蒸気機関車の製造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 06:25 UTC 版)
「バルカン・ファウンドリー」の記事における「蒸気機関車の製造」の解説
最初に製造した機関車は車軸配置が0-4-0であるテーラーとスチーブンソンというノース・ユニオン鉄道(英語版)向けの機関車だった。スチーブンソンの設計したプラネットに似ていた。次は車軸配置2-2-0の後期プラネット形をウォーリントン・アンド・ニュートン鉄道(英語版)のために製造した。また、レスター・アンド・スワニントン鉄道(英語版)とバーミンガム・アンド・ダービー・ジャンクション鉄道(英語版)から発注があった。 次に、アメリカ合衆国向けに、車軸配置4-2-0の機関車を製造した。これは世界初のボギー式機関車であった。1835年からはフランス、オーストリア、ロシアにも販路を広げた。整備関連の輸出は会社の全時期を通じて行った。同社の機関車はスチーブンソンの強い影響で長いボイラー(英語)の設計を特徴としていた。1852年にはインドのグレート・インディアン・ペニンシュラ鉄道(英語版)でも走るようになった。 形態としては、多数のフェアリー式機関車(英語版)を製造した。そこにはフェスティニオグ鉄道のタリアセン、NZR Eクラス(1872)(英語)のうちの1両であるジョセフィーヌなどが含まれる。また、フランジのない軸配置0-4-0Tの機関車を、アングルレールを使用していたトレデガーの製鋼所に納入した。 マシュー・カートレイ(英語)が設計したダブルフレームの貨物用機関車はミッドランド鉄道向けに製造された。輸出は健全に続行され、とくにインド、南アメリカに輸出した。第一次世界大戦後も、輸出は続いた。 1924年にロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道(LMS)が設立されてから、大きな数での発注が相次いだ。その中には、100両以上の0-6-0T形、65両のLMS コンパウンド4-4-0蒸気機関車を含んでいた。 1930年代の景気後退時でも、インド、タンガニーカ、アルゼンチンへの輸出があった。また、1934年にはLMSから車軸配置4-6-0のブラック・ファイブや車軸配置2-8-0機の大量発注があり、企業として存続できた。
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