文明論の概要とは? わかりやすく解説

文明論の概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 12:29 UTC 版)

文明」の記事における「文明論の概要」の解説

文明論の始まり 歴史学考古学は、歴史始まり画すものとして文明眺めたもう一つは、直接文明対象にするのではなく未開関心寄せた文化人類学であった両分野は手法対象異なるものの、文明始まりという同じものを見ようとする。 フランソワ・ピエール・ギヨーム・ギゾーヨーロッパ文明史』、ヘンリー・バックルイギリス文明史』などがある。近代ヨーロッパ考古学では人類初期古代文明のうち、特にエジプト文明研究などから、「肥沃な三日月地帯」や「文明のゆりかご」(Cradle of civilization)という概念研究した福沢諭吉は、1875年明治8年)、『文明論之概略』で西洋文明日本文明比較した哲学者和辻哲郎1935年昭和10年)に『風土 人間学考察』で、モンスーン日本も含む)、砂漠牧場の三類型風土において独自の文化形成されたと論じた挑戦と応戦 20世紀オスヴァルト・シュペングラーは、『西洋の没落』において、ヨーロッパ中心史観文明観批判したアーノルド・J・トインビーは、文明とは、個人強く識別する、最も広範囲アイデンティティー相当し家族部族故郷国家・地域などよりも広い、強固な文化的同一性であるとした。そして、多く文明への、「挑戦と応戦」の過程で、文明発生し興隆し、やがて終末迎える。文明終末において、新たな文明生む繭が生まれ、古い文明崩し文明再生する例えば、キリスト教会が、崩壊してゆく古代ローマ文明の中で繭として成長し新し文明築いた主張した文明舞台環境 世界最初文明巨大河川での、灌漑であった1944年カール・ポランニーは『大転換市場社会形成と崩壊』で資本主義社会市場構造分析をした。 1949年フェルナン・ブローデルは『地中海』で文明における海の役割際立たせた。 1957年昭和32年)、梅棹忠夫は『文明の生態史観』で砂漠決定的な重要性について指摘している。 1974年イマニュエル・ウォーラーステインは、資本主義経済史的システムとする『近代世界システム』打ちだした。ブローデル影響が濃い。 1988年昭和63年)、棹は、環境制約され文明は、やがて環境制約離れて環境情報取って代わり情報中心とした文明になると、『情報文明論』で述べた1997年平成9年)、川勝平太は、インド洋から東シナ海中心とした交易圏の中での日本文明役割文明海洋史観として提示した1997年ジャレド・ダイアモンドは、文明成り立たせる要素及び人間考え方文明成立構造どのような影響与えるか、『銃・病原菌・鉄1万3000年にわたる人類史の謎』で考察した文明の遷移と系列 日本において、梅棹忠夫文明変遷原理をしめした。棹は1957年昭和32年)に著した文明の生態史観』で、生態学的気候区で「ユーラシア両端日本欧州」と、「ユーラシア中央部」とに2分し、2つ文明の型で遷移異なるとした。砂漠遊牧民農耕地帯征服し文明瓦解し大陸中央部遷移起きず振り出しに戻る。これに対し遊牧民征服まぬかれ日本欧州は、文明破壊され遷移繰り返し平行進化するとした。文明とは、環境からの離脱過程であり、装置群、制度群が次第発達し情報文明にいたるとする。 2000年平成12年)頃、棹の文明論批判した多くの「…史観」が現れた。川勝平太は、歴史主義標榜し棹には理論がないと批判した。そして、川勝は、ヨーロッパ日本が、海洋交易技術進歩で、大陸中央部追い抜いていったとする文明海洋史観』を示した。川勝の背後には、ブローデル地中海があり、大きな影響受けた述べる。 また、村上泰亮日本の家社会を例とした、文明いろいろな系の間の移行により発達経路異なるという、文明の多系史観発表された。村上は、棹の遷移理論対し文明発展経路偶然により異なり、また系の間を移ることがあり、一度経路が決まると、次の分岐点まで文明の型は変わらないとした。 経済構造 マルクス系のポランニーは、労働土地再生産出来ないが、資本主義市場再生産できない財を市場取引すると言う特徴があり、資本主義体制市場普遍的なシステムではないと指摘した。そして、古代未開民族経済調べいろいろな経済社会システムがあり、市場がなくとも経済構造維持できることを示したその他、および時評としての文明論 安田喜憲文明環境史観、森谷正規文明技術史観文明エネルギー史観嶋田義仁アフロ・ユーラシア内陸乾燥地文明論がある。 「帝国」の概念と「文明」がオーバーラップするとしてノーム・チョムスキーは、500年にわたる西洋の帝国経験的に記述したアントニオ・ネグリマイケル・ハートは、共著帝国』で、より理論的な分析展開し、諸文明同時代的な分析構成している。東西冷戦が終わると、アメリカ勝利明白になり、フランシス・フクヤマは『歴史の終わり』(1992年)で、民主主義と自由経済文明最終形態で、王朝交代や、革命という大変革起きないとした。その後アラブ問題生起しサミュエル・P・ハンティントンが、『文明の衝突』で、キリスト教イスラム教などの宗教中心とする文明間の対立摩擦21世紀国際政治特徴になると主張した

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