バンド結成・初期の活動:1971年 - 1972年
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ポール・マッカートニーは1970年のビートルズ解散後、『マッカートニー』『ラム』の2枚のソロ・アルバムを発表した。これらのアルバムはチャート上では成功を収めたが、音楽評論家やロック・ファンからの評価は芳しくなかった。 予てよりバンドによるコンサート活動を目論んでいたポールは、『ラム』のレコーディングに参加していたドラマーのデニー・シーウェルと、ギターのヒュー・マクラッケンに参加を打診したところ、シーウェルは承諾した。マクラッケンに断られたポールは、ギター担当として1960年代からの知り合いであるデニー・レインに連絡を取り、参加することとなった。キーボードとコーラスはリンダが担当することとなった。今まで写真家として活動しており、音楽経験の無かったリンダだったが、ポールとの結婚時から「新たなバンドに参加してくれないか」と頼まれていたという。 1971年8月、4人は新しいバンドのアルバムのレコーディングを開始した。ウイングスというバンド名は、当時リンダの出産を待つ間にポールが思いついた「天使の翼」というフレーズに由来するものであり、イギリスの音楽誌「NME」の1971年10月2日号で明らかにされた。翌月にはバンド結成を記念したパーティが開かれ、エルトン・ジョンやギルバート・オサリバンをはじめとする多くの著名人が出席した。 12月にウイングスとしてのファースト・アルバム『ワイルド・ライフ』は発売され、全米・全英ともに10位台を記録したが、このアルバムはわずか2週間、そのうち録音に費やされたのは3日間という短期間で完成させたため、音楽評論家の評価は批判的だった。 1972年1月に新メンバーとしてジョー・コッカーのバックバンド、グリース・バンドのギタリストだったヘンリー・マカロックが参加したウイングスは、『ワイルド・ライフ』の発売から約2か月後の2月9日、イギリスのノッティンガム大学を皮切りに最初のツアーを開始した。抜き打ちで選んだ大学にアポイントなしで向かい、ポール自らが大学と交渉してライブを行うというこのツアーは、新バンドのデモンストレーション的要素の強いものであった。同年7月からは、本国を除くヨーロッパを回る2度目のコンサート・ツアーを敢行した。ちなみに、これらのツアーではビートルズの楽曲は一切演奏されていない。 1972年にウイングスはシングル「アイルランドに平和を」「メアリーの子羊」「ハイ・ハイ・ハイ」を発表した。「アイルランドに平和を」は政治的な内容であるとして、「ハイ・ハイ・ハイ」はドラッグを連想させ、性的な内容にも捉えられるとの理由でラジオ等で放送禁止となったが、それでもチャート上ではスマッシュヒットとなった。
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