結成からビルマ独立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 04:19 UTC 版)
「ビルマ共産党」の記事における「結成からビルマ独立まで」の解説
1939年8月15日に、英領インド帝国内で台頭した共産主義運動の影響を受けて、アウンサンを総書記としタキン・タントゥン、タキン・ソーをはじめとする6人のメンバーによって結成された。 1940年に、CPBは独立運動組織リーダーでCPBの非公然メンバーだったアウンサンを中国に潜入させて、軍事的支援を得るために中国共産党との連絡を図った。 しかし、ラングーン市内で歯科医を開業して情報収集に当たっていた、日本海軍の国分正三予備役大尉配下の諜報員としてグループ内に潜入していたネ・ウィンが、この情報を日本海軍にもたらし、アウンサンは潜伏していた福建省アモイで日本海軍特務機関員に発見され、日本に連行された。 アウンサンの身柄を確保した日本軍は、ラングーンから昆明に至る援蒋ビルマルート切断のためにビルマ独立運動の利用価値を検討し、アウンサンの希望していた軍事的支援を与える事を見返りに、日本軍のビルマ侵攻への協力を取り付け、アウンサンはビルマへ戻り、CPBの公然・非公然メンバーを中心とする30人の同志を密航させ、海南島の海軍特務機関施設での軍事訓練に参加させた。 1941年12月になって、日本軍は南機関の監督の下でアウンサン達をタイへ移動させ、亡命ビルマ人200名を加えて、ビルマ独立軍(BIA)を結成させた。 1942年1月に日本軍はビルマ本土への侵攻を開始し、英印軍は敗退し日本がビルマを占領し、1943年8月にビルマはバー・モウを首班として独立し、アウンサンは国防大臣に就任した。 1944年8月には、CPB・アウンサンを始めとするビルマ国軍の非公然CPBメンバー・人民革命党などが参加して抗日運動の秘密組織である反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)が結成され、1945年3月に日本軍への蜂起を開始し、6月15日に対日戦勝利を宣言した。
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