蒸気機関車の発明とは? わかりやすく解説

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蒸気機関車の発明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 01:45 UTC 版)

鉄道車両の歴史」の記事における「蒸気機関車の発明」の解説

17世紀終わり頃から蒸気機関に関するアイデア出され始め1698年イギリストーマス・セイヴァリによって初めての蒸気機関である、蒸気圧による揚水機械の特許取得された。さらに鉱山排水用として、やはりイギリストーマス・ニューコメンにより1712年初め実用になる蒸気機関発明された。この蒸気機関はまだ効率悪かったため、改良進められジェームズ・ワットにより1769年に新方式蒸気機関開発された。このワット改良した蒸気機関その後広く普及して産業革命推し進めていく原動力となった蒸気機関用いて車両動かそうとするアイデア古くからあり、フランスニコラ=ジョゼフ・キュニョーキュニョーの砲車呼ばれる蒸気機関で走る自動車1769年作って実際に走行させた。また、ワット助手であったウィリアム・マードック蒸気自動車開発行い1785年には特許取得しようとしているが、既に成功して保守的となったワット妨害され断念している。 マードックとも関係のあった機械技術者リチャード・トレビシックは、やはり蒸気自動車開発取り組みある程度成功収めたその後レールの上を走る機関車の製作に取り組み1号機使い物にならなかったものの、1804年2月21日ウェールズのペナデラン (Pen-y-deren) において2号機走行試験成功した。これが世界で初めての蒸気機関車であるとされている。シリンダー水平に置かれコネクティングロッドにより大きなフライホイール通じて2軸の車輪駆動していた。当時技術的な制約によりシリンダーは1個しか搭載できず、クランク死点機関車止まってしまうと、人力により死点外れるまで機関車移動させなければ再発進できなかった。トレビシックは既に2個のシリンダー位相90度ずらすことでこの問題解決するアイデア考案し特許取得している。しかしレール強度不足や機械工作の精度問題などにより、まだ蒸気機関車実用化することはできなかった。 1812年に、ジョン・ブレンキンソップ設計しマシュー・マレー製造したサラマンカ号」 (Salamanca) では、レール車輪スリップしたことがトレビシック失敗の原因であると考えられて、レール刻み目をつけて歯車かみ合わせ前進するラック式鉄道となっている。シリンダー垂直に立てられており、また2個のシリンダーにより死点問題解決した初めての機関車であった90 トン貨車を牽いて4 マイル毎時走行することができ、またラックレールにより通常の鉄道では登坂困難な50 パーミル勾配15 トンを牽いて登ることができた。この機関車は4両製造され1835年まで実用的に用いられた。 ウィリアム・ヘドリーは、さらに実験行って当初トレビシック機関車のように歯車のない粘着運転でも通常の走行には十分であることを立証した1813年に彼は「パッフィング・ビリー号」 (Puffing Billy) を製作して走らせた。「サラマンカ号」では前後2つ並んでいたシリンダーは、「パッフィング・ビリー号」では左右に2つ並んで下部クランク駆動していた。この形式見た目バッタ似ていることから「グラスホッパー型」 (grasshopper) と呼ばれ初期のアメリカ機関車多く見られた。 一般に蒸気機関車実用化したと考えられているのはジョージ・スチーブンソンであり、しばしば蒸気機関車自体発明者誤解されている。北イングランド炭鉱働いていた彼は、ワット蒸気機関操作改良から始めて次第蒸気機関車手を染めるようになった。キリングワース (Killingworth) の炭鉱での実験では、ピストン動き歯車車輪伝達する機構は弱いことが分かりコネクティングロッド直接車輪駆動する機構発明した。また複数動輪連結するカップリングロッドも試したが、当時技術では精度不足で失敗しチェーン駆動となったコネクティングロッド直接車輪駆動する方式は、その後蒸気機関車時代終焉までほとんどの機関車続けられ定番方式となったスチーブンソンは、息子ロバート・スチーブンソンその他の関係と共に1823年には世界で最初機関車製造会社ロバート・スチーブンソン・アンド・カンパニー設立した。これは、蒸気機関車利用した本格的な鉄道開業するよりも前のことである。 スチーブンソンは、あちこち炭鉱において蒸気機関車走らせるようになって有名となった。これにより、世界で初めての蒸気機関車利用した公共鉄道であるストックトン・アンド・ダーリントン鉄道1825年彼の手によって開通した。この鉄道では、鋳鉄レール替えて錬鉄レール用いられるようになり、これによるレール強度改善により蒸気機関車実用的なものとなった。しかしストックトン・アンド・ダーリントン鉄道ではまだ馬車鉄道時代流儀によって運行されており、ダイヤ定められておらず場当たり的運行が行われていた。列車運行した他者線路貸し出すということ行われ運河に近い形態であった。さらに当初貨物列車のみが蒸気機関車による運行で、旅客列車は馬による牽引であった。この時に投入され機関車である「ロコモーション号」 (Locomotion) は、初めてカップリングロッドを実用化して、複数車輪ロッド連結して駆動する方式となった。 さらにスチーブンソン蒸気機関車改良進めスプリングすべての車輪取り付けて動揺緩衝するようにした機関車、「エクスペリメント号」 (Experiment) を1827年送り出したスプリングによる車体の上下により、垂直に設置したシリンダー使えなくなり水平に駆動する方式戻されている。そして1828年には、初歩的ながら弁装置駆動工夫してカットオフ概念入った「ランカシャー・ウィッチ号」 (Lancashire Witch) を送り出した続けてスチーブンソンは、中部イングランド貿易港リヴァプール工業都市マンチェスターを結ぶリバプール・アンド・マンチェスター鉄道建設行った1829年10月に、この鉄道蒸気機関車採用する定置式の蒸気機関によるケーブル牽引採用するかを決定するために、レインヒル・トライアルという機関車コンテストが行われ、スチーブンソン開発したロケット号」が優勝した。この機関車ではさらに、フランスマーク・セガン考案したとされる煙管を多管式にする工夫が行われて、出力大幅に強化された。これによりリバプール・アンド・マンチェスター鉄道では蒸気機関車採用決定され旅客列車蒸気機関車牽引する初めての鉄道1830年開通した運行管理信号保安技術改良され真に実用的な鉄道となり、産業革命牽引していくことになった

※この「蒸気機関車の発明」の解説は、「鉄道車両の歴史」の解説の一部です。
「蒸気機関車の発明」を含む「鉄道車両の歴史」の記事については、「鉄道車両の歴史」の概要を参照ください。

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