結成からブレイクまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 04:33 UTC 版)
「13thフロア・エレベーターズ」の記事における「結成からブレイクまで」の解説
1965年の12月、13thフロア・エレベーターズはオースティンのローカルな音楽シーンに登場した(同時代にThe WigやThe Babycakesなどのバンドがおり、また後にShiva's HeadbandやThe Conquerooなどが現れるシーンである)。バンドは、ザ・スペーズというバンドを脱退したあとのロッキー・エリクソンが、テキサスの沿岸の街、コーパスクリスティでザ・リングズメンとして活動していたステイシー・サザーランド、ベニー・サーマン、ジョン・アイク・ウォルトンらと合流して結成された。トミー・ホールはメンバーらを引き合わせるのに一役買い、自身も作詞家兼エレクトリック・ジャグ奏者としてグループに加入した。 バンド名は、ドラマーのジョン・アイク・ウォルトンが提案した「エレベーターズ」という名前に、クレメンティン・ホール(トミー・ホールの妻)が「13thフロア」という語句を付け足して生まれた。当時13階を持っている建物などほとんどなかったことに加え、マリファナ(marijuana)の頭文字である"M"が13番目のアルファベットであることも関係している。 1966年の1月はじめ、バンドはプロデューサーのゴードン・バイナムに連れられてヒューストンへ移動し、シングルとして発表するための2曲(エリクソン作のYou're Gonna Miss Meと、ホールとサザーランド共作のTried To Hide)をレコーディングした。このシングルはオースティンで大きな成功を収め、テキサス州内のほかの都市にも衝撃が伝わった。数ヵ月後、インターナショナル・アーティスツ・レーベルはこのシングルを再リリースした。 1966年の春の間、バンドはテキサス州中をツアーでまわった。オースティン、ダラス、ヒューストンなどのクラブで演奏し、各地の若者向けテレビ放送にも出演した。夏になると、インターナショナル・アーティスツが再リリースしたYou're Gonna Miss Meがテキサス州の外(特にマイアミ、デトロイト、サンフランシスコ・ベイエリアなど)でも人気を博すようになり、10月にはビルボードのチャートで55位に到達した。このシングルの成功を受けてバンドは西海岸でツアーを行ない、テレビ出演をこなしたり、サンフランシスコにある劇場に出演して演奏したりした。 ヒューストンを拠点にしていたインターナショナル・アーティスツ・レーベルはエレベーターズと契約を結び、11月にはアルバム『The Psychedelic Sounds of the 13th Floor Elevators』をリリースした。このアルバムは当時広まっていたカウンターカルチャーのなかで人気となった。また、LSDなどの薬物を「より高い場所」「意識の"非アリストテレス"的状態」へ至るための入り口として賞賛したスリーヴ・ノート(トミー・ホールの筆による)も、アルバムが伝説的評価を獲得するのに貢献した。 カリフォルニアツアーの間、バンドはクイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、グレース・スリックのグレート・ソサエティ、モビー・グレープらとともに行動した。1967年初頭にテキサスへ戻ると、彼らはシングル「Levitation」をリリースし、オースティンやヒューストンなどのテキサス州内の都市でのライブ活動を続けた。11月にはセカンドアルバム『Easter Everywhere』をリリース。オープニング・トラックに据えられた超越的叙事詩Slip Inside This Houseに代表されるように、評論家やファンの多くはこのアルバムをバンドの最高傑作であると評価している。アルバムには、ボブ・ディランの楽曲「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」のカバーも収録されている。 しかしながら、Easter Everywhereの制作が始まる直前にウォルトンとレザーマンがバンドを脱退している。その背景にはインターナショナル・アーティスツのマネジメントのやり方に対する不満だけでなく、ホールとウォルトンの間の意見のすれ違い(ホールがLSDを熱心に称賛しすぎていたため)もあった。 結果として、彼らはアルバムのうちの2曲に演奏で参加しているにもかかわらず、クレジットがEaster Everywhereのスリーヴノートに載せられなかった。 後に伝説的な評価を獲得する『Easter Everywhere』だが、制作に膨大な時間や費用をかけたにもかかわらずバンド側やインターナショナル・アーティスツが期待したほどの商業的成功は収められなかった。ヒットシングルが収められていなかったことや年末の発売となってしまったことが災いし、初回プレス分は売り切ったものの追加でプレスされることはなかった。レーベル側の資料によれば、デビュー作は初回プレス分だけで40000枚を売り上げたのに対し、『Easter Everywhere』は10000枚の売上に留まったのだという。
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