第二次世界大戦と日本語との出会いとは? わかりやすく解説

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第二次世界大戦と日本語との出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 08:06 UTC 版)

ドナルド・キーン」の記事における「第二次世界大戦と日本語との出会い」の解説

1940年昭和15年)のある日ナチス・ドイツのフランス侵攻など、欧州情勢鬱屈とした日々過ごしていたキーンは、タイムズスクエアゾッキ本として売られていたアーサー・ウェイリー『源氏物語』を手にとった。本の厚さ比して安価だったというだけの理由49セントでこれを購入したキーンは、やがてその世界魅せられるうになるその後反日感情を持つへの遠慮から日本語は学ばなかったが、ジョージ・H・カー誘い受けてポール・ブルーム(後:CIA初代東京支局長)とともに有志による日本語勉強合宿参加サクラ読本教材にして日系アメリカ人猪俣からレクチャー受けた合宿終えたあとも、最初に愛着覚えたフランス文学うちこむ中国語日本語研究続けるかキーンには迷いがあったが、フランス出身ブルームから「フランスで育って完璧なフランス語を話すアメリカ人山ほどいる、しかし日本語がわかるアメリカ人皆無に近い」と説得された。大学では、カー勧めにより角田柳作日本思想史受講し日本研究の道に入る。 真珠湾攻撃から間もない1942年はじめ、カリフォルニア大学バークレー校設けられ海軍語学校に志願し西海岸に渡る。語学校には、語学長けた一流大学の学生日本または中国駐在していた宣教師実業家の子弟らが集められ日本語教育カリキュラムでは長沼直兄『標準日本語讀本』用いられ言語習得のみに専念できる環境整えられており、日本教育受けて帰米した日系アメリカ人らが教師務めた同年6月虫垂炎患い海軍病院入院中に火野葦平の『土と兵隊』を読む。これが初めキーン読んだ日本文学作品となった同年コロンビア大学にて学士号取得し卒業翌年1943年昭和18年2月キーンらのグループ軍務急を要するとして語学校を繰り上げ卒業となり、キーン卒業生総代として在学中マスターした日本語で「告別の辞」を述べたその後キーン海軍情報士官としてハワイ翻訳局に赴任し日課報告書物資明細書などのガダルカナル島の戦い得られ日本軍文書を英語に訳す任務負った中には死亡した兵士から押収され日記もあり、くずし字習得したキーン好んで翻訳した最期思い赤裸々綴られ手書き文書通じてキーン日本人の心に接した通訳官として尋問した最初捕虜は、のちに作家となった豊田穣その後オーテス・ケーリ(後:同志社大学名誉教授とともにアッツ島の戦い参加する部隊同行初めての実戦経験となる。アッツ島では激し抵抗見せながらも最後に集団自決果ててしまう日本兵たちに、キーン困惑する続いてコテージ作戦にも参加しキスカ島上陸部隊一員加えられる実際にキスカ島撤退作戦により日本軍はすでに島を去っていたが、キーンのもとに持ち込まれた"標識"は大騒動もたらし大量血清求める緊急電本国向けて打たれた。その看板には『ペスト患者収容所』と日本語書かれていたのであるキーンがこれが日本軍軍医によるいたずらだったと知ったのはそれからかなり時間経ってからのことであった1945年昭和20年)には、沖縄攻略作戦従軍沖縄本島へ向かう途上乗艦していた輸送船神風特別攻撃隊標的となるが、特攻機突入直前別の船のマスト接触して水中墜落し命拾いした。上陸初日接触した現地住民とは意思疎通ができず、沖縄にいるうちの多く日本語話者でないことを知ったその日遅く日本語上手に話す少年が見つかり、彼を通訳にしてガマ潜む住民投降呼び掛けた陸軍の第96歩兵師団語学将校求めていることを知るとこれに志願。主に普天間駐留して捕虜尋問担当し前線ではスピーカー投降呼びかけたが、勝ち目がない中で日本兵民間防衛隊が自爆攻撃行い女性や子どもが自殺する姿を目の当たりにした。沖縄での軍務7月まで続き終戦玉音放送グアム収容所日本人捕虜とともに聞いた日本ポツダム宣言受諾後キーン日本赴任することを望んだが、折り合いが悪い上官によってこの願い聞き届けられず、第6海兵師団として中国派遣されることとなった赴任先の青島では当初現地日本軍人と良好な関係を築いたが、まもなく混乱乗じた腐敗密告入り乱れるようになり、戦争犯罪取り調べなどに嫌気差したキーン帰国願い出し原隊復帰命令書を得てこの地を後にした。 帰路厚木飛行場経由したキーンは、初め訪れた日本見て回りたい衝動抑えられず、原隊現在地横須賀と「誤って報告横須賀司令部出頭し自分が「誤解」していたと申告するまで、1週間にわたり滞在し戦後間もない日本堪能した

※この「第二次世界大戦と日本語との出会い」の解説は、「ドナルド・キーン」の解説の一部です。
「第二次世界大戦と日本語との出会い」を含む「ドナルド・キーン」の記事については、「ドナルド・キーン」の概要を参照ください。

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