バンド結成からメジャー・デビューまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 03:57 UTC 版)
「Mr.Children」の記事における「バンド結成からメジャー・デビューまで」の解説
1985年(昭和60年)、関東高等学校(現・聖徳学園高等学校)の軽音楽部に所属していた桜井和寿と中川敬輔、桜井が野球部から軽音楽部に誘った田原健一、ドラマーと女性キーボードによる5人組バンド・Beatnikを結成。 1987年(昭和62年)、バンド名をTHE WALLSへ改名。 1988年(昭和63年)、ソニーのコンクールのテープ審査を通過したが最終選考前にドラマーが脱退。次のドラマーを探す中で吉祥寺のライブハウスへ出演した際、田原・中川とは中学時代の同級生で当時は他のバンドにて活動していた鈴木英哉が目に留まり、バンドに誘う。桜井は当時について「とにかく決勝が迫っていたので誰でも良かった」、鈴木は「土下座して頼まれたので、仕方なく受けた」と話している。ソニーのオーディションには落選したものの後日正式に加入、現在のメンバーとなる。 1989年(昭和64年)にバンド名をMr.Childrenへと改名後、ライブハウス「渋谷La.mama」を中心にライブ活動を行っていた。同年8月には初の自主制作テープ「Hello, I Love You」を制作。 1990年に入り、プロデビューの話も舞い込むようになる。その後、トイズファクトリーと契約を交わしプロデューサーとして小林武史を迎え入れ、メジャーデビューに向けてレコーディングが始まる。
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バンド結成からメジャーデビューまで
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「U2」の記事における「バンド結成からメジャーデビューまで」の解説
1976年、アイルランドダブリンのマウント・テンプル高校の掲示板にラリー・マレン・ジュニアがバンドメンバー募集の貼り紙を出した。これを知ったポール・ヒューソン(ボノ)、アダム・クレイトン、エヴァンス兄弟(兄ディック、弟デイヴ(ジ・エッジ))が集まり、5人で活動を始めたのがバンド結成のきっかけである。ドラムのラリーとギターのジ・エッジは少年の頃から演奏していたが、アダムはベースをろくに弾けず、アンプを持っているという理由でバンドに入った。ボノはギター希望だったが、楽器を持っていなかったのでボーカルになった。 当初のバンド名は「フィードバック(Feedback)」や「ザ・ハイプ(The Hype)」を経て、ディックが脱退した1978年に「U2」と決まった。その後、リムリックで行われたLimerick Civic Week Pop '78というタレントコンテストで優勝。1979年にはCBSアイルランドと契約して、「Out Of Control」「Stories For Boys」「Boy/Girl」の3曲入りシングル「スリー」をアイルランド国内で1,000枚限定でリリースし、IREチャートで19位に食い込む。1979年から1980年にかけてイギリスとアイルランドで精力的にツアーを行った結果、ついにアイランド・レコードと契約を交わした。
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