淀川
淀川の流れ(信頼と文化をはぐくむ淀川をめざして・・・)
(注:この情報は2008年2月現在のものです)
日本最大の湖「琵琶湖」を源とする淀川は、その上流部では瀬田川、中流部では宇治川と呼ばれ、京都府・大阪府境界付近で桂川、木津川と合流した後は淀川となり、大阪市をはじめとする近畿圏の中心部を貫き大阪湾に注ぐ流域面積8,240km2、幹川流路延長75.1kmの一級河川です。 |
大阪市中心部を流れる淀川 |
河川概要 |
| ○拡大図 |
1.淀川の歴史 |
"明治時代、淀川改修工事においてオランダ人技師 デ・レーケは、「粗朶沈床工」を用いて航路を確保しました。 舟運の衰退後、この粗朶沈床工が現在のワンドとなり、天然記念物のイタセンパラが生息するなど、生物にとって貴重な環境となっています。" |
特有の歴史、先人の知恵の活用 淀川は長岡京(784年遷都)や平安京(794年遷都)の頃から、都と瀬戸内海を結ぶ交通の大動脈として利用されていました。江戸時代の大阪は「天下の台所」として繁栄しましたが、その基礎となったのも淀川の水運でした。 ところが明治初めの淀川は、上流から流れてくる真砂(花崗岩が風化した砂)が堆積し、水深およそ40cm。流心は一定でなく、昨日の澪筋は今日の浅瀬と変わり、航路は迂余曲折し、40石積みの舟がようやく航行できるというありさまでした。河床の浅いところでは数人の人夫が小舟に乗り、鋤簾で土砂をすくい、舟を進める「澪掘り」という一時しのぎで、わずかに航路を維持していました。 |
淀川の航路を整正し、船を通すための工事を行った結果、淀川の営みと相まって、非常に良好な淀川の河川環境が創造されたと言えるでしょう。 |
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4.淀川の主な災害 |
"昭和34年9月の台風15号(伊勢湾台風)では、名張市街全域が濁水の中に没するなど、木津川流域で過去最高の流量を記録しました。" |
昭和28年9月25日出水について 9月16日トラック島付近に発生した熱帯性低気圧は、18日午前9時台風13号となりました。台風はその後も発達しながら北西に進み、22日には中心気圧897hpa、最大風速75mの猛烈な台風となりました。台風は北北東に進み25日午後5時30分志摩半島に上陸し本州を縦断して、26日朝奥羽地方東沖に抜けました。 淀川本川沿岸では、右支川芥川とその右小支川女瀬川との合流点付近で、25日右岸約150mが決壊、本川の水は芥川を逆流して決壊口より氾濫し、富田町・三箇牧村・味生村一帯の1,700haが浸水しました。右支川檜尾川では、左岸堤約60mが決壊、約500haが20日間浸水し、低地の京阪神急行線を途絶させました。 その他、左岸においても数カ所、総延長1,000mに渡り表のりを崩壊し、堤防の漏水と内水のために約15haが浸水しました。 堤防の決壊は400箇所に達し、府県下重要国府県道は国道24号線のほか56路線に及ぶ433箇所が通行不能となりました。また、橋梁流出は、国府県道その他にわたり359橋を数えるに至りました。
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(注:この情報は2008年2月現在のものです)
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