の深緑色戻してから徐々に星が上がり8日目には錦木相手幕内では平成4年秋場所舞の海以来27年ぶりとなる「三所攻め」という珍手を繰り出した。しかし、完全な体勢三所攻めではなかったため、9日目のNHK大相撲解説務めた北の富士勝昭氏は「(昨日は)舞の海解説だから、顔を立てたかったんじゃないの?」と話したその後白星伸び14日目に佐田の海土俵際突き落とし自身初めての幕内で2場所連続勝ち越し決めた千秋楽大翔鵬鮮やかな下手投げ決め、9勝6敗で締め括った2020年は、1月場所直前不祥事後述)を起こし、同場所の出場停止処分免れたが6勝9敗で4場所ぶりに負け越した3月場所は9勝6敗と勝ち越したが、7月場所は4勝11敗と大きく負け越した。その7月場所では、終盤右足負傷しており、9月場所は右距骨骨折診断書提出して初日から休場した。「約3週間加療要する見込み」と診断されていたが中日から途中出場し、4勝4敗7休と、負け越し扱いはなった中日以降8日間に限れば五分成績だった。 2021年下の名前を「鹿介(しかのすけ)」に改めたが、1月場所前に部屋力士新型コロナウイルス感染確認されたことに伴い濃厚接触者該当する可能性があるとして同場所を全休した。翌3月場所番付事情考慮されて、全休ながら1枚降下に留まった。 2022年3月場所は、3日目琴ノ若戦で土俵吹っ飛ばされた後に数十うずくまって立ち上がれないアクシデント起こった最終的に自力立ち上がり付け人の肩を借りことなく、顔を少しゆがめたまま花道引き揚げた。この時の負傷により、協会に「頸椎けいつい)症性神経根症の増悪により2週間程度安静加療要する」との診断書提出して4日目から休場した。しかし休場までの間に1勝しかできておらず、ここまま千秋楽まで休場する十両陥落恐れがあったため、11日目から再出場。

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