蒸気機関車の登場と鉄道旅行の始まり(19世紀前葉)
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「鉄道の歴史」の記事における「蒸気機関車の登場と鉄道旅行の始まり(19世紀前葉)」の解説
18世紀後半より、イギリスでは、蒸気機関を中心とする産業技術上の変革、すなわち「産業革命」とよばれる変化が経済の諸方面に多大な影響をおよぼし、社会生活の様相を根本的に変えていった。産業革命は人間や物資の移動手段にも変革をもたらした。綿工業は機械化され、そのために大量の物資の輸送が必要となって道路や運河の建設・整備を不可欠としたが、とりわけ蒸気機関車・鉄道・蒸気船の登場は単に輸送時間を短縮して輸送量を増大させたのみならず、鉄と石炭と蒸気という新しい時代のおとずれを人びとに印象づけた。そのなかで鉄道は、貨物や乗客を運ぶ手段として、他の運送手段に比較して効率性において優れていた。鋼鉄製のレールに接する輪縁(フリンジ)の付いた車輪の摩擦は少なく、貨物列車が1トンを運ぶのに要する力はわずか1馬力にすぎない。鉄道はまた、遠隔地に新産業の成果を運び、時刻表を通して各地の時間を中央に結びつける役割を果たした。 イギリスで最初に旅客輸送をおこなった鉄道は、1807年に開業したウェールズ地方のオイスターマス鉄道で、既存の路面軌道を用いた馬車鉄道であった。しかしながら、19世紀において鉄道がおそるべきスピードで整備拡充していったのは、それが蒸気機関車の技術と結びついたからである。 オイスターマス鉄道の開業に先立つ1804年、リチャード・トレビシックが、世界で初めて軌道上を走る蒸気機関車を製作した。商業的に成功した最初の蒸気機関車は、1812年に製作されたサラマンカ号(The Salamanca)であり、これはラック・アンド・ピニオン式の機関車であった。その後も蒸気機関車は改良が重ねられ、ジョージ・スチーブンソンは1814年、初めてフランジが1方向のみである車輪を用いた機関車を開発した。1821年、イギリスのヘンリー・ロランソン・パーマーによりモノレールが考案され、1825年には、世界初の鉄道として英国ダラム州のストックトンとダーリントンを結ぶストックトン・アンド・ダーリントン鉄道が開業した。以後、欧米各地で鉄道の建設が活発になり、1827年にアメリカ合衆国、フランス、1835年にはドイツでも鉄道が開業し、1830年代にはアメリカ全土で鉄道建設がさかんとなった。ただしストックトン・アンド・ダーリントン鉄道は、運賃を定めて毎日定期的に運行する商業運転はおこなわず、線路もまた一般に公開され、通行料金さえ支払えばだれでも機関車や鉄道馬車を乗り入れることができた。その意味では純然たる営利事業としての鉄道事業ではなかったが、しかし、このときすでに技術的・工学的には近代鉄道事業はほとんど成立していたといってよい。 1830年に開業したイギリスのリバプール・アンド・マンチェスター鉄道は工業都市マンチェスターと貿易港リヴァプールの間の約50キロメートルを蒸気機関車が走り、時刻表を用いて定期運行する世界初の営利事業としての鉄道である。馬車とちがって季節や天候に左右されず、大量、迅速かつ確実に輸送し、移動することのできる鉄道は交通事情を一変させた(交通革命)。この鉄道を走る機関車を公募で選んだところ、5件の応募があり、ジョージ・スチーブンソンとその息子ロバート・スチーブンソンの機関車「ロケット号」が採用された。最高時速は58キロメートルであり、これは後の機関車の基準となった。機関車製造の技術者であり、鉄道会社の主任技師、そして経営者でもあったジョージ・スチーブンソンは、各鉄道の接続のためにはすべての鉄道が同じゲージ(軌間)であるべきだと主張し、そして実際、1,435ミリメートルの軌間が採用された。これが、今日でいう「標準軌」となっている。 1830年、蒸気機関車「トム・サム号」がメリーランド州のボルチモアとエリコットミルズの間21キロメートルを最高時速29キロメートルで結び、復路は馬と競争して敗れたもののアメリカ最初の商業運転となり、ボルチモアの経済的な重要性をおおいに高め、進展めざましい西部のオハイオ州とを連絡するボルチモア・アンド・オハイオ鉄道の初代小型機関車として採用された。 1830年代の後半から始まった鉄道網の整備は、「鉄道狂時代」と呼ばれる投資熱を生み出した。1835年、アメリカにはすでに1,600キロメートル以上の線路が敷設され、1850年代にはミシシッピ州以東のすべての州では鉄道が建設されていた。このような投資熱さらには鉄道網の拡充は、当時、鉄道事業がきわめて収益性の高い事業だったからである。いっぽう、鉄道網の拡充は新たな旅行文化をももたらした。禁酒論者であったイギリスのトーマス・クックは、1843年に世界最初のパッケージツアーを考案して事業化し、大成功を収めて「近代ツーリズムの父」と呼ばれる。近代ツーリズムは欧州各地を経て世界各地に急速に広がる一方、対象地域を拡大して利害関係者を増大させ、マスツーリズムを生み出すなど旅行形態の多様化をもたらした。 初期の鉄道建設には、地域的にみて大きな偏りがあった。1850年には、西洋諸国では4万キロメートル弱の鉄道が開業していたものの、アジア、ラテン・アメリカ、アフリカの地域では全部合わせても約4,000キロメートルの鉄道しか有しなかった。
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