慶應義塾とは? わかりやすく解説

慶應義塾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 18:36 UTC 版)

慶應義塾大学」の記事における「慶應義塾」の解説

慶応4年/明治元年1868年4月 - 木村摂津守世話により新銭座に移転、慶應義塾と命名。『慶應義塾之記』を発表5月 - 上野戦争最中ウェーランド経済書の講義継続。 塾内に病室設置校医起源)。シーソーブランコなどを設置最初体育設備)。 明治2年1869年8月 - 汐留中津藩上屋敷内に汐留出張所設置9月 - 『慶應義塾新議』出版授業料徴収規定。 秋 - 童子寮(幼年生のための寄宿舎)を設ける。 明治3年1870年4月 - 汐留出張所麻布龍源寺移転5月 - 芝山広度院に分塾を設置9月 - 隣接地江川太郎左衛門屋敷長屋借り受けて外塾を設置10月 - 三田島原藩借入につき大納言岩倉具視訪問して尽力依頼11月 - 弘前藩招聘英学教師2名派遣契約明治4年1871年3月 - 新銭座の校地近藤真琴攻玉塾譲り三田島原藩中屋敷跡地移転4月 - 『慶應義塾社中約束』を制定学業勤惰表(成績表)の印行開始。 旧島原藩邸の一室月波」を図書室とする。 明治5年1872年6月 - 初め外国人教師雇い入れる8月 - 出版局(のち、出版社開設1873年明治6年1月 - 神山県よりの招請宇和島大洲学校教師2名派遣契約3月 - 三田藩志摩三商会設立される4月 - 学課改定正則科・変則科を新設10月 - 医学所開校1880年閉校)。 11月 - 大阪慶應義塾設立児玉淳一郎により英米法臨時講義が行われる。 明治六年政変征韓論政変)後に土佐藩立志学舎教員派遣1874年明治7年1月 - 和田塾(のちの幼稚舎)を置く。 2月 - 京都慶應義塾(京都集書院)を設立翌年閉鎖)。『民間雑誌創刊翌年廃刊)。 4月 - 卒業制度実施6月 - 三田演説会発足1875年明治8年4月 - 正則変則両科を本科予備とし、予備大人童子両科に区別本科数学予備大人科に算術課す5月 - 三田演説館開館1876年明治9年9月 - 本科を五等に区分し予備大人科を単に予備科、予備童子科を単に童子科と改称11月 - 井上良一の発案万來舎設置協議社・猶興社など結成され演説文筆活動を行う。土佐立志学舎運営参画1877年明治10年1月 - 東京英語学校(前:開成学校、後:大学予備門と共に本科第三生徒およびそれ以上の者に対す徴兵免役指令東京府より出さる(明治9年11月7日東京府伺書提出)。 4月 - 東京大学開設にあたって義塾出身濱尾新総理補に選出11月 - 県令受けて神戸商業講習所経営引き受ける。 西南戦争により塾生減少教員間の読書研究会として「読書院発足1878年明治11年3月 - 三菱商業学校設立参画4月 - 晩学生のため科外(のち別科)を設置大久保一翁勝海舟訪ね徳川家より義塾維持資金借用のことにつき相談。 はじめて卒業式を行う。 1879年明治12年3月 - 官立大学化を望まず、島津氏らの旧大名維持資金援助賜る9月 - 大人科・童子科を予備科(のち予科)と改称10月 - 夜間法律科を設置秋 - 日本初簿記教育開始清国人教師招き支那語科開設1881年廃止)。 1880年明治13年1月 - 交詢社設立日本最古社交倶楽部)。 2月 - 興亜会参画3月 - 議事講習会擬国会)を開催9月 - 福澤諭吉の廃塾宣言10月 - 岡山商法講習所開設義塾出身者経営携わる11月 - 「慶應義塾維持法案」を発表大阪商業講習所開設所長以下らに義塾出身者赴任大学予備門倣って予備科(のち三田予備校)を設置1881年明治14年1月 - 「慶應義塾仮憲法制定6月 - はじめて留学生受け入れる。 1882年明治15年3月 - 『時事新報創刊10月 - 物理学創立1884年以降断絶)。 1883年明治16年4月 - 『文学雑誌発刊11月 - 酒井良明により酒井寄宿舎発足12月 - 徴兵令改正により兵役免除特典を失う。 1885年明治18年9月 - 科外を別科改称し、正科修業年限5ヵ年、別科4ヵ年とする。 ペン記章付け始める。 1886年明治19年3月 - 帝国大学発足にあたって義塾出身渡辺洪基総長選出6月 - 最初運動会陸上競技会)を開催1887年明治20年8月 - 第一講堂竣工講堂内に書籍館設置1888年明治21年2月 - 正科生による同盟休校事件発生。 春 - 三田ベースボール倶楽部発足第二講堂竣工1889年明治22年1月 - 大学部設置のため「慶應義塾資本金募集開始8月 - 「慶應義塾規約制定10月 - 第1回評議員会開催大学部主任教師としてリスカム、ドロッパーズ、ウィグモアの3名来日

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