鉄人に勝利した主な挑戦者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:39 UTC 版)
「料理の鉄人」の記事における「鉄人に勝利した主な挑戦者」の解説
氏名の横のカッコ内は勝利時に対戦した鉄人 程一彦(陳) - 「タコ対決」で陳に勝った、番組史上初の勝利挑戦者。十八番の「よそ見包丁(食材を見ず、周りに気を配りながら手元では包丁を振るう)」を当番組でも披露。実は企画当初は陳とともに、鉄人候補の一人であったが辞退している。 ジャック・ボリー(石鍋) - 世界でも50人弱しかいないフランスの国家最優秀料理人章・MOFを持つ。石鍋に勝った唯一の挑戦者。 周富徳(道場) - 番組初期道場に敗戦した弟・富輝の仇を討つという名目で出演。弟や息子を引き連れて入場するなど当時の挑戦者の中でカリスマ性は高かった。プライベートで親友である道場との熾烈な対決を繰り広げるが、やはり互いに気は進まなかったようである。道場に敗れるも間もなくリターンマッチが組まれ、遂に勝利した。道場に初めて勝った挑戦者。このシチュエーションは後にフィクション化され、小説として出版された。道場は本来、この黒星だけで番組を去る(1年間)予定だった。また周の弟子である丸山剛が周に先駆けて番組第1回の放送に挑戦者で出演したが石鍋に敗れている。 神田川俊郎(坂井、陳、中村) - 総勢約400名もの料理人を束ねる「関西料理界のドン」として、複数回挑戦者として出場、道場や他の鉄人と数々の名勝負を繰り広げた。自身の門下生を中心としたグループ「神田川軍団」を毎週のように送り込んだ時期もある。これは、門下生たちに対して「進んで表に出てみなさい」という教育の一環であったという。常に料理をしながら片付けており、制限時間が終了した時には厨房が片付き終わっていて番組スタッフは毎回うならされていたという。道場のお品書きに対抗して、仕上がり間近に半紙に書をしたため、「○○君、味は心や!」と絶叫するパフォーマンスをする。これを受けて道場は「このおっさん、おもろいやろ!」と切り返したが、坂井は「何書いてるか、わかんないよ!」と切り捨てたように、慣れない対戦相手は対処に困っていた。番組での通算成績は5戦3勝2敗(内訳は道場に1敗、坂井とは1勝1敗、陳と中村に1勝ずつ)で、個人戦で複数の鉄人に勝った唯一の挑戦者である。 加賀田京子(陳) - 20人目にして初の女性挑戦者であり、当時23歳の最年少で鉄人に勝利した。陳と初めて対戦して勝利した時には、相手が若い女性ということで陳が油断していたのではないかと言われた。その後、加賀田が2回目の出演をした際も陳を再指名。再対戦では敗退しており、両者の対戦成績は1勝1敗の五分となっている。 小林カツ代(陳) - 「家庭料理」の雄として登場。鉄人指名の際には「どなたでも結構です」(鉄人を相手にするのだから誰とやっても同じという理由で)と答えた。驚いた鹿賀主宰だが、鹿賀は「女性に弱い」とレッテルを貼られていた陳を指名。終始、小林の独特のペース(テーマは「ジャガイモ」。「肉じゃが」を期待され、それに応える)で進んだ、異色の回であった。小林の勝利。のちに息子のケンタロウも陳と対戦するものの敗北している。 田崎真也(神戸) - 1995年に日本人として初めて『世界最優秀ソムリエコンクール』で優勝したソムリエ界のカリスマ的存在。ソムリエとして料理に合ったワインを選び出すだけでなく、その反対にワインに合った料理を創作することも得意であり、「中トロ対決」で神戸と対戦して勝利を収めた。田崎が作った各種料理には、それぞれ田崎自身が料理に合わせて選び出したワインが添えられていた。 アルトア・ルター(道場) - 日本在住のドイツ人のフレンチシェフ。