発射から月周回軌道まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 03:12 UTC 版)
「アポロ16号」の記事における「発射から月周回軌道まで」の解説
16号の発射は当初は3月17日に予定されていたが、アポロ計画においては初めて技術的な問題により4月16日まで遅延した。この間に宇宙服、宇宙船の分離装置、月着陸船のバッテリーなどに改良が施され、試験された。司令船のドッキング用リングを切り離すための爆発ボルトについては、十分な圧力が得られずリングを完全に分離できないのではないかという懸念が持たれていた。またヤングの宇宙服の可動性や着陸船のバッテリーの容量が変動してしまう問題などについては、早急な調査と問題解決が求められていた。発射を3か月前に控えた1972年1月、司令船の燃料タンクが定期点検中に損傷するという事故が発生した。このためロケット全体が急遽垂直組立棟に戻され、燃料タンクが交換された。再び発射台に戻ったのは2月のことで、発射スケジュールには何とか間に合わせることができた。 正式に秒読みが開始したのは1972年4月10日午前8時30分で、発射の6日前のことであった。この瞬間にサターン5型ロケットの三段すべてが起動され、また宇宙船内に飲料水が補給され始めた。秒読み開始に伴い、飛行士らは発射に備えて最後の訓練を行った。4月11日、発射前の最後の健康診断が行われた。4月15日、宇宙船へ液体水素と液体酸素が充填され、飛行士らは翌日の発射に備えて休息をとった。 1972年4月16日12時54分 (米東部標準時)、アポロ16号はフロリダ州ケネディ宇宙センターから発射された。打ち上げは正常だったものの、飛行士たちはそれ以前の飛行と同様、機体の激しい振動にさらされていた。第一段S-ICと第二段S-IIの切り離しは正常に行われ、宇宙船は発射から12分後に地球周回軌道に投入された。軌道到達後、飛行士らは無重力状態に体を適応させるとともに、第三段S-IVBのエンジンを再点火し機体を加速して月へと向かう遷移軌道投入に備えた。軌道周回中、宇宙船の環境制御装置や第三段の姿勢制御装置でいくつかの技術的問題が発生したが、遷移軌道投入準備の間に解決することができた。軌道周回二周目で第三段のエンジンが再点火され、ちょうど5分間の燃焼により機体は時速22,000マイル (35,000キロメートル) まで加速された。第三段の燃焼終了後、飛行士を乗せた司令・機械船はロケットから分離し、15m(49フィート) ほど前進した後180度向きを変え再度引き返し、役目を終えたS-IVBに収納されている月着陸船とのドッキングに向かった。操作は問題なく行われ着陸船はS-IVBから抽出されたが、ドッキング終了後、飛行士らは着陸船の外部が細かい破片のようなものに覆われていることに気づいた。破片は船体の一点から放出されており、その部分は外壁がちぎれるか裂けているように見えた。デュークが観測したところによると、破片が放出される数は1秒間に5個から10個ほどと見られた。ヤングとマッティングリーはドッキングトンネルをくぐって着陸船の内部に入り機器の点検を始めたが、特に問題は見られなかった。遷移軌道に乗ると、受動的温度管理の操作が始められた。これは俗に「バーベキュー・ロール」とも呼ばれているもので、船体を中心軸に沿って一時間に3回転させ、太陽光線によって受ける熱を船体表面に均一に分布させるものである。その他の様々な航海のための準備を終えた後、飛行士らは最初の眠りについた。発射から15時間後のことであった。 飛行第二日目、管制センターが目覚ましのための警報音を鳴らしたとき、宇宙船は地球から約181,000キロメートルの地点を秒速1,622メートルで飛行していた。月周回軌道に到達するのは飛行第四日目であるため、二日目と三日目は大部分が宇宙船の点検や科学的探査などに費やされた。この日には電気泳動の実験が行われた。これは14号でも実施されたもので、ゼロ重力下での分子の移動を検証するためのものであった。また機械船の主エンジン (Service Propulsion System, SPS) を2秒間噴射しての軌道修正も行われた。夕刻には飛行士が再度着陸船に入って機器の点検を行ったが、このとき着陸船のアルミニウムの外壁の別の箇所で塗装がはげ落ちているのが確認された。この点を除けば、宇宙船のシステムは全く正常であると飛行士たちは報告した。点検終了後、後日の月周回軌道進入のためのエンジン噴射に備えて点検項目と手順の再確認が行われた。