"ディーゼル機関車工場"時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/30 16:44 UTC 版)
「ルハンシクテプロヴォーズ」の記事における「"ディーゼル機関車工場"時代」の解説
1956年、ハリコフ機関車工場が設計したTE3形ディーゼル機関車の製造を行うようになり、同年10月に工場の名前がルハンスクディーゼル機関車工場へ変更された。それに伴い工場の生産ラインや技術的構造、組織などがディーゼル機関車の設計・製造に適した形へ改められた一方、同年をもって12,000両以上が作られてきた蒸気機関車の製造は終了した。 名称変更当初はTE3形の生産と並行し本線向けの液体式ディーゼル機関車を多数試作したが、1961年の2TE10L形以降は電気式ディーゼル機関車の生産が主流となった。特に1965年以降製造が行われたM62形は当初ハンガリー向けに製造されたが、以降はソビエト連邦、キューバ、東ドイツ、チェコスロバキア、モンゴルなど東側諸国へ長期に渡り大量生産が行われた。また2TE10形以上の馬力を持つ2TE116形についても、機器の改良や車体デザインの変更などを経て2016年まで製造が続けられた。これらを含め、ソ連運輸通信省(ソ連国鉄)が所有していたディーゼル機関車のうち実に95%がルハンスクディーゼル機関車工場(ヴォロシロフグラードディーゼル機関車工場)製の車両であった。
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