道場の2敗目の相手。道場が「1年も経過したし、やめよう」と思っていた時期に対戦。道場はテーマ食材の「ピーマン」の本質が理解できず、ルターに負けてしまう。道場に「1年のみ」の条件を捨てさせ、結果、番組躍進のきっかけとなった、隠れた名勝負。勝者発表時にルターは「道場さん、ごめんなさい」としばらく抱擁、感動的な場面だったが、実はルター自身も作品に満足がいっておらず、そんな作品で勝ってしまったことに半分自省のつもりで謝罪したのだという。道場は後日談として「日本料理の技法にこだわって小手先の仕事に走ってしまった。心にドーンと落ちるような豪快さがなかった」と回顧している。なお、彼の妻は日本人である。 清水忠明 (しみず ただあき)(坂井) - かつてフランス最古の歴史を誇る名店「トゥール・ダルジャン」で副料理長を務めていたという経歴を持つ料理人で、「オマール対決」で坂井を初めて破った。その後、清水が副料理長を務めていた「トゥール・ダルジャン」の当時の料理長であったドミニク・ブシェも2000年正月の特別編に出場し、「神戸牛対決」で名誉鉄人の道場と名勝負を繰り広げた。 城悦男(じょう えつお)(坂井、陳) - かつて石鍋や坂井と共に「クラブ・デトラント」を結成した、日本におけるフランス料理界の第一人者。「ソースの城(じょう)」の異名を取るほどの凄腕という触れ込みだった。初登場時には道場との「ブロッコリー対決」で敗れたが、後に坂井との「ワイン対決」で勝利を収めた。その後、鹿賀主宰2000皿試食記念対決(後述)では、石鍋・坂井と共にチームを組んで出場して陳率いる中華チームに対して勝利を収めている。なお、彼は前衛的な作風の料理を得意とする石鍋・坂井とは対照的に、伝統を重視する保守的な作風の料理を得意としていた。 大田忠道(坂井) - 日本調理師協会副会長(当時)の肩書を持つ関西料理界の重鎮として出場、坂井との「タコ対決」で勝利を収めた。番組後期には、神田川俊郎の後を継ぐ形で、全国5000名の門下生の中から厳選した精鋭70名で構成された「天地(あまつち)の会」(通称・大田軍団)をたびたび番組に送り込み、第3代の和食の鉄人である森本と何回も名勝負を繰り広げた。番組では森本の創作和食に批判的な立場を取っていたが、本人も弟子も西洋・中華食材を取り入れる自体には積極的である。 脇屋友詞(陳) - 中国料理にフランス料理の要素を取り入れた「ヌーベルシノワ」の先駆者として知られ、過去3回出演し1勝2敗の成績を残す(坂井に2敗、陳に勝利)。その後、2000年ミレニアムカップにて、フレンチの三谷青吾と共に新鉄人候補になったりするも、正式起用される前に番組そのものが終了。それから10年後、後継番組『アイアンシェフ』で改めて中華のアイアンシェフに起用され、同番組のアイアンシェフデビュー戦ではかつて脇屋に敗れた前中華の鉄人陳の息子陳建太郎を挑戦者に迎えての中華対決を制した。また『アイアンシェフ』の特番では本番組終了後アメリカ版アイアンシェフとして活躍中の和の鉄人森本と対戦して勝利を収めている。 萩原雅彦(はぎわら まさひこ)(神戸) - パスタの革命児と称され、番組には2回出演。一旦は陳に敗れるもその後イタリアンの新鉄人神戸のデビュー戦の対戦相手として再出演。新鉄人を相手に前回の雪辱を果たし、神戸のデビュー戦に黒星をつけた。 山野辺宏(やまのべ ひろし)(陳) - 「カサゴ対決」で陳の20連勝を阻止したフレンチシェフ。番組出演時は葉山の有名店「ラ・マレード茶屋」の3代目総料理長だったがその後福島・奥会津に移住し「Chezやまのべ」を構えた。
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