挑戦ゲーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/18 04:38 UTC 版)
ボウリング 当時の賞金女王である時本美津子プロと対決。コーチには1999年全日本選手権優勝の大山由里香プロを迎えた。 ルールは時本プロは通常通り1球1投、ウリナリ7は7球で1投となる。ただし、先頭のボールがピンに当たる前に7人全員が投げ切っていなければならない(出来なかった場合はガター扱い)。1ゲームマッチ。試合は翌日に実施。 補欠決めは1投勝負で行い、2連続ガターを出した勝俣が補欠に。 試合は両者譲らなかったものの、最後は時本プロが6連続ストライクを出し248対205で時本プロの勝利となった。 百人一首 百人一首史上最年少名人の西郷直樹氏と対決。コーチには小倉百人一首九段で西郷氏の師匠でもある田口忠夫氏を迎えた。 ルールは通常の50枚ではなく100枚全てを使い、1対7で対決する。また、ウリナリ7側はカンニングペーパーの使用もOK。 補欠決めは「反射神経と記憶力」を試すテストを実施。上の句の代わりに記号、下の句の代わりに色の関係を5秒で覚えた上で、出された記号に対応した色の皿に置かれたシュークリームを食べる。正解なら普通のシュークリーム、不正解の場合は激辛からしシュークリームとなっている。コンビ通しによるジャンケンで4人ずつ2組の予選を実施。敗者2人ずつが補欠決定戦に回り、補欠を決める。結果、天野が補欠に。 試合は終始西郷がリードし、結果75枚の時点で51-25と過半数を取った西郷の勝利となった。 ビリヤード ジャパンオープンなどの優勝経験を持つ梶谷景美プロと対決。コーチには梶谷プロ最大のライバルである三浦陽子プロを迎えた。 ルールは15個の的球を順に落とす「ローテーションゲーム」1セット勝負。梶谷プロは自分用の金の手球、ウリナリ7は白の7個の手球で行う。ウリナリ7側は誤差1秒以内で全員が一斉にショットを打つ。また、梶谷プロは番号順に落とさなければならないが、ウリナリ7は好きな的球から落としてよい。最後に残った的球を落とした方の勝利。ウリナリ7側は必ず最初に的球に当てるかバンクにクッションさせなければならない。また、両者とも相手の手球に当ててはならない。 補欠決めはバンキング勝負で行ったが、強すぎたため2回クッションし奥に行ってしまった南原が補欠に。 試合は7人同時ショットの難しさにウリナリ7が苦戦するが、同様にプロもその難しさに苦戦。一進一退の攻防の末、最後は梶谷プロがカーブショットで決め勝利した(落とした的球はウリナリ7が8個、梶谷プロが7個)。 剣道 対戦相手は、実業団剣道大会で優勝経験のある綜合警備保障の剣道部主将・大津慎一郎。彼の師匠であった塘地健治・ま代夫妻、さらに剣道三段(当時)の腕前を持つタレントの渡辺正行までがコーチに加わるという総力戦となった。装置の横から飛んでくるボールを竹刀で最後まで撃ち落とせなかった有野が補欠に。 ウリナリ7側が一手打たれるたびに独自の演出があった。 フリスビー 相手はボーダー・コリー犬のカイザー・ソゼと、そのコーチ・三本欽麗。コーチにはカイザー・三本ペアのライバル、ラブラドール・レトリバー犬の「3」とそのコーチの田尻吾郎を迎えた。空から降ってくるあんパンパラシュートを最後まで口でキャッチできなかった内村が補欠に。 投げ手決めは最も遠くまでフリスビーを投げた堀部に決定。残りの6人と補欠は犬の着ぐるみを着ての受け手となった。 ビーチバレー シドニーオリンピックの日本代表だった高橋有紀子・佐伯美香ペアと対決。コーチはタレントの川合俊一。 補欠決めはマシンが飛ばしたボールを前方左右どちらかの的めがけてアタックで倒すが、最後まで的を倒せなかった天野が補欠に。
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