バンド結成・初期の活動:1971年 - 1972年とは? わかりやすく解説

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バンド結成・初期の活動:1971年 - 1972年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:22 UTC 版)

ウイングス」の記事における「バンド結成・初期の活動:1971年 - 1972年」の解説

ポール・マッカートニー1970年ビートルズ解散後、『マッカートニー』『ラム』の2枚ソロ・アルバム発表した。これらのアルバムチャート上で成功収めたが、音楽評論家やロック・ファンからの評価芳しくなかった予てよりバンドによるコンサート活動目論んでいたポールは、『ラム』のレコーディング参加していたドラマーのデニー・シーウェルと、ギターヒュー・マクラッケン参加打診したところ、シーウェル承諾したマクラッケン断られポールは、ギター担当として1960年代からの知り合いであるデニー・レイン連絡取り参加することとなったキーボードコーラスリンダ担当することとなった今まで写真家として活動しており、音楽経験無かったリンダだったが、ポールとの結婚時から「新たなバンド参加してくれないか」と頼まれていたという。 1971年8月、4人は新しバンドアルバムレコーディング開始したウイングスというバンド名は、当時リンダ出産を待つ間にポール思いついた「天使の翼」というフレーズ由来するものであり、イギリスの音楽誌「NME」の1971年10月2日号で明らかにされた。翌月にはバンド結成記念したパーティ開かれエルトン・ジョンギルバート・オサリバンはじめとする多く著名人出席した12月ウイングスとしてのファースト・アルバムワイルド・ライフ』は発売され全米全英ともに10位台を記録したが、このアルバムはわずか2週間そのうち録音費やされたのは3日間という短期間完成させたため、音楽評論家評価批判的だった1972年1月新メンバーとしてジョー・コッカーバックバンドグリース・バンドギタリストだったヘンリー・マカロックが参加したウイングスは、『ワイルド・ライフ』の発売から約2か月後の2月9日イギリスノッティンガム大学皮切りに最初ツアー開始した抜き打ち選んだ大学アポイントなしで向かいポール自らが大学交渉してライブを行うというこのツアーは、新バンドデモンストレーション要素の強いものであった同年7月からは、本国を除くヨーロッパを回る2度目コンサート・ツアー敢行した。ちなみに、これらのツアーではビートルズ楽曲一切演奏されていない1972年ウイングスシングルアイルランドに平和を」「メアリーの子羊」「ハイ・ハイ・ハイ」を発表した。「アイルランドに平和を」は政治的な内容であるとして、「ハイ・ハイ・ハイ」はドラッグ連想させ、性的な内容にも捉えられるとの理由ラジオ等放送禁止となったが、それでもチャート上でスマッシュヒットとなった

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