このとき司令船操縦士のマッティングリーは、ジンバルロックを警告するランプが点灯していることを報告した。ジンバルロックとは姿勢制御計のジャイロの3軸のうちの2つが同一平面上に揃ってしまう現象で、これが発生すると宇宙船の姿勢を示すデータが得られなくなる。マッティングリーは太陽と月の位置を観測して誘導システムを再調整し、この問題を解決した。この日の終わりに、宇宙船は地球から260,000キロメートルの地点にまで到達した。 飛行三日目の初めに、16号は地球から291,000キロメートルの地点に到達した。月の重力圏にはまだ到達していなかったため、この時点では宇宙船の速度は減少を続けていた。三日目の前半は、もっぱら船内のメンテナンスおよびヒューストンの管制センターへの現状報告に費やされた。このとき「アポロ閃光実験 (Apollo light flash experiment, ALFMED)」が実施された。宇宙船が暗闇に入ると、飛行士たちは目を閉じているか否かに関わらず目の前を横切る閃光のようなものを目撃した。これは16号以前のアポロ計画の飛行士たちがみな経験していた現象であり、宇宙線の粒子が眼球を貫通することによって起こるものではないかと考えられていた。この日の後半にヤングとデュークは再度着陸船に入り、機器を起動した。システムを点検すると、すべて期待通りに機能していることが確認された。このあと両名は宇宙服を身に着け、月面で行う作業の予行演習をした。発射から59時間19分45秒後、飛行第三日が終わる直前に宇宙船は月の重力圏に入り、再び速度を増し始めた。地球からの距離は178,673海里 (330,902キロメートル)、月からは33,821海里 (62,636キロメートル) の地点であった。 第四日目の起床後、飛行士らは月周回軌道進入の準備を始めた。月面から291,000キロメートルの地点で、機械船の科学機器搭載区画 (Scientific Instrument Module, SIM) を覆うカバーが切り離された。発射から74時間後、宇宙船は月の裏側に入り管制センターとの通信がとぎれた。このときSPSエンジンが6分15秒間噴射され、近月点108.0キロメートル、遠月点315.6キロメートルの月周回軌道に進入した。このあとただちに降下軌道進入操作が行われ、近月点は19.8キロメートルにまで低下した。四日目の残りの時間は、月面の観測および翌日に迫ったドッキング切り離しと着陸の準備に費やされた。
※この「発射から月周回軌道まで」の解説は、「アポロ16号」の解説の一部です。
「発射から月周回軌道まで」を含む「アポロ16号」の記事については、「アポロ16号」の概要を参照ください。
発射から月周回軌道まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:53 UTC 版)
「アポロ17号」の記事における「発射から月周回軌道まで」の解説
17号は1972年12月7日午前0時33分 (米東部標準時)、ケネディ宇宙センター39A発射台から打ち上げられた。サターン5型ロケットで有人飛行を行うのはこれが最後のことであり、またアポロ計画では唯一、夜間に打ち上げが実行された。発射30秒前に自動停止装置が作動したことにより予定が2時間40分遅れたが、原因は小さなエラーであることがすぐに突き止められた。技術者が対処し、秒読みは打ち上げ22分前の状態から再開したが、ハードウェアの故障で打ち上げが遅れたのはアポロ計画ではこれが唯一の事例であった。発射は成功し、宇宙船は正常に地球周回軌道に乗った。 深夜であるのにもかかわらず、センター周辺にはおよそ50万人の見物人が訪れたものと見られた。ロケットの炎は800キロメートル彼方からも確認され、マイアミでは北の夜空を赤い光跡が横切るのが目撃された。 午前3時46分(東部標準時)、第3段S-IVBのエンジンが再点火され、宇宙船は速度を増し月への軌道へと投入された。 12月10日、機械船の主エンジン (Service Propulsion System, SPS) を点火し、宇宙船は月周回軌道に進入した。安定した軌道に乗ると、飛行士らはタウルス・リットロウ渓谷への着陸の準備を開始した。
※この「発射から月周回軌道まで」の解説は、「アポロ17号」の解説の一部です。
「発射から月周回軌道まで」を含む「アポロ17号」の記事については、「アポロ17号」の概要を参照ください。
- 発射から月周回軌道までのページへのリンク