挑戦と応戦
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20世紀、オスヴァルト・シュペングラーは、『西洋の没落』において、ヨーロッパ中心史観・文明観を批判した。アーノルド・J・トインビーは、文明とは、個人が強く識別する、最も広範囲なアイデンティティーに相当し、家族・部族・故郷・国家・地域などよりも広い、強固な文化的同一性であるとした。そして、多くの文明への、「挑戦と応戦」の過程で、文明は発生し、興隆し、やがて終末を迎える。文明の終末において、新たな文明を生む繭が生まれ、古い文明を崩し文明を再生する。例えば、キリスト教会が、崩壊してゆく古代ローマ文明の中で繭として成長し、新しい文明を築いたと主張した。
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挑戦と応戦
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「アーノルド・J・トインビー」の記事における「挑戦と応戦」の解説
トインビーは、文明を単位として、それぞれの歴史を「挑戦と応戦」(challenge-and-response)の観点から提示した。これは、「挑戦と応戦の法則」(law of challenge and response)と呼ばれることもある。文明は、非常に困難な一連の課題に対応して、「創造的な少数派」が社会全体の方向性を変えるような解決策を考案することで生まれた。挑戦と応戦の例には、シュメール人が新石器時代の住民を大規模な灌漑事業を実行できる社会に組織することで、イラク南部の手に負えない沼地を利用したような物理的なものから、カトリック教会が新しいゲルマン王国を一つの宗教的コミュニティとして登録することで、ローマ時代以降のヨーロッパの混乱を解決したような社会的なものまで、様々なものがあった。文明は、課題に対応することで発展してゆく。文明は、指導者が創造的な対応をしなくなると崩壊し、ナショナリズム、軍国主義、専制的な少数派の専制によって沈没してゆく。トインビーの『歴史の研究』の編集後記によると、トインビーは、社会は常に「自然死」ではなく、「自殺や殺人」によって滅びると考えており、ほとんどの場合、「自殺」によって滅びるという。彼は文明の成長と衰退を精神的なプロセスと捉え、「人間が文明を獲得するのは、生物学的に優れた能力や地理的環境の結果ではなく、これまでにない努力をするように彼を奮い立たせる特別な困難な状況における挑戦への応戦としてである」と書いている。
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