結成からメジャーデビュー
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「water (ロックバンド)」の記事における「結成からメジャーデビュー」の解説
鎌田雅人が発起人となって、1994年に結成する。市川CLUB GIOが最初のライブとなった。以来、四谷フォーバレーを中心に活動する。「トランジスターグラマー」「アジテーションプロパガンダ」「THE NATIVE SUN」「東京メガネサウルス」など、名前が固定せず、ようやく、1996年に「water」と決定している。熱心なライブ活動と、宮永治郎が所属していたレコーディングスタジオの協力で、実験的なレコーディング、浅井健監督(代表作:サザンオールスターズのTSUNAMI、the brilliant greenの作品など)とのPV撮影を重ねていた。客の動員数が飛躍的に伸びた1996年、6社のレコードメーカーからメジャーデビューの打診を受ける。1997年には、Cube Groupの所属アーティストとして、メジャーへの道を歩み始めた。waterのリーダーは黎明期から長い間、鎌田雅人が務めていたが、滅茶苦茶なやり方を見かねた所属事務所社長の意見で、宮永治郎に変更されている。
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結成からメジャーデビュー (1996年 - 2000年)
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「POLYSICS」の記事における「結成からメジャーデビュー (1996年 - 2000年)」の解説
POLYSICSはハヤシを中心に結成されたバンドである。ハヤシは中学、高校在学中に宅録や複数のバンドでの音楽活動を行っていた。当初は様々なジャンルのカバーを主としていたが、高校時代に結成したバンド「コアラ盛り合わせ」ではオリジナル曲を作成しアルバムを自主制作で2枚出した。同じ頃、小学校の同級生4人でバンド「リズムミンチ」を結成し、活動していたものの、ハヤシ以外のメンバーが大学受験勉強に専念し、またヴォーカルの脱退などもあり、このバンドは活動停止した(ハヤシ曰く、凍結したとのこと)。その様な中、ハヤシが高校3年生の1996年、DEVOへの憧れやP-MODELの日比谷野外音楽堂でのライブに触発され、POLYSICSというバンドの結成を決意。 1997年3月、高校の同級生同士であるハヤシ、サコ、カワベでPOLYSICSを結成。高校卒業する前の3月4日、新宿JAMで初ライブを行う。結成当初は、ベース、ドラムは在籍しておらず、ギター、ボーカルとボコーダー、シンセサイザーに打ち込みのバックトラックを使用したテクノポップバンドであった。以後、3月4日をPOLYSICSの結成日として、○周年記念イベント等を開催している。同春にハヤシ、サコ、カワベの3名は高校を卒業。その後、カワベから大学でほかにやりたいことが見つかったと連絡が入り、最初の新宿JAMでのライブを最後に脱退。同じ時期に、ハヤシが渋谷のクラブでカネコと知り合い加入。ハヤシ、サコ、カネコの3人組となったが、方向性の違いが生じて、97年11月にカネコが脱退。同冬に、POLYSICSはハヤシとサコの2人組ユニットになった。脱退したメンバーの穴を埋める形でハヤシと高校の軽音部で一緒だったカヨが1998年3月に新宿JAMでのライブで加入。 カヨ加入から半年後となる1998年6月にスガイが加入。この頃に「POLY-X」というコードネーム、バイザーとオレンジ色つなぎを導入し、初期のPOLYSICSのスタイルが完成した。これらのコードネーム、バイザー、ツナギはまさにDEVOを表す記号の一つでもあり、それを楽曲面だけでなく、バンドのビジュアル的側面としても取り入れた。それから同じ時期に下北沢QUE、下北沢シェルター、渋谷屋根裏、新宿JAM、新宿リキッドルーム、代官山LOOP、池袋サイバーなど数々の都内のライブハウスを中心にライブ活動をしていく。 同年9月に、日本のロックシーンで盛り上がりの兆しを見せていた新世代ニュー・ウェイヴのバンド有志によるオムニバスアルバム『TOKYO NEWWAVE OF NEWWAVE '98』に参加し、注目を集めるようになった。テクノポップ色が後退し、バンドのライブ感が前面に出た作品となった。この頃は主にPOLY-2(サコ)の食パン投げなどのキワモノ的パフォーマンスをするバンドとして知られていた。