蒸気機関車の登場と鉄道旅行の始まりとは? わかりやすく解説

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蒸気機関車の登場と鉄道旅行の始まり(19世紀前葉)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 00:52 UTC 版)

鉄道の歴史」の記事における「蒸気機関車の登場と鉄道旅行の始まり(19世紀前葉)」の解説

18世紀後半より、イギリスでは、蒸気機関中心とする産業技術上の変革、すなわち「産業革命」とよばれる変化経済諸方面に多大な影響およぼし社会生活様相根本的に変えていった。産業革命人間物資移動手段にも変革もたらした。綿工業機械化され、そのために大量物資輸送が必要となって道路運河建設整備不可欠としたが、とりわけ蒸気機関車鉄道蒸気船登場は単に輸送時間を短縮して輸送量増大させたのみならず石炭蒸気という新し時代おとずれ人びと印象づけた。そのなかで鉄道は、貨物乗客を運ぶ手段として、他の運送手段比較して効率性において優れていた。鋼鉄製のレール接する輪縁(フリンジ)の付いた車輪摩擦少なく貨物列車が1トンを運ぶのに要する力はわずか1馬にすぎない鉄道また、遠隔地新産業の成果運び時刻表通して各地時間中央結びつける役割果たしたイギリス最初に旅客輸送おこなった鉄道は、1807年開業したウェールズ地方のオイスターマス鉄道で、既存路面軌道用いた馬車鉄道であったしかしながら19世紀において鉄道おそるべきスピード整備拡充していったのは、それが蒸気機関車技術と結びついたからである。 オイスターマス鉄道の開業先立つ1804年リチャード・トレビシックが、世界で初め軌道上を走る蒸気機関車製作した商業的に成功した最初の蒸気機関車は、1812年製作されサラマンカ号(The Salamanca)であり、これはラック・アンド・ピニオン式の機関車であったその後蒸気機関車改良重ねられジョージ・スチーブンソン1814年初めフランジが1方向のみである車輪用いた機関車開発した1821年イギリスのヘンリー・ロランソン・パーマーによりモノレール考案され1825年には、世界初鉄道として英国ダラム州ストックトンダーリントンを結ぶストックトン・アンド・ダーリントン鉄道開業した以後欧米各地鉄道の建設活発になり、1827年アメリカ合衆国フランス1835年にはドイツでも鉄道開業し1830年代にはアメリカ全土鉄道建設がさかんとなった。ただしストックトン・アンド・ダーリントン鉄道は、運賃定めて毎日定期的に運行する商業運転はおこなわず、線路もまた一般に公開され通行料金さえ支払えばだれでも機関車鉄道馬車乗り入れることができた。その意味では純然たる営利事業としての鉄道事業ではなかったが、しかし、このときすでに技術的工学的には近代鉄道事業はほとんど成立していたといってよい。 1830年開業したイギリスリバプール・アンド・マンチェスター鉄道工業都市マンチェスター貿易港リヴァプールの間の約50キロメートル蒸気機関車走り時刻表用いて定期運行する世界初営利事業としての鉄道である。馬車ちがって季節天候左右されず、大量迅速かつ確実に輸送し移動することのできる鉄道交通事情一変させた(交通革命)。この鉄道を走る機関車公募選んだところ、5件の応募があり、ジョージ・スチーブンソンとその息子ロバート・スチーブンソン機関車ロケット号」が採用された。最高時速58キロメートルであり、これは後の機関車基準となった機関車製造技術者であり、鉄道会社主任技師、そして経営者でもあったジョージ・スチーブンソンは、各鉄道接続のためにはすべての鉄道が同じゲージ軌間)であるべきだと主張し、そして実際、1,435ミリメートル軌間採用された。これが、今日でいう「標準軌となっている。 1830年蒸気機関車トム・サム号」がメリーランド州ボルチモアとエリコットミルズの間21キロメートル最高時速29キロメートルで結び、復路は馬と競争して敗れたもののアメリカ最初商業運転となり、ボルチモア経済的な重要性をおおいに高め進展めざましい西部オハイオ州とを連絡するボルチモア・アンド・オハイオ鉄道初代小型機関車として採用された。 1830年代後半から始まった鉄道網整備は、「鉄道狂時代」と呼ばれる投資熱を生み出した1835年アメリカにはすでに1,600キロメートル上の線路敷設され1850年代にはミシシッピ州以東すべての州では鉄道建設されていた。このような投資熱さらには鉄道網拡充は、当時鉄道事業きわめて収益性の高い事業だったからである。いっぽう鉄道網拡充新たな旅行文化をももたらした禁酒論者であったイギリストーマス・クックは、1843年世界最初パッケージツアー考案し事業化し、大成功収めて近代ツーリズムの父」と呼ばれる近代ツーリズム欧州各地経て世界各地急速に広がる一方対象地域拡大して利害関係者増大させ、マスツーリズム生み出すなど旅行形態多様化もたらした初期の鉄道建設には、地域的にみて大きな偏りがあった。1850年には、西洋諸国では4キロメートル弱の鉄道開業していたものの、アジアラテン・アメリカアフリカ地域では全部合わせても約4,000キロメートル鉄道しか有しなかった。

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