発射と月軌道までの飛行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 21:05 UTC 版)
「アポロ11号」の記事における「発射と月軌道までの飛行」の解説
推定で100万人の観衆が発射場の近辺の幹線道路や海岸からアポロ11号の打ち上げを見ていた。観衆の中には、アメリカ陸軍参謀総長のウィリアム・ウェストモーランド大将、4名の閣僚、19名の州知事(英語版)、40名の市長(英語版)、60名の大使、200名の合衆国議会議員などのお偉方もいた。スピロ・アグニュー副大統領はリンドン・ジョンソン前大統領およびレディ・バード・ジョンソン同夫人とともに打ち上げの様子を眺めた。現地には約3,500人の報道関係者が集まった。そのうちのおよそ3分の2はアメリカ国内から、残りはその他の55の国々から来ていた。打ち上げは33か国でテレビ中継され、アメリカ国内だけでも視聴者は推定で2,500万人に上った。さらに世界中で数百万の人々がラジオ放送を聴いていた。リチャード・ニクソン大統領は、NASAの連絡担当官だったアポロ宇宙飛行士のフランク・ボーマンとともに、ホワイトハウスの執務室から打ち上げの様子を見守った。 1969年7月16日13:32:00 UTC(午前9時32分00秒 EDT)、サターンV AS-506はアポロ11号を搭載して、ケネディ宇宙センターの39A発射台から発射された。発射の12分後には、高度98.9海里(183.2キロ)から100.4海里(185.9キロ)の辺りで、地球を周回する軌道に入った。地球を一周半したあと、第三段エンジンS-IVBを点火、16:22:13(UTC)に月遷移軌道投入(Trans-lunar injection、TLI)し、宇宙船は月へと向かう軌道に乗せられた。それから約30分後、左側の操縦席についたコリンズ司令船操縦士の操作で、トランスポジション、ドッキング、エクストラクション(英語版)と呼ばれる一連の動作を実行した。すなわち、使い切った第三段ロケットS-IVBから司令・機械船(CSM)を切り離し、船の向きを反転させて、第三段に取りつけられた状態の月着陸船(LM)とドッキングし、ロケットから着陸船を取り出した。その後、合体した宇宙船は月に向かう針路をとる一方、他方の第三段は月を通過する弾道を描くように飛行した。これは第三段ロケットがアポロ宇宙船や地球や月に衝突するのを回避するために取られた措置であった。月の周りを通過することで生じたスリングショット効果により、第三段S-IVBは太陽周回軌道に入った。 7月19日17:21:50(UTC)にアポロ11号は月の裏側を通過して機械船の推進エンジンを点火し、月周回軌道に入った。続いて、月を30周するうち、飛行士たちはサビンD(英語版)クレーターから南西に約12マイル(19キロ)の辺りに位置する静かの海南部の着陸地点の過ぎゆく景色を目にした。この着陸地点はある程度あらかじめ選定されていたのだが、それは無人探査機レインジャー8号とサーベイヤー5号による先行調査や、月周回衛星ルナ・オービターが撮影した月面写真により、その比較的平坦で滑らかな地形が着陸や船外活動(EVA)を行うのに大きな支障はないだろうと判断されたためであった。着陸予定地点はサーベイヤー5号の着陸地点から南東に25キロほど、レインジャー8号の衝突地点から68キロの辺りにあった。
※この「発射と月軌道までの飛行」の解説は、「アポロ11号」の解説の一部です。
「発射と月軌道までの飛行」を含む「アポロ11号」の記事については、「アポロ11号」の概要を参照ください。
- 発射と月軌道までの飛行のページへのリンク