当初は袋に入った煎餅を投げていたが、「当たると痛い」という客からの苦情が殺到し、食パンに変えた。 1999年にUKプロジェクトが運営するインディーズレーベルDECKREC RECORDSと契約。同年2月にデビュー・アルバム『1stP』をリリースした。また同年の3月には下北沢CLUB QUEで初のワンマンライブを開催した。『1stP』が発売された頃からライブでの動員も急激に増えていき、4月にはラジオのレギュラー番組を担当、夏にはフジ・ロック・フェスティバルへ出演するなど、活動と人気が着実に広がっていった。しかし所謂「キワモノ系バンド」「おちゃらけたニュー・ウェイヴバンド」として評価を受けることも多く、ハヤシはキワモノっぽさ、ポップさだけでなく、きちんとした演奏力が今後のPOLYSICSには重要だと考えていた。当時のサコは演奏力がハヤシの期待するレベルに達していなかったこともあり、ハヤシはサコに対し脱退するように勧告した。5月にはサコが脱退し、それを機に「POLY-X」というコードネームを廃止するなどの変化がみられた。 1999年の10月には2ndアルバム『A・D・S・R・M!』をリリースした。この頃から、サポート・メンバーとして元54NUDE HONEYSのフミがベースで参加するようになった。同年、初の全国ツアーを敢行した。ちなみに『A・D・S・R・M!』までの楽曲には歌詞らしい歌詞が無い。 2000年3月には、初の日本国外でのライブとしてSXSW2000への出演、およびアメリカツアーを敢行。このアメリカツアー中に、ハヤシはロスアンゼルスにあるDEVOのスタジオを訪れた。そこで、ハヤシはDEVOメンバーと直接会話を交わし、DEVOにPOLYSICSのCDを渡す。
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結成からメジャーデビュー(1996年 - 1998年)
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1995年4月、岸田繁が立命館大学に入学。大学の音楽サークルであるロックコミューンに入り森信行や大村達身と出会う。佐藤征史とは立命館高等学校の1年のときに出会い、高校時代から音楽活動を共にし、大学でも同じサークルに入る。その後、岸田と佐藤が後の「くるり」の原型となるバンドを結成。このときのメンバーは岸田と佐藤のほかに別のボーカリストとドラマーがいる「毒猿ペピヲ」という4人体制のバンドであった。岸田はこの頃から曲を作ってこのバンドで演奏していたが、メインボーカルをとることはなく、あまりいいバンドではなかったとも後に語っている。ほどなくしてバンドのドラマーが辞めたため森を誘う。そしてバンドのボーカリストも脱退したため岸田がボーカルをとることになり以後、スリーピースバンドとして活動してゆくことになる。当初は3人とも平行して別のバンドにも参加していた。 1996年9月にアマチュアバンドのコンテストの賞金10万円目的で正式にくるりを結成。しかし、岸田の話によると「普通に結成を持ちかければいいものを、当時凄くひねくれていたので素直に言えず、賞金稼ぎという建前で結成を持ちかけた」という。演奏曲は「モノノケ姫」「夜行列車と烏瓜」「雫が咲いたら(『くるりの一回転』収録。ワルツ調の楽曲)」。くるりは優勝し10万円を獲得したものの、すべて打ち上げとパチンコに消えたという。 1997年2月、8曲入りカセットテープ『くるりの一回転』を発売し完売。ラジオ番組にも出演する。7月に第1回フジロック・フェスティバルをサークル仲間たちとともに観覧、台風の直撃などで色々とひどい目に遭ったらしい。程なくしてシュガーフィールズ・原の東京の自宅スタジオでレコーディングをする。Bad News Recordsにデモテープを送ったところ気に入られ、11月にインディーズ1stアルバムである『もしもし』を発売。 1998年1月から、ライブハウスツアー退屈退治を11月まで行う。また、5月にはインディーズ2ndアルバムである『ファンデリア』を発売。同月に行われた大阪城音楽堂でのイベント「SWEET LOVE SHOWER」のオープニングアクトや、スピッツが主催する「ロックロックこんにちは!」に出演。7月には会場を東京に移した第2回フジロック・フェスティバルを観覧。
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