文明の遷移と系列
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 12:29 UTC 版)
日本において、梅棹忠夫は文明の変遷の原理をしめした。梅棹は1957年(昭和32年)に著した『文明の生態史観』で、生態学的気候区で「ユーラシア両端、日本・欧州」と、「ユーラシア中央部」とに2分し、2つの文明の型で遷移が異なるとした。砂漠の遊牧民が農耕地帯を征服し、文明が瓦解し、大陸中央部は遷移が起きず振り出しに戻る。これに対し、遊牧民の征服をまぬかれた日本と欧州は、文明が破壊されず遷移を繰り返し、平行進化するとした。文明とは、環境からの離脱の過程であり、装置群、制度群が次第に発達し、情報文明にいたるとする